2005年カナダのキッチナー(Kitchener)で開催された世界ジュニアフィギュアスケート選手権(World Junior Figure Skating Championships)、日本代表-浅田真央(Mao ASADA)のフリースケーティング演技の動画です。日本語の映像はJ SPORTSで放送されたものです。実況はフリーアナウサーの小林千鶴、解説は日本スケート連盟強化部長の城田憲子です。英語の映像はカナダのCBC局で放送されたものです。
日時:2005年3年月3日
曲名:ジョアキーノ・ロッシーニ/オットリーノ・レスピーギ バレエ音楽 「風変わりな店」 (La Boutique Fantastique by Rossini Respighi and Ottorino Respighi)
技術点:62.73
構成点:56.40
合計:119.13
女子シングル・フリー得点詳細(英語)
女子シングル・フリージャッジスコア(英語)
女子シングル総合結果(英語)
パリの喜び&風変わりな店
フィードラー(アーサー)
【男・女アベック優勝】カナダ・オンタリオ州キッチナー(Kitchener,ON)開催、2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権の大会情報、出場選手、結果、動画リンク。女子は浅田真央が優勝、澤田亜紀9位、北村明子14位、男子シングルは織田信成が優勝、南里康晴6位。
(日本語)
(日本語)
(カナダ英語)
(カナダ英語)
“浅田真央 世界ジュニア選手権2005 フリー演技 (解説:日本語・カナダ英語)” への349件のコメント
>真央ちゃんは、どこでこのような日本人の美徳を身に付けたのでしょう。
真央さんは恐らく、努力や精進によって美徳を得たのではなく、
生きていることがそのまま美徳になる天賦の才能を持った、極めて稀な存在
と私は思っています。
私などがどんなに強い意志と克己の精神で取り組んでも一生到達できない
ものを生来から持っていると、驚異にすら思っています。
勿論、私の賛辞には、幾分かの「結晶作用」があります‥。
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ただ少女ばかりは問わない、
どの橋が形象に通ずるかとは。
白銀の皿につける真珠の紐よりも
なお明るく微笑むだけだ。
少女等の生活からは、
どの扉も詩人へ通ずる。
それから世界へ。
リルケ『少女』抜粋
紅益子様は真央選手に寄せて
様々なスタイルと表現で多くの詩歌を詠まれたんですね。
少女の幸福な姿 輝く笑みからは
「影」は消えうせます。それを彷彿とさせる詩です。
これも真央選手の「美徳」なのかしら‥。
涙はとめどなく流れていた。
気丈夫と言われても、本当は泣き虫、母と娘は同じ遺伝子だから。
「転んだ時は、もう無理と思ったでしょう?でも、偉かったわよ、最後まできちんと演技してくれて。応援してくれる方達に、失敗しても途中で投げ出したら失礼でしょって、いつも言っていたし、これまで一生懸命練習してきたから、自分のためにも、最後まで演技しなくてはね。いつもハラハラドキドキさせてくれるけど、今度ほど死にそうになったことはないわよ。いいえ、死にました。もう何があっても驚かないわよ。」
娘の成長を嬉しく頼もしく思うとともに、親元から離れていく日も、そう遠くないことを感じていた。
「本当は、転んだ後は何も考えず、音楽に乗って体が勝手に自然に動いていたの。最後のスピンで、あーやっと終わった、ママごめんなさい。やっぱり、まだ精神的に強くなれない、もっと頑張らないと。天を仰いで叫んだの。」
遠くから、甘えた声がかすかに聞こえた気がした。
紅益子2008/3/8「創作」一部抜粋(想像で書いたものです)
真央さんの美徳は、本人はもちろんですが、お母様を含めご家族、コーチで作ってこられた努力の賜物と思います。
陽だまりで 梅に袖振る 福寿草
風雅だが毅然としている梅
雛が寄り添うような福寿草は陽だまりの子
ある小学校で「なれなかった子供が傷つくから学級委員長はもうけない」との報道。
運動会で1等2等の差をもうけない。通信簿は、大変素晴しい、素晴しい、普通、の
3段階。また、これを良しとする親や団体もいる。日本の小学校教育は、遂にここまで来たのかと思うと、感無量。教育のあり方、考え方は様々であるけれど、
鷹や飛び魚ではなく、平穏無事に小鳥やめだかに育てばいいということであろうか。
真央選手がどのような教育を受けてきたかは分からない。女の子の楽しさに満ち溢れた笑顔と発言、度胸満点の試合。負けず嫌いの気の強さ。低い点数が出た時のあの表情。延々と悔し泣きする姿。しかし決して言い訳しない潔さ。時として女の子らしい不安や心配を覗かせるが切り替えが早い。隙のない受け答えと振る舞い。悪く言えば優等生な言動で面白味が無く嫌味になりかねないところだが、持ち前の明るさと爽やかさでそれを一切感じさせない。
恐るべき鷹、逞しい飛び魚がここに育ちつつある。
同じような教育を受けて来たであろう姉の舞さんは、全く別の個性が輝く。
教育と才能と環境、そして人間の巡り合わせの不思議。
平等の意味を履き違えている人が多い。機会が平等に与えらる事を意味し、結果の平等が求められているわけではない。結果の平等が与えられれば、努力は報われず、何もせずにただ怠惰になるだけである。運動会などやる価値はない。いやそれどころか、オリンピックさえも否定していることに気づかないのか。20世紀、壮大な実験が行われた国はもはや消えうせた。人は皆、異なる顔、性格、才能を持って生まれてくる。同じでないからこそ個性が生まれる。人と人との違いを認めないような教育は、没個性、人間性の喪失、規律厳守の軍隊と同じであることに気づいていない。単一の色で塗られた画用紙からは芸術のかけらも匂いも見出せない。あるのは絶望感だけである。
ある小学校の教師は、もはや教師とは呼べない。同じことを書いて置けば事は足り、誰がやっても同じなのだから。ここには教師の尊厳すら見出せない。
山田コーチは個性を尊重し、やる気をうまく引き出すような教育をした。うまく出来れば褒め、失敗すれば落ち込む気持ちを激励した。既に2人の世界チャンピョンを生んだのは、ひとえに教育の賜物である。ある学校からは、何も生まれず、ただ指をくわえている幼児のみが育つだけである。
中京大学レインボーリンク完成式典に際して
Miki & Mao 花の乙女の共演に虹のリンクに春の香り立ちて
梅香る虹のリンクの初滑り鏡に映る姿すがしき
髪切りてポニーテールの初々しさ決意を胸に世界に向かう
紅益子「レインボーリンク」
真央選手に寄せて‥
ひらけゆく空と風の中、目を光らせるか若鷹よ
砕け散る大波に 体当たりするか飛び魚よ
光と地の糧を吸い しなやかに伸びるか若竹よ
紅い鳥様
熱烈なる文章、読み応えあります。
拙文より、ずっと血が通っていますよ。
孫引きになりますが、ある本にゲーテの言葉がありました。
「すべて、最高のものは、それぞれの個別の領域を越える」と。
伊藤みどりさんの最高のジャンプは、女子フィギュアの常識を変えました。
真央選手は2回の3Aで、女子フィギュアの常識を変えました。
真央選手の最高のものは、まだまだ続く!!
Goethe 様 ごめんなさい。
ハイテクのカメラで写す3D 理想の姿へ一歩近づき
全身を写す二枚の大鏡 鏡の中の自分と会話す
幾たびも転び倒れて涙を流す いつしか氷は塩味となり
個を超えた最高のものを創造し ゲーテの言葉目の当たりにす
紅益子「レインボーリンクⅡ」
オリエンタル様
嘗て教育に関わったことがある人間として、一つだけ提案を持っています。
それは、「話す能力」の養成を学校教育は取り入れることです。
高校卒業までに、英語の教育は少なくとも6年間ありますが、英語を話すことが
出来ない学生をせっせと送り出しているのが明治以来の変わらぬ姿です。
原因は色々ありますが、私はその一つは日本語で「話す能力」の教育を怠って来た
からだと見ています。知識教育偏重は相変わらずで、高度で実生活に役に立たない
ことを、せっせと教え続けています。因数分解など実生活に何の意味がありますか。
逆に生きていく上で不可欠である「話す」「聞く」「書く」などの教育はきれいにカット
されています。何という偏り。
あるテーマについて、話の筋道を組み立て、説得力ある話し方ができることは、教育
少なくとも、高校教育までに不可欠な「万人に役立つ教育」の柱と考えてます。
コミュニケーションの根幹は、人に自分の意思や感情、そして情報を伝えることです。
人に対する説明能力は広く求められているところです。
話す能力を得た人間は、計り知れない一生の財産を得ます。逆に、話すことが不得手
な人間は、一生ハンデを背負います。それは社会人になって気がついても遅いのです。
知識は不可欠ですが、これを生かすことが出来なければ、宝の持ち腐れに終わります。
話すことで「知識」は磨かれ、生きていく上で役に立つ「知恵」となりましょう。
ただし、私の提案には条件が必要です。それは、教師自身が「話す能力」を身に付け
てなければならないことです。ここがどうも心許ないのです。
学校教育の現場で話す能力が不当に軽視されている背景には、教師の養成システム
にも理由があると思います。ここも相変わらずの知識偏重ですから。
オリエンタル様
漢籍を学ぶことの意義は賛同します。漢籍どころか、教科書から夏目漱石や
森鴎外が消えたことには、怒りすら感じています。また、小学校から英語を教える
方向には疑問です。まだ国語や日本の歴史をろくに理解していない半人前の子供に
英語教育が不可欠とは思えません。
ただし、「徳」や「公」の問題には私は特に、持論があるわけではありませんので、
何とも言いかねます。
日本語教育は、もちろん肉親の義務でしょう。赤の他人の教師が30人以上の子供
相手に出来ることは、限界があり過ぎます。
私の場合、母が毎晩のように童話や昔話を読んで聞かせてくれた思い出があります。
時には母が読んでいるうちに泣いてしまうことがありました。私が「どうして泣くの」と
聞くと、「あまりに可哀想なお話だから」と答えたこと、小学校4年生の夏休みに、
毎日詩を一つ作り、母が添削と感想をノートに書いてくれました。時には「こんな心の
こもっていない詩は4年生として、失格。情けない」と叱られ泣いた事もありました。
日本語の知識というよりも、言葉と感受性、想像力という点で親の影響は計り知れない
と思います。何故なら、今でもこの、母との会話はよく覚えていますから。(笑)
共働きが日常化し、子供は学校から帰ると塾やお稽古ごとで忙しく、親子の会話
が少ないとの指摘はもう、30年前くらいから言われて来ています。
それが一概に、悪いことかどうかは簡単には断定は出来ないとは思います。
このような家庭で育った子供が立派に成長している例はゴマンとありますから。
まだこの問題で話すことはいくらでもあり、きりがありませんね。(笑)
オリエンタル様
拙文をお読み頂き、ありがとうございました。
祖父母様の薫陶をお受けになったとは、羨ましいです。
それこそ、生きた歴史、生きた知恵、生きた仁徳ですね。
また、何時でもお越し下さい。
ここは話題は自由、
皆様平等ですので。
古来中国では桃が愛されています。桃源郷に象徴されるように。
日本では桜が愛されています。共通しているのは月を歌い、
月に人間と自然の摂理を感じてきたことです。
月の動き、方向、満ち欠けに天の存在と、四季の移ろいを感じ、
ここに人間は芸術を見出してきました。
4年前、国立天文台の発表として、小学校4~6年生の27%が
太陽の沈む方向を間違えて認識し、50%が月の満ち欠け
の正しい理由を知らないとの報道がありました。
小学生のことで、大した問題ではないのかもしれないが、
私はここに何か大切なものが失われつつある不安を感じた。
自分の経験として、小学高学年の頃には既に常識として、
太陽の沈む方向や月の満ち欠けの理由は知っていたと思う。
それは学校ではなく肉親や身近にいる大人との会話の中で
いつの間にか覚えたように思う。
少なくとも中学校で初めて学んだ記憶はない。
四季の移ろいを感じる時間感覚、天地の中で感じる方向感覚
自然のメッセージを教えてくれたのは、学校ではなく身近な
大人であった。
monologue様のお話を読んで、このことを思い起こしました。
夕陽を見つめる親子の姿を見かけなくなって久しい。
人生は一冊の書物に似ている。馬鹿者たちは
それをペラペラとめくっていくが、賢い人間は
念入りにそれを読む。何故なら、彼はただ一度しか
それを読む事が出来ないことを知っているからだ
by ジャン・パウル
>ごく短い言葉で諭したものです。
簡潔こそは知恵の魂
by シェイクスピア
クラシック音楽好きの知人は、朝聴く音楽はハイドン、ヴィヴァルディがいいと、
ブラームスは夜聴くに限ると言っていた。
音楽をそのような言葉で括るのは、趣味の戯言とはいえ、一面的に過ぎる。
ブラームスのバイオリンソナタ1番は、朝も夜も聴いて心地良い。
重くもなく、軽くもなく、チャーミングで何かに憧れるような旋律は心の奥底に
響いてくる。最も美しい旋律の一つに思う。女性にもっと好まれても良い曲だが、
ある種の先入観が遠ざけているのか。
クララ・シューマンとの美しいエピソードに飾られた曲。
敬愛する女性から「天国に持って行きたい曲」と言われた時のブラームスの感激は
いかばかりであったか。
なぜトップスケーターはブラームスの音楽を選曲しないのかしら。
真央選手がこの曲で振付けた演技をしたら、この曲が世に広く知られ、ブラームス
の女性人気が高まるのになあと、時々思う。
ヨハネス様、どう思いますか?
・・・・・「43年間に彼ら二人のあいだにとりかわされた、現存している八百余通の手紙をくわしく検討するとき、真の意味での争いは発見できない。若い時代にはお互いの性格にも融通性もあり、たがいに理解する余裕もあったので、クララがうける心の傷手も深刻なものではなかったが、孤独な生涯を送ったブラームスは、老境に近づくにしたがって、しだいに気むずかしさがはげしく露骨になってきた。一方、すでに七十歳になっているクララにも、若いときのような忍耐と寛容を求めることが過酷となり、おたがいに愛し信じながら、ささいなことに意見をゆずらず、おたがいに苦しむことがあったのであった。
しかしこの和解を最後として、老境にはいった二人は、たがいの存在がいかに大切なものであるかを明らかにさとったのであった。 ことにクララはブラームスのいわゆる<機嫌のよい日>を望んで、二度と不快な誤解がおこらぬようにと心をつかったので、クララの死にいたるまでのその後の数年間は、平和な静かな夕陽の光が、二人の友情のうえに淡く輝いたのであった。~~~~~」 →(141)→→→→→ 原田光子
ブラームスとクララの関係を聞くたびに、チャップリンのライムライトを思い出してしまいます。
ヨハネス様はライムライトをどうお考えになっていますか?
またヨハネス様にとってのクララはどなたなのでしょうか?
やはり真央姫なのでしょうか?
ヨハネス様、
「ヨハネス仮面」はベタです。
「ヨハネス」あるいは、「エピ」「枝氷」という素敵な名でお願いします。
バイオリンソナタ1番は、シューマンへのオマージュとも、クララに対する思慕とも、
クララの子で病弱であったフェリクスへのお見舞いとも言われてます。
この曲全体を覆う、なつかしさ、あこがれ、さびしさ。しかしどこか開放的な趣を保ち、
暗さから救われています。
これらは、そのままブラームスとクララの思いを映し出しているかのような心の調べです。
monologue様へ
音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、
水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。
by 仏陀
クレタ人の預言者、エピメニデスの言葉
「クレタ人はウソつきだ」
236.様、いらっしゃいませ。
ユーモアを大切にね。
>紅益子さん、234ベネディックさん、問いかけ、色々とお心遣い有難う!!でも負目が許されてこその他スレでの「ヨハネス」語り。。老いの心が晴れない間は素敵な「言葉」のご紹介に留めおきたいと思います。勿論、賢婦人の皆さん方には釈迦に説法でしょうが、
雨上がりの山麓に寂しいチョン・キョン=ファの弾くト長調♪雨の歌が響きます。。
私の今の心情には過酷過ぎる音色です、、、、、
青春のシューマン夫妻と邂逅した頃のピアノソナタも好きですが、ヴィアソナ3番二短調(55才)も大好きです、、、、、ヨハネスへのモノローグならぬダイアローグ^^;、、、、、
今日のわれわれには、モーツアルトのように美しくかけなくなってしまった。
われわれにできるのは、ただ、彼がかいたのと同じくらい純潔にかくよう
努めることだ。
ヨハネス・ブラームス
モーツアルトが霊感を得るのは音楽を耳にする時ではなく、生を目にする時、
かぎりなく生きいきとした南国の生を目にする時なのだ。イタリアにいない時、
彼はいつもイタリアを夢みていた。
『人間的、あまりに人間的』 by フリードリヒ・ニーチェ
彼女は嘘がつけない。嬉しい時は、嬉しいとまっすぐに伝わってくる。
『浅田真央、17歳』 by 宇都宮直子
ニッポニア・ニッポン 真央選手。
「浅田真央、17歳」から、真央選手に対する韓国メディアの言葉。
‘浅田の「純粋さ」がマスコミを押さえ込んでいる印象です’
‘「清純」や「天真」といった単語が似合う’
「ニッポニア・ニッポン」という誇るべき学名のあった、日本の天然記念物のトキは
絶滅した。
「純粋」「清純」「天真」も、日本ではもはや、絶滅の危機に瀕していると言えようか。
浅田真央選手は、日本人の誇る「ニッポニア・ニッポン」かもしれない。
学校が終わると、すぐに母の車でリンクに向かった。
毎日夜遅くまでリンクを求めて移動もした。
同世代の友人と遊ぶ時間は殆ど無く、
隔絶された世界で、清らかな水しか知らなかった。
高度成長時代の日本は、経済発展一本やりで、
いつの間にか、空気も水も汚れた。
公害と言われ、国を挙げて公害に立ち向かった。
空気や水は綺麗になったが、
人の心は変わることなく、どんどんと汚れていった。
世間から隔離されたことが幸いしたとは、皮肉である。
浅田真央をみると、日本について考えるべきことは多い。
純粋培養されてきた人間は、「温室育ち」と揶揄され、ひ弱で脆いとの
レッテルが張られがちです。
やや唐突な例ですが、モーツアルトは、作曲家で宮廷副楽長をしていた
父親に純粋培養され、天才ピアニストとして7歳の頃から貴族の社交界
に連れ回されました。
ところが26歳の若さにして、当時仕えていたザルツブルクの大司教に
反抗し、音楽家として歴史上初めて独立を果たしました。これは貴族に従属
し身分の低くかった当時の音楽家としては、革命的なことだったそうです。
天才という言葉は安易に使われるべきではないと思いますが、
やはり真央選手は天才を与えられて誕生したのでしょう。
純粋ではあるが、自分の道を真直ぐに進む強さを支えている中には、
己の才能への誇り強さ(驕りではない)もあると思います。
そんな真央選手と両親の教育、姉の舞さんとの関わり、山田コーチとの出会い
などがどのようであったか。知りたい気持ちが抑えられません。
『自分が変わる』 「浅田真央、17歳」より
‘…もうそろそろ、大人っぽいのもやってみたいなっていうか、やる勇気を
持たなくちゃいけないと思った’
‘あれが、自分が変わるきっかけになった’
自分が変わり、人を変えた経験のある人間は「人は変われる」と考えるだろう。
その経験がない人間は「人は変わらない」と考えるだろう。
ヨナ選手の1年後は予測できるが、真央選手は予測できない。
変われば違う世界が見えてくる。
新しい世界が広がってくる。
変わらなければいつもと同じ世界。
ちょっとした勇気が自分を変える。
自らの脱皮は成長を意味するが、
強制は傷を残した変形にすぎない。
そのままの姿で留まり続け、
やがて果てていくのを待つ者もいる。
全て未来はその者の心にある。
『挑戦』 「浅田真央、17歳」より
‘挑戦、それがすべてです。新しい気持ちで、もう一度、自分らしい演技がしたい’
この言葉を音読した。
人は自分の人生で、このような言葉を人前で話すことが、何回あるでだろうか。
夢の中でコーチが語ってくれました。
その類まれな才能と、優美で柔らかな身のこなし、努力を惜しまぬ性格。
出会った時に、直感しました。この子しかいない、この子に夢を託してみようと。能力を見極めるため、そして未来への準備のため、あえて難しいプログラムを組んでみました。世界選手権までに、どこまで到達できるのだろうかと。しかし、予想外に3ヶ月も前に完璧にクリアーしてしまいました。それは大きな驚きと同時に、嬉しくもあり、また改めて確信することになりました。思い描いていたプログラムを、もっと感動的で芸術性の高いものに書き換えなくてはなりません。
さあ、あなたのすべてを見せつけて挑戦してきて下さい。来シーズンはもっともっと難しいプログラムを用意して待っています。でも、あなたはそれを乗り越えて行くでしょう。あなたに託した芸術家としての夢を、どうかかなえさせて下さいね。
紅益子2008/03/10一部抜粋
一年前の紅益子様のお言葉通り、
今期も真央選手はより難しいプログラムに
挑戦し、乗り越えつつあります。
未知である新しい変革の唇にくちづけし‥
『ジョン王』 by シェイクスピア
あの二人は、きっと最後まで挑戦し続けて完成を目指すでしょう。
タラソワコーチは、真央選手の中に自分と同じものを見ていると思います。
いつもまっすぐに前を見つめて、常に上を目指して進んでいく。
練習環境は日本のほうが良いのに、何故ロシアに呼んだのでしょうか。
病身の肉親を看ていて、あまり動けなということもあるでしょう。
しかし、それ以上に見せておきたいものがあったからにほかなりません。
芸術の香り高い伝統のロシアバレエもその一つと思いますが、
一流のアスリートが育っていった練習場もきっとそうに違いありません。
その場にいるだけで、空気はひしひしと肌に伝わってくるはずです。
エリートとして当然受けなくてはならない指導を受けさせ、
将来を背負って行かなくてはならない自覚と責任を促さなくてはならない。
人生の晩年が近づきつつある今、全てを伝えておきたいと思ったのは、
この子しかいない。 いや、それは神より与えられた使命であると。
後世代々語り継がれるべき、二人の渾身の魂の結晶を、
来るべき世界戦にて、しっかりと脳裏に焼き付けておこうと思っています。
春の夜の袖の香匂う青衣に こぼ落ちつる月の光よ
ぬばたまの黒衣のニーナの今はには 玉を結びし春の花束
紅益子
技と美の狭間
「mao asada Challenge&Evolution」
年々スピンやスパイラルが「進化」する様を比較したこの動画
作者の発想が素晴しく、興味深く見た。が、手放しでは喜べなかった。
スピンに対する現行のルールに疑問を持った。年々深くなるシットスピン。
技術的には難易度が高いそうだが、見ていて窮屈な感じがして、
どうしても美しく思えない。氷面を這うような低さに抵抗感を抱いてしまう。
今期から演じているサイドウェイズと言われるレイバックスピンも窮屈そうで
美しいとは思わない。何かに苦しみ悶えている姿を連想し、楽しめない。
寧ろジュニア時代に演じていた、上体を大きく後ろに反らすレイバックスピンの方が、
華があり美しかったように思う。
織田選手や村主選手が演じるスピンには、上半身を下に倒し、お尻が上を向く
ものがある。あのスピンを「美しい」と思う人がどれだけいるだろう。
「技の進歩」の前に「美しさ」が軽んじられている不安を感じる。
フィギュアが「宙返り」を禁じているのは、危険防止だけが理由だろうか。
技と美の共存を目指すフィギュアの見識、美学が「宙返り」を絶対に許さない
のだと思う。ところが、スピンについて少々その見識が怪しくなってはいないか。
スピンをただの曲芸にして欲しくない。真央選手は美しいスピンがいくらでも
できるであろうに、もったいない。
春の夜の袖の香匂う青衣に こぼれ落ちつる月の光よ
の間違いでした。 れが抜けてしまいました。訂正します。
紅益子様、力作の2首を拝見しました。
幻想的な新古今調を試みましたか。
敢て他人の衣装を借りて表現されたわけですが、
立派に着こなしたかどうかは、私にはよく分りません。
しかし、表現の幅を広げる良い試みと思います。
206の『レインボーリンク』や『通勤路』のほうが、
私的には好きですが。
べネディック さま、ありがとうございます。
仰られますように、色々と試しております。借り衣で、まだ自分のものではなく、とうてい古今、新古今には及ばないことも承知しております。ただ、匂いが少しでも出せたことは嬉しく思っております。業平さんがいらっしゃいますので、少し頑張ってみようと思いました。薙刀では勝てそうもありませんので。
真央選手に寄せて‥
四年前、初めてあなたの目と演技を見た時の驚き
世の中の明るさのみを吸うような目の なんと純粋だったことか
世の中の楽しさのみを贈るような演技の なんと可愛かったことか
純粋な目と可愛い演技は 今も変わらない
あなたは四度 葉の色づきとともに現れ
四度 桜の咲きはじめとともに姿を消した
晩秋から早春 白く凍るリンクの上で
赤々と燃えた鮮やかな姿は 今も変わらない
それは違っていた 純粋さと可愛さは地の動きのようだ
あなたの目には 強い意志と憂いの影が宿りはじめ
あなたの演技には 大人の逞しさと艶やかさが漂いだした
変わらないと思っていたが 私の目は欺かれていたようだ
ねえ、ほら見て、気になる子がいるの。あのポニーテールの女の子。今年ノービスからジュニアに上がったばかりなんだけど。
あら、ほんとね、すごいわ。きた~って感じ。どうしよう、ゾクゾクしてきた。あの年齢で3A、いとも簡単に決めてるわ。ジャンプは超一級品の折り紙つきね。スタイルもいい、演技もなんとも可愛くて、しかもエレガント。引き込まれてしまいそうだわ。
百年に一度の天才ね。神様の贈り物に違いないわ。絶対間違いなく未来の世界チャンピオン。きっとフィギュアの歴史を塗り変えるわね。
でも気がかりなことがあるの。これから成長期でしょ、怪我しないようにしないと。それから成長しても、今の魅力が失われないかしら。これまで嫌というほど、たくさんの哀しみを見てきてがっかりしてきたから。この子はそうなってはいけないわ。
そうね、それは気をつけないとね。それにまだこれからって言うところも。エッジもそうだけど、スピン、スパイラルでもちょっとぐらついているわ。いろいろと学ぶところもありそうね。
それに一人で頑張っていくのも精神的に大変よ。誰かライバルになってあげられる人いるかしら。いい意味で競い合っていくほうが伸びるし。精神的な支えも絶対に必要ね。それにしても楽しみね。
ねえ、コーチ誰にしたらいいと思う?そうよね、やっぱりタラソワよね。長年探していた、あなたにぴったりの子が見つかったわよって。きっと喜んで張り切っちゃうわよ。彼女だったら、私達の想像している以上に仕上げてくれるに違いないわ。
私達もしっかりチェックしていきましょう。白鳥になるために生まれてきた雛の成長を、この目で直接見られるのよ。私達もお手伝いしないとね。こんなチャンス、一生の内に何度もあることじゃないわ。
絶対完璧にしたいわよね。ちょっと厳しいかも知れないけど、きっちりチェックするようにするわ。一つ一つ課題を出していって、しっかりこなしてきたかどうか確かめて行きましょう。理想のスケーターを作るためにね。きっと彼女ならできると思うわ。いや、しなきゃいけないと思うの。
あと何年後かしらね、パーフェクトな演技が観られるのは。案外早いかも知れないわ。その時が来たら、きっと神様が教えてくださるわ。歴史的瞬間をしっかり見開いて記憶し、後世まで語り継ぎなさいって!
ああ、とっても待ち遠しいわね。でも、あせっちゃいけない。じっと我慢して辛抱強く待たないとね。楽しみは長く続いた方がいいから。
紅益子「ある審判員達の会話より」
汝の味方を敵と見間違うなかれ。
知らざる人のかくも多くありける。
ああ、嘆かわしや、痛ましや。
いつもいつも見ていたはずなのに、
お花畑で遊んでいた少女は
いつの間にやら知らないうちに、
凛とした気品あるレディになった。
淡い紅さす横顔、伏し目勝ちの
かすかに憂いの漂う眼差しは
うつろい変わり行く戸惑いなのか、
鏡の中の自分に問いかける。
昨日より少しは進歩したかしら、
まだまだやるべきことはいっぱい。
みんなみんな大変だけれど、
これまでずっとずっとしてきたこと。
それが私の人生だった、そして、
これからも。十年先は分からない。
静かに語る未来への青写真、
夢を見続けることは楽しいけれど、
それがどんなに大変なことかを、
二枚の大鏡がそっと教えてくれた。
紅益子「二枚の鏡」
ただ、
そこに真央がいる。
それだけで、
私は心が
暖かく痛くなり
涙が溢れてきて熱狂する。
選ばれし者の宿命よ!負目よ!
営々たる彼女の13年の努力を思う!!
怪我をせずにこのまま滑っていてくれればいい、、あの笑顔を絶やさずに。。
『二枚の鏡』
紅益子様は詩歌もさることながら、
題名のつけ方がいつも上手です。
これは特に素晴しいと思います。
それにしてもエネルギッシュな創作力に驚きます。
私は12行の詩を作るだけでヘトヘトです。
題名を考えるのが億劫になりそのまま。
枝氷様 「そこに真央がいる」 いい言葉ですね。
これをキーワードにもっと詠んで下さいませんか。
儚様 「秘すれば花」
今晩は。いつでもご自由にお越し下さい。
はかなくて過ぎにしかたを数ふれば花にもの思ふ春ぞ経にける
式子内親王
真央選手に寄せて‥
たとえ思いが眠っても 眼の中のあなたの絵姿が
心を目覚めさせる 心と眼を楽しませてくれる
『ソネット』 by シェイクスピア
シェイクスピアが自らを一人称で書いた作品はソネットしかない‥
リンクの中には氷を削るいろんな音がある
まるで夏休みのかき氷屋さんみたいですね
シュッシュッと薄く削るのはステップかしら
とろーり甘いイチゴミルクが似合ってるわ
可憐なスピンは淡雪のようなフラッペかしら
ふわふわとしてとろけるように消えていく
ガリッガリッと粗く削るのはやっぱりジャンプ
粒と粒が入り混じり搾ったレモンの味がする
トリプルアクセルは何と言っても勝ち割りよ
炎天下の夏の日に大きな塊ごと口に入れて
ガリリと噛んでは力いっぱい声援を送るのよ
子規様、sayonara様、ganba様 いらっしゃいませ。
私の好きな詩の一節を。
幸福
幸福は厩《うまや》のなかにゐる
藁《わら》の上に。
幸福は
和める心には一挙にして分る。
頑《かたく》なの心は、不幸でいらいらして、
せめてめまぐるしいものや
数々のものに心を紛らす。
そして益々《ますます》不幸だ。
幸福は、休んでゐる
そして明らかになすべきことを
少しづつ持ち、
幸福は、理解に富んでゐる。
頑なの心は、理解に欠けて、
なすべきをしらず、ただ利に走り、
意気銷沈して、怒りやすく、
人に嫌はれて、自らも悲しい。
されば人よ、つねにまづ従はんとせよ。
従ひて、迎へられんとには非ず、
従ふことのみ学びとなるべく、学びて
汝が品格を高め、そが働きの裕《ゆた》かとならんため!
by 中原中也
真央選手「月の光」に寄せて‥
「鏡花水月」
鏡に映った花と水に映った月
見るだけで手には入れられない
あるがままを
感じたままを
言葉では表せない何かを
静かに受け止める
一抹の虚しさとともに‥
手にむすぶ 水に宿れる 月影の あるかなきかの 世にこそありけれ
紀貫之