カナダのモントリオール(Montreal)で開催された国際競技会「スケートカナダオータムクラシック2016(2016 Autumn Classic International)」、日本代表-羽生結弦(Yuzuru HANYU)のフリースケーティング演技の動画です。
Date:2016年10月1日
曲名:『Hope & Legacy』 久石譲 「ヴュー・オブ・サインレンス」 ~ 「Asian Dream Song」 (View of Silence from Pretender by Jo Hisaishi + Asian Dream Song from Piano Stories II – The Wind of Life by Jo Hisaishi)
技術点: 87.67
構成点: 86.60
減点:2.00
合計: 172.27
- 男子シングル・フリー得点詳細(英語)
- 男子シングル・フリージャッジスコア(英語)
- 男子シングル総合結果(英語)
PRETENDER
久石譲&ワンダーシティ・オーケストラ
PIANO STORIES ?~The Wind of Life~
久石譲
“羽生結弦 スケートカナダオータムクラシック2016 フリー演技 (解説:なし)” への672件のコメント
もしこのプログラムが特別な思いのこもったものであれば
羽生選手はこのプログラムの内に秘められた崇高さが観衆に届くように
自分を合わせてほしいと思う
十分に美しく伝わるようにと願う
496 の magrittemiari さんへ
1部の羽生ファンの宇野選手への中傷などここには一切ありませんよ。
ここの、コメント欄の羽生選手への誹謗中傷はいいの?
最初の方のコメントだけど、かなり酷いと思うけど、他人のTwitterのコピペとか、ここで宇野選手への中傷は一切ありません。
ここで話す事ではないです。
もしかして、まとめ零のブログの事を言っているのかな?
まとめ零のブログの事など、ここで話すのは辞めて下さい。
あそこは2ちゃんをまとめた悪質なブログです。
海外でもあのブログは馬鹿にされています。
そこのブログは有害だと思う。
コメント欄も無法地帯です。
あそこは宇野ファン、羽生ファンの言い合いの場になっている。
今もやり合っているし選手の悪口とか言う人の気がしれない。
私はあのブログを無くしたいのです。
ブログ主に忠告をしてもブロックされるだけでした。
通報とかありますがあまり効果無しです。
羽生選手を熱心に応援されている皆さん、ごめんなさいね。
これから書く事は、あくまでも個人的な思いです。
過剰な期待も、貶すつもりもありませんからね。
素敵な方なので、あくまでもこんな一面がみてみたいという願望です。
正直な感想は、
もっと違うテイストのものが見たかったな~です。
振付師がプロデューサーなら、全く違う面を羽生氏に提案して見せてほしかったです。
ジェフさんはプロデューサー目線で羽生選手に合ったものを選んでいるように感じるのですが、シェイリーンさんはクライアント目線な印象が私にはあります。
でも羽生さんの意志が一番大切なのはもちろん解っているので、あくまでも願望です。
個人的にはリストの「愛の夢」、ショパンの「ノクターン」のような乙女系の曲調で、ふわふわ白馬の王子様のようなを見たかったです。
羽生選手がもともと持っている美しい容姿を、素材の良さをそのまま活かせるし、「Story」とか「Believe」のような女性目線の歌詞を表現するのがとても上手いと思うからです。
「旧ロミジュリ」以降、フリーではどちらかといえばドラマチックで壮大な曲調の悲恋や悲劇プロが続いているし、「SEIMEI」も明るい曲調ではなかったですし、フリーで真逆の曲調が見たかったです。
今回の演技は昨年のGPFの完成度があまりにも高かったからでしょうか、まだ何ともよくわかりません。
ですが完成形が楽しみで、早く見てみたいです。
選曲はとても羽生選手らしい。
静かな悲しみが波紋の様に広がり、そこに光が射す感じがします。
全体から受ける印象ですが、羽生選手の中に横たわる深い悲しみと強い意志を感じました。
桔梗様
多くの人が安心して楽しく読めるコメントを、いつもありがとうございます。
新プログラム初公開の記事の時にもコメントしたんですが、楽曲に関しては、SPはパリ散、FPはレクイエムにテイストが似てて「進化」系ではあるけども「挑戦」的ではないなあと思いました。
羽生君のタンゴとか観てみたかったです。
502.華さん
おっしゃる通り、まとめ零のことが頭に思い浮かびました。ですが、ここでは話す話ではなかったですね。失礼しました。
あ~タンゴいいと思います。
けど、今季は全てを新しいプロにしたので全く違うテイストにするのは(時間的に)難しかったのかなと・・・(素人考えです)
でもいつかタンゴは観たいです。あと羽生君の「トゥーランドット」が観てみたい・・ただの個人的願望です。
私は今回のSP,FS両方から、羽生選手の変わりたい、変わらなきゃっていう思いをすごく感じました。
特にFSでは競技なのに、ジャンプ以外のところに(ある意味ジャンプのことを余り考えないで)とても気を配って丁寧にやろうとしていたのに、少し驚きました。
以前にも書きましたが、スピン、ステップの位置等、構成もこれまでと変わってますし。
懐かしい雰囲気の衣装で、これまでのプロを思い出させるような振付けも散りばめられているけれど、かなり新鮮な部分もあると思います。
今期はSP、FSいずれも、身体全体の動きがとても「進化」しているな、と感じました。SPのノリノリの動き、FSの優しい優雅な動き。対照的で、面白いです。そして、どちらの動きもこれからもっと洗練されていくことでしょう。
ここにジャンプがうまく入ってくると、両者ともとてもよい作品になる気がします。期待値大です。
特にこれを!というのはあまりなくて羽生選手がその時にやりたいものをやってくださればいいと思っていますが、私は他の人があまりやらないようなオリジナリティがあるプロが見たいです。
タンゴやサルサなんていうラテン系はぜひ見てみたいし、伝統的純粋クラシック(ショパンやリストもいいけれどバロック等はどうなんだろう?)あとやはりジャズ、ファンクは見てみたいかも。
ボーカル入りのものは私は女性ボーカルより男性の方が羽生選手には実は合ってるようにも思いますが・・好みの問題かな。
今年のプロは特にショートの方は表現面で冒険を感じます。
こちらのフリーの方は上にも書いた理由でまだよくわかりません。
一見衣装等も含めて以前の雰囲気が強いかな、と思っていましたが、違う感じがしますね。
最初の方でも書いたけれど「甘い」感じは受けないんですよね。
ロミジュリとかファントムとか根源が人間臭いものではなく、レクイエムとも似てるようでまたちょっと違うような・・
羽生選手がどういうふうに変わりたいと思っているのかプロの中から感じ取れれば嬉しいです。
あ、忘れた。SEIMEIで臨んだ「和」これに関してはいずれさらに深く追求して欲しいかも。
競技生活後で結構です。
何でもいい、と言いながらいろいろ言ってますね(笑)
dark eyesさんのように本物のスケートファンの方は、とても細かく見ておられるので、羽生選手の成長しようという意思が演技の中から良く見て取れるのですね。
いい加減で、本当に申し訳ないです。(汗・笑)
でも性格的に細かい事を考えるのが絶対無理なので、これからも的外れなこと言っていると思いますが、お許しを。
これは絶対訂正した方が良いと気になるときは、ご指摘下さい。
ただ、あくまでも個人的に素人の印象として、フリーで選ぶ音楽が似たりよったりなイメージがあります。
ロミオもノートルダムもファントムも清明も、陰と陽で言えば、陰のイメージがあり、全く違った味付けの羽生選手が見たかったなというのが正直なところです。
味付けが違えば、新鮮な感じで目新しく映るので、見ている方としては飽きが来ないなと思うのです。
私は技術的な細かい所は全く分からないので、印象で左右されやすく、余計にそう思うのかも知れません。
ただ、本物の芸術は何の説明も予備知識がなくてもいきなり胸に刺さると思っているので、このプロが完成したら印象が全然変わるかも知れません。
ミッツマングローブさんが羽生さんを見て、80年代のアイドルの事を書いておられましたが、私もそんな感じで見ているところがあります。
昨日とも一昨日とも違う、新しい羽生さんが見たいというファンのエゴです。
アイドルはプロデューサーが作るので、振付師に全く新しい羽生氏をファンの前にリリースして欲しかったのです。
でもスポーツですものね。それにアイドルでもないので、自分の意志で滑る曲をえらぶのは当たり前です。(笑)
実は私、コメント500越えになって やっと書き込みするのですが…。
やはりこの演技、おそらく羽生選手自身が思っていた以上に出来が悪かったのでしょうね。
(インタビューでは、自分に腹を立てている様子がありありでしたし)
完成形は全然違う印象のプロになるかも知れない という予感はありますが、選曲やプログラム内容については、この初戦だけを見て感想を書くのは、私は今回 やっぱり保留です。(SPもですけど)
正直、今の段階では プログラムにケチをつけるのも 逆に感動するのも早いような気がしています。(←個人的な意見です。ちなみにファンだけど信者ではない(自称)…つもり。)
流れるさんの仰る バトルさんとシェイ=リーンさんの目線の違い、なんとなくわかります。
でも今季は SPはパリ散に近い感じ?と思っていたのが 予想以上に挑戦ぽいように私は感じたので、FSの方はあえてこういう路線なのかな?という気もしました。
オーサーコーチの著書やインタビューを読む限り、おそらく振付師(+羽生選手本人)を信頼して、選曲も衣装も 彼らにほぼ任せているのではと思うのですが。
羽生選手自身が『ブライアンほど 僕に自由にさせてくれるコーチはいない』とも言ってましたが、彼は ある意味 暴れ馬的な一面を持っているので、ほどほどに自由にさせつつも コーチはその手綱は決して離さず、ここぞという場面のみしっかり手綱を締めてコントロールすることにしている…というように 私には見えます。
その「ほど良い加減」の術を持っているのは、世界広しといえど おそらくオーサーコーチだけだろうとも。
もっとも、一番大事な五輪シーズンだけは これまで口を出さなかった部分にも 総合的に介入して戦略を立ててくれるのでは(いや 是非そうして欲しい)とも 個人的には思っていますが。
連投すみません。
それと 流れるさん、dark eyesさんの深い洞察には 私も舌を巻くことが多く本当にすごいなぁと思うのですが、でも 世の中のフィギュアファンは 皆が皆 コアなファンじゃありませんし、「なんとなくの印象」で語っても全然構わないと思います。
フィギュアスケートが好きという層全体で言うと、どちらかといえばライトファンの方が圧倒的に多いように思うのは私だけでしょうかね…?
演技を見ただけでジャンプやスピンの種類がわかるとか、曲を聴いただけで 題名や原曲・その背景を答えられるという人の方が やっぱり少ないのでは。
だから印象も大事かなと思います。勿論 それも人によって違いますけれど。
あと、まだ世間にお披露目していないEXプロがあるんですよね^^
私は勝手に ついにJazzかな?なんて妄想していますが(だってウィルソンさん振付+Jazzなんて 見たくてしょうがない)、そちらも期待しています。スケカナで初お披露目かしら?
ただ、今回 試合の後おそらくアドレナリン全開でハイな状態で『次はノーミスします、その位のつもりで練習する…』と語ってましたが、その前に 怪我の具合はどうなのでしょうね。練習したくてもできない状態…などではありませんように。もうそこは ただのファンとしては祈るしかないですけど。
誰だって(特に男子は)ノーミス券を無限に持っているわけじゃないので、次の試合でノーミスなんてしなくて良いから(今回よりちょっとマシになる程度で全く構わないと思う)、とにかく年明け2月~3月の試合ごろに完成形を見せてもらえれば充分です。その完成形も、何も全てが完璧とまでいかなくてもOKなので、今季は身体のケア優先でやってもらいたいです…全ては来季五輪シーズンの為に。
ともあれ GPSが間近に迫って ワクワクしますね。全ての選手が怪我なく良い演技をしてくれることを願ってます。
フリーは特に、公式練習ではルッツ以外ほぼノーミスだったので、本番ではいったい何が起こったのだろう、と思っていました。オーサーコーチのおっしゃる通り、4Loに集中しすぎたんでしょうか。
以前、羽生選手が4本4回転ジャンプを入れることに関して、「あとサルコーが残ってる、あとトゥループが残っている・・・と考えながら演技するのがいいのか、どうなのか、いろいろ試してみたい。」みたいなことを言っていたのですが、このオータムではその辺、うまい具合に収穫を得られたのでしょうか(そうであってほしいです)。怪我の影響が最小限に抑えられながら、うまく、効率の良い練習に日々励まれていることを切に願います。
何はともあれ、あと二週間でスケカナですね。
やはり気になる他の選手は個人的にはパトリック・チャン選手です。4Sを入れた場合、どの程度まで進化してくるのか、気になります。
もちろん羽生選手には勝ってもらいたいですし、そのために、10皮20皮とはいかなくとも、2皮くらいむけた羽生選手を見てみたいです。
私も今回500を越えて始めて書き込みます。
そしてこのプログラムには、ちょっとどう書いていいか分からないくらい涙が溢れてしまいます。
256のdark eyesさん、311のMoeriさんのコメントにとても共感して、また涙してしまいました。
このプログラムの合唱曲としての「旅立ちの時」を、地元の音楽祭で子ども達と歌ったことがあります。
その時のこの曲の解釈について、個人的な考えですが少し書いてみようかと思います。
この曲は、この世界に生まれた。私達で言えばこの日本に生まれたものの持つ宿命。それを背負うもののあり方について書かれているのだと思います。
君の瞳に花開く 夢をかなでる心
風に吹かれる この道さえも 星明りに照らされ
今 ただ一人歩こう
ここでいう「夢」とは私達を歩ませる原動力としての夢の意味と。
その後の歌詞をみるともう一つの切ない意味に気がつきます。
争いの日々を乗り越えて 青空に歌う時
かけがえのない命のはてに 名もない花を咲かそう
虹色の彼方に語りかけるこの時 微笑みながら振り向かずに
夢をつかむ者たちよ 君だけの花を咲かせよう
この「星明かり」「虹色の彼方」は死者を暗示しているように思います。人は死んだらお星様になる、虹の橋を渡るなどと使われるように。
ならばその
亡くなった人たちにとっての「夢」とは?
「生きる」ということではないでしょうか。
ただ生きたい。愛する人たちと生きていきたい。でもそれが途方もない夢だった時代があって、その時代を乗り越えてもふいに災害で奪われる。
そして残された人は地獄におとされる。同じ地獄ならその生き地獄より愛する人のいるあの世へいきたいと思うのは、まぁ普通の感情でしょう。
だけど、そんな心を癒してくれるのもまた、その死者であったりしますね。
その人に愛された、愛した普通の日常の記憶に癒され、遠くから守られていると感じる。
515の続きです
この歌の中に、私の一番好きな風景が描かれています。
それは夜明け前です。
真っ暗な世界の星の瞬きは私たちを優しく癒してくれます。だけどそろそろ目を覚まさないといけない。
そうすると水平線に1本の金の筋がすっと引かれて、世界が輪郭を取り戻す。
なんとも優しい紫やオレンジとともに、世界は美しいということを教えてくれます。
私達はそのまばゆい光をとりこんで生きる力を取り戻す。
ホワイトレジェンドもこの夜明け前を感じる衣装。時間帯を思わせます。
この前の24時間テレビのホワイトレジェンドを見ながら、
ああそうか。
どうしてあんなにも羽生さんが金メダルを求めたのか。
彼はわかっていたんだ。
その金メダルが、夜明けをつれてくる
かわたれ星だってことを。
あの終盤のステップは、私たちは懸命に生きていきますという決意と。だからどうか、どうか見守っていて下さいという彼の…なんだろう祈り?愛?言葉が思いつきません。
あの最後の笑顔ような気持ち。
なんて優しい人なんだろう。でもそれは皆持っている魂だけの心はそういう形なんでしょうね。
先日幼稚園児たちが死んだ猫の赤ちゃんをかわるがわる撫でさすっていて、(ずぶ濡れでこ虫がたかっていました)猫のお母さんを探しに行ってあげよう、お母さんのそばに行かせてあげたいと言っているのをみて、たった数年しか生きていない人間の子供が。喋り出して二、三年しかたっていないような子が、こんな慈しみに満ちた心を持っている。
これは教育などではなくて、私たちのもっている元々の心というのは本来こういう形なんだろうと思いました。そして、死にゆく時に元の心の形に戻るなら、お星様になった人はただただ、私たちを慈しんで見守ってくれているのかもしれません。
516続きです
私たちの国で長らく手習いの最初であった、いろは歌。
美しい花もいずれ散ってしまう。その変化は止められない。はかない夢に酔ったりすまい。
という意味だといいます。そして、縦読みすると「とがなくてしす」なんの罪もなく命を奪われる。
学の最初に教わる言葉の意味がこれというのは、私たちの国、土地の運命のあり方の意味をしのばせられているように感じます。
そして、このホープ&レガシーというブログラムはその命題への返歌となりえるプログラムのように思えます。
私たちは想いを、命を繋いでいく。そこに永遠がある。ということを。
なんか朝っぱらから長々すみません。
かめさん、素敵なコメント興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。
今期の羽生選手の選曲にはショートもフリーも「死と永遠」がテーマの一つになっているように感じます。すごく難しいテーマだと思います。そういったテーマの表現も、今期の羽生選手の新たな「挑戦」なのかもしれないですね。
命の大切さを感じながら、これからも演技をみたいと思います。
とても興味深い内容ありがとうございました。
この衣装にもそういった意味が含まれてるのかもしれませんね。
流れるさん、ほんと人の感想は様々なので、思ったことを書くのでいいと思います。特にまだ新プロはお披露目したばかり。色んな感想が出て当然です。
どれが正解ってこともない。
皆さんの様々な角度からの、様々な反応を知るのは本当に楽しいし、ためになります。
以前にも書きましたが、この曲を聞いてタイトルを知っただけの段階では、また、いわゆる正統派じゃないんだ。いつもの路線で、しかもBGMっぽい曲、ジャンプのためかなあって印象でした、私も。
でも演技を見て勘違いしていたって思いました。
心から伝えたいことがあるのだなあと感じ入った訳です。そして、それを伝える為にはどうすればいいのかがわかってきたのかな、と。
しかし、皆さんの感想を読むとどうやらまだまだ伝わっていないようだから、更に頑張らなくちゃいけませんね。
ところで先日、高橋大輔さん出演のラジオ番組でこのプロが紹介されて、アジアンドリームソングが少し流れました。それを聞いて高橋さんが仰ったことはこうです。
「けっこう強さを出すのが多かった、多いじゃないですか。この曲はちょっとやさしさみたいなものもすごく必要になってくるなという印象が今聞いて思う。そこが出せてきたら幅が広がるのかなと思うので楽しみですね」
高橋君は羽生君の曲、やりたいなっていうのが多いって仰ってましたね。パリ散とか(これは想像出来るw)。SEIMEIも聞いて、おっ、いいなって思ったって。
同番組で紹介された羽生君のコメント。
「テーマもすごく雄大なもので自分自身がストーリーの主人公になろうとかそういうことは関係なく、その曲を感じるままに表現できたらと思っている。今まで溜めてきたものを集結してさらにレベルアップしてやっていこう」
高橋君はビートルズメドレーは癒しながら支えてくれたとも仰ってました。
そう思える曲が必要な時もあるのでしょう。
週末遠出していてこちらに来ないうちにコメントのスピードの速さに驚き、初戦
というのに関心の高さがうかがえます。私も皆さんの感想はためになるし興味深
く読ませいただいております。
私の感想としては、演技に関しては練習ではSP、FPともほぼ完ぺきに出来ていた
のにもかかわらず崩れたのは、怪我の影響もあるかもしれませんが、久しぶりの
試合ということで試合勘というのが取り戻せなかったのかなと思います。
そういう意味ではお試しと、プログラムの確認という意味ではほんとこのオータ
ムに出場してよかったなと。課題が大いに見つかり収穫があったかと思います。
曲に関してはSPはパリ散に似ているというか、昨季のバラ1からガラリと変えて
きたという印象です。change、ハローアイラブユー、ヴァーディゴ、
ジャスティンビーバーの?を観てきたものとしては、ノリノリで踊れる羽生選手
は、寧ろ得意分野を持ってきたなという感じです。このFP曲にしても同じことを
思いました。
振り付けもSP、FPも今までの得意とするものが集結されていて、表現面でも進化
したいのだなと感じました。
本人が言っているようにプログラムとしては挑戦的だと思います。すぐに完成とは
いかないにしてもスケカナ→NHK杯→と徐々に良くなっていくといいなと思ってます。
dark eyesさん 上のラジオのエピソードありがとうございます。
私もdark eyesさんのファンですよ(^^♪
470 ELLYさん、そう言っていただくととても嬉しいです。四字熟語とっても
勉強になります。知的なELLYさん一緒に応援していきましょう(^^)/
皆様のコメントとても興味深く読ませて頂いております!
羽生選手はアスリートであると共に「表現者」であると思っています。
試合に勝つとともにプログラムを通して自分の内面の世界を伝えられることが1番だと思います。
昨年の萬斎さんとの対談を思い出しますが、能や狂言と同じようにフィギュアには「型」がありそれはやはりスケートの技術面だと思います。
まずは「型」を美しく決めること、そしてその「型」に自分なりの解釈をきちんと入れて伝わるように表現することが大事なのだと思います。
優れた芸術作品(音楽や絵画など)と同様に本当に素晴らしい作品はその道の玄人にも全く初見の人にも老若男女、国境を越えて心に響く力があるものだと思います。
羽生選手だからこそ中途半端な妥協や迎合、ことばでの解説などその他の手段による助けを借りての解釈でないもの、つまり作品そのものから直に一人一人の心に訴えるもの、そういうものを作り届けてほしい、と心から願います。
フィギュアスケーターの真実は究極その「演技」にしかない、と私が思うのはそういうことです。
このフリーのプログラムはおそらく根底には「人間」というよりももっと壮大なものがあるのでしょう。あまりご本人からは詳しいことは聞けていませんが、もし「自然」というものを表現したい、ということになればこれまでにない「難曲」になる可能性があるように思います。
中途半端に終われば特別な思い入れや愛情がある人だけには伝わるけどそうでない人には面白みのないものに終わってしまう危険性もあると・・
昨年「和」の世界に足を踏み入れた羽生選手、和の世界における自然の捉え方とはどんなものか・・それが表現できて見る人達の心に響けば成功かも。
ただ・・私はやはりまずは「型」だと思っています。
そういうわけで私自身は現段階でこのプロの感想を書くことの難しさを感じています。
上、感想を書くのが難しいと書きましたが、プロ全体の印象としてはごまかしや甘えの効かない難しい作品だなあ、ということです。
自然に向き合う、ということはそういうことかもしれません。
はじめのうちは今回はどちらかというとSPは表現面にFSは技術面に注目して見て行きたいと思っていましたが、何度かリピートして見るうちにこちらはまず技術面にそしてそれをどう表現に活かして下さるか、ということに注目したいと思うようになりました。
なお感想を書くのが難しいと書きましたが、あくまでも現時点で個人的にそう感じているだけですので、皆様の感想は楽しみにしています!
521.コン吉さん
>演技に関しては練習ではSP、FPともほぼ完ぺきに出来ていた
のにもかかわらず崩れたのは、怪我の影響もあるかもしれませんが、久しぶりの
試合ということで試合勘というのが取り戻せなかったのかなと思います。
納得です。ありがとうございます。
私も「旅立ちの時」の歌詞を読んでみました。その中に
今 地球に生きる者よ 旅立ちの勇気を
という部分があります。
いつかどなたかが羽生選手は「地球儀のように見える」とおっしゃっていたと思うのですが、まさにその通りなのかもしれない、と思えてきました。地球の姿から時に風に吹かれる木々に、時に流れる川のせせらぎへと姿を変えていく。もちろんその中には人間もある。ああ、『生きて』いるんだと感じることができる。同時に、その「命」にはやがて終わりが来る。けれども決してそれは悲観ではない。次に繋がる新たな「宿命」なのだ、と。だから「旅立ちの勇気を」と。そういう印象を受けました。
生命、宇宙、そして地球に生きる万物すべての栄枯盛衰。究極的に羽生選手の表現したいのは、そういったものすべてなのかもしれません。
Da Capo 様
何となくの印象で感想を書くなんて、熱心な方からしたら不届き者かも知れませんが、ずぼらな性格なので、素人目線から皆さんが楽しくお話しされている中に無理矢理入れてもらっています。(汗・笑)
ジェフさんとシェイリーンさんの目線の違い、何故だか想像したのですが、
ジェフさんにはニースのロミオの後、カナダに渡ってパリ散でOPチャンプにしてもらったので、彼のプロデュース能力、アイデアを信頼していて、
シェイリーンさんにはOPチャンプになってから振り付けをお願いし、クライアントである自分のアイデアを形にしてもらう感じなのかなと。そしてそれが昨年大成功したので、そのやり方に間違いは無かったというところでしょうか。
今頃気付いたのですが・・・。(詳しい方、スミマセン・汗)
旧ロミジュリ以降のフリーは全て物語で、SEIMEI以外は全部世界的に有名な楽曲とストーリーだし、SEIMEIもシャーマンの悪霊祓いのお話しなので、誰にでもとっても解り易い。
逆に今回は知られていない楽曲を使うので、有名な楽曲やストーリーの力を借りる事が出来ず、表現する本人の力が無ければとってもしんどいかも。
という事で、素人目線で例えるなら、
今までは世界で味の知られた有名な料理で、はっきりした味付けだったけれど、
今回は上質な薄味で、素材で勝負な和の創作料理。
上質のカツオと昆布で出汁をひいて、羽生さんという一番脂ののった旬の素材で舌鼓をうたせようとしているのに、私の舌がそれについて行ってな~い。残念!
いえいえ流れるさんの舌がついて行っていないのではなくて、まだまだその創作料理が試作途中で仕上がっていない状況なのではないでしょうか?(笑)
この料理、いえこのプロ、レクイエムと似てるようでまたちょっと違う、と上で書きましたが、レクイエムの延長線上「その先」にあるものを表現したいものなのかもしれませんね。
まだ作品として仕上がっていないのでもちろん想像の域を出ることはできませんが、やはり真意を伝えるのに非常に難しいプロになるように思われます。大変だぁ・・!
羽生選手が今回ひどく(これまで以上に)悔しがって自分に怒っていたように見えました。
技術的にとりこぼしがあったことへの悔しさがあっただろうことは容易に想像できますが、この悔しがり方の奥には「これでは自分の思うところを伝えられない。」という悔しさがあったのではないかと私は思います。
確かに一皮、とは言わず10も20もむかなければSP,こちらのFPともにすでに世界のトップスケーターである彼にとっても非常に大きな挑戦なのかもしれませんね。
もう本当にどこまで挑戦し続けるのでしょう。
もし完成できたらまたさらなる高次元スケーターになりそう。
どこまで行けるか・・とても楽しみです。不安や心配以上にやってくれるのではないか、という大きな期待感を持たせてくれるのが羽生選手だと思っています。
まずはジャンプを中心とした技術(型)のとりこぼしは絶対にしたくない、そう考えているのでは、と想像しています。芸術家のような純粋表現者でもありませんから、それで「絶対に勝ちたい!」という気持ちも人一倍強いのでしょう。
スケートカナダが楽しみです!
525.追記(何度もすみません)
「旅立ちの勇気を」に関してですが、もちろん「新たな出発への希望を」という意味も含まれていると思います。衣装のスパンコールがキラキラと、そんな「希望」を表しているように自分には感じられました。
私は以前、このプロ、森羅万象、自然の流れみたいな世界観を表現したいのではないか、と書きました。
個々の振付けには風やら森の木々やら色々なものを表現しようとしている部分があるのでしょうが、全体として浮かぶイメージは水の流れなのです。
かめさんやmagrittemari さんのコメントに似ているかもしれませんが、私がイメージしたものはこんな感じです。
冒頭の部分のイメージは深山に湧き出る泉から流れるせせらぎ。
次に深山幽谷にかかる霧、その霧が聳え立つ木々や下草、シダの葉に集まって葉先で美しい雫になっている。風が吹いて葉が揺れ、雫がポトンと落ちる。雫もまた地下の水脈を通じて泉の水になる。
泉から流れるせせらぎは集まって谷川の水になる。谷川の水はさらに大きな川へ、そしてたゆたう大河は海に通じる。海にふりそそぐ太陽の光で水の粒は蒸発し大気に混じり、風にのり再び深山の霧となる。
こういう大きな循環の中に私たちも生きていて、死んでいくのだけど、この循環の中では個々の死は死ではない。私たちもまた粒に戻って大気に混じり、新しい命の元になっていく。
だからこのプロには死の陰はなく、いろは歌の諦観でもない、ただ、たゆたう大きな流れを私は感じます。そこで生かされていることの恵みも。
なんか宗教臭くて自分でもビックリですが、宗教ではなくて、大きな自然の流れのような世界観と捉えています。
流れるさん、お料理はまだ完成にはほど遠いのだと私も思っています。
でも、ボーンはカナダ人だけど、SEIMEIの振付けの時も東洋の世界観をしっかり理解していたから、今回も神髄を捉えた振付けをしてくれているはずだと思っています。
桔梗さん、私は型には振付けも含まれるのではと感じております。
コン吉さん、私もコン吉さんのコメントがいつも楽しみです。揺るぎない羽生愛と度量の広さを尊敬しています。
やっぱり歌詞のことを長々書くべきじゃなかった気がします。
なんだかすみません。
私が最初にこの曲がフリーのプログラムだと知った時思い浮かべたのは、去年の24時間テレビの福島の合唱団の子たちのことでした。
この曲は合唱でよく使われる曲だから、あの子たちもこれをきっかけにこの歌を歌うといいなぁと思って。
とてもカタルシス効果のある曲で、歌うと心の澱が払われて、光が胸にともる感じがするんですね。
この歌の練習中にこども達が、「歌ってる時に泣きそーになるのをガマンするのが大変だ。悲しいんじゃないのに」って言っていて、私もいい大人だけど同じだよ。そして、こんな気持ちを言葉に変換する能力はないよ。音楽って凄いよねってお話ししてました。
羽生さんも同じように、羽生さん自身がこの曲に癒される…というとちょっと違うな、滑るたびに再生の力がみなぎると良いなーと思っています。
そう。私は完全にオカン型ファンなのです。
507でコメントされたdark、eyesさんの言葉
あーそう言う事だったのかなって良く見てらっしゃるなと感心致しました
初め見て思ったのは凄く綺麗なステップで私もここの所は大好きです。でも長いと思ったんですこれだけ長いと後のジャンプが大変じゃ無いのかなって、単純に思ってました
dark,eyesさんのジャンプ以外の所にも気を配って丁寧にしてるって言われてそういう事だったのかって納得致しました
今度のスケカナまで羽生君がどれだけ自分の物にして来るのか本当に楽しみにして
又羽生君の持ち味の品のある七変化どんな風に化けてくれるのか、ショート同様楽しみにしてます
なんかもう忘れかけていたけど、今回の試合は「史上初ジャンプの成功で歴史に名を残す」という野望をまた1つ達成した、ということでよろしいのではないかと。しっかし、ファンが偉業を忘れて次を期待している、偉業がゴールではなくホントにただの通過点にしかファンが感じていないなんて、なんて凄い選手だろう。
SPでは演技直後に失敗した4Sの場所を確認し、FPではキスクラでなんか数えて計算してる、自分の想像以上に跳べなくってきっと相当に悔しかったんでしょうね(それでもスピン・ステップは取りこぼしなくって流石)。病みあがりなのにね。
まだまだアスリートとしての(ヨコシマな)部分に夢中みたいな感じがするので、表現者としての部分を観ることができるのはもうチョットだけ先かもしれない感じがしました。
417.「裸」→「裸同然」
繰り返しの表現をさけたくて、うっかり使ってしましました。訂正致します。
ちなみにワタシ、”プリンスの音楽”と”ユヅのスケート”大好き人間ですが、”彼らのヌード”には全く興味ありませーん。(ユヅ、ゴメン!これだけは一歩もユヅれない。)
かめ様
お久ぶりです。
私もオカンモードになる時あります。
かめさんのように教養高い慈母ではなく、ナニー系のオカンです。
ベビー羽生とベビー昌磨を双子のバギーで公園に散歩連れて行って、日向ぼっこさせたいわ~!
dark eyes さん、そうですね。確かに振り付けも「型」に含まれる場合があるとは思います。
ただ私は「型」というものは本来個人の思い、主観的なものは含まないもの、その世界独自の表現法として客観性を持って長い間継承され伝統として定着しさらに受け継がれていくもの、と捉えています。
日本の能や狂言、また茶道などはまさにほとんど100%に近いものが「型」で作られています。萬斎氏が「型のあるものの宿命」という言葉を使っていましたが、フィギュアスケートにおいての「型」とは何かと考えた場合、フィギュアの伝統の中でどの選手に対しても「客観的基準」に基づいて審査される部分ではないかと考えます。つまり客観的審査基準に基づき得点が得られる部分です。
それぞれの技術には基礎点があります。
それぞれのジャンプにも基礎点が決まっていて、そこから出来によって加点や減点がされるということでしょう。
そういうフィギュアが歴史の中で客観性に基づいて作り上げてきた基準に基づく部分、それがフィギュアの「型」であり私はどれほど個人にとって主観的に芸術性が高く見える演技であっても試合ではその部分がクリアされない以上競技のプログラムとしては認められないと思います。ですからまず「型」を、ということを書かせて頂いたのです。
羽生選手が目指すのはまずこの「型」の部分のレベルが尋常でなく高いのですが。
SEIMEIの最初の部分、あのポーズに萬斎さんはこだわりました。
なぜかというとフィギュアにとってはあれは「振り付け」ですが、狂言師にとってはすでに決まっている「型」だから気になったのだと思います。
「型」にはまず徹底的な形の正確さ(鍛錬による技術が必要)が求められ、その上そこにどんな意味を持たせるか、が演者の力量だと思います。
羽生選手は昨季のあの対談やSEIMEIから何かを得、今季の演技にも活かしてくれると私は思っています。
「型」にこだわってしまいましたが、結局今回羽生選手が4Loで認定を受けた、ということはフィギュアの歴史や伝統の中で一つの新しい「型」を彼が形として仕上げた、ということなのだと思います。
ご自身がそれをどう考えようと、今後競技に出る全ての選手に対しての「客観的基準」を作った、ということ、それはフィギュアの歴史を考えた場合非常に大きな出来事なのだと思います。宇野選手の4F認定も同じ。日本選手、すごいです!!
桔梗様
こんばんは。
覚えておられなくて当然だと思うのですが、
ずっと前にもここのコメント欄で、桔梗さんにお話しさせてもらっていた者です。
いつも広い視野から高い見識をもってコメントされ,しかも周りの方に常に心配りを忘れず、素敵なお人柄は相変わらずで、嬉しくなりました。
羽生ファンの方は良くご存知と思うのですが、私は知らないのでお聞きします。
「型」についてなのですが、クリケットではバレエはトレーニングのメニューに無いのかなとすごく不思議でした。
ヨガ・ピラティス・ストリート系のダンスをする羽生さんは見た事あるのですが、スケーティングではなく、フィギュアの身体の動かし方の基本であるバレエをしているのを見たことが無いので不思議で仕方ありませんでした。
私は「型」って植物の種みたいにイメージするんですけど、
正岡子規が持ち帰ったベースボールという「型」が日本の国民的スポーツの野球としてしっかり定着したように、イギリスの貴族が始めたフィギュアという「型」もすっかり日本のフィギュアになって花開いて面白いなぁって。
それで足元だけではなく、身体の動きもバレエという「型」にはめて、そこからこぼれおちる羽生さんらしさが見たかったなと思うのですが。
もちろん羽生選手は世界トップのスケーターの一人で、既に素晴らしいのですが、バレエという「型」にはめたらもっと美しいのではないのかなと思ってしまうのです。
桔梗様
535のこのコメントでフィギュアの「型」が解りました。やっぱりバレエはフィギュアの「型」がきちんと出来てこそですね。
>フィギュアが歴史の中で客観性に基づいて作り上げてきた基準に基づく部分、それがフィギュアの「型」であり私はどれほど個人にとって主観的に芸術性が高く見える演技であっても試合ではその部分がクリアされない以上競技のプログラムとしては認められないと思います。ですからまず「型」を、ということを書かせて頂いたのです。
羽生選手が目指すのはまずこの「型」の部分のレベルが尋常でなく高いのですが。
もえさん
羽生くんのFSはジュニア最終年くらいから大技2本の後、3本目が3Fでその後スピン又はステップっていう構成が続いてたのです。
(ノートルダムの初期は違うのですが、結局戻したので。)
だから、今回ステップの後に3Fを持ってきたのにはかなりビックリ&新鮮でした。
ステップにもとても気持ちを込めていたし(そこで頑張りすぎて後のスタミナが続かなかった感も)、Moeriさんも仰ってますが、ステップから自然に繋がる3Fへの流れは非常に美しいですよね。
後半までほんの少しなのに、なぜか後半に3Fを置いていないのは、曲との同調を考えてのことだと思いますし、ある意味点よりも表現を優先したようにも取れました。(変えちゃうかもしれないけど)
その後も振付けを抜かないでやっているように見えました。3Aの入りもまた凄いですね。
桔梗さん
詳しくご説明頂きありがとうございました。
型について、客観的基準に基づくもの、という解釈はよくわかります。
たしかにオータムの演技の後半は明らかにスタミナ切れで、桔梗さんの仰るフィギュアの型にはなっていないかも。
個人的には型に至ってないと感じた演技としてすぐに思い浮かんだのは、2014COCでした。
ところで先日、萬斎さんが息子さんに指導している姿がTVで紹介されていましたが、その厳しさに型を身体で覚えて伝えていかなくてはいけない宿命への覚悟を感じました。
また万作さんの舞台を拝見した時には、「型」を極めた姿とはかくも自然でまろやかな表現を生むのか、と感動致しました。
徹底的な鍛錬によって代々正確に伝えられてきたということは、私たちは室町時代の表現を見ているということですが、型によってその表現は普遍性と不変性を獲得するのだと理解しています。
その不変性と普遍性を極めた先には万作さんの見せるような演技があるのでしょうね。
すみません、続きます。
萬斎さんがSEIMEIの冒頭の振付けを指導した部分に言及しておられますね。
まさにあの同じ場面で、私は型とは振付けも含むのでは、と感じたのです。
萬斎さんは「型の意味を考えなさい」と仰いました。
映画でやっていたポーズをそのまま真似するのではなく(つまり型をそのままやるのではなく)、どうしてそのポーズが必要なのか、それが何を伝えるものなのか、どんな意味がそのポーズにあるのか考えておやりなさい、と私は受け取ったわけです。
映画のポーズは萬斎さんが陰陽師の方の指導を受けて考案なさったと聞いています。
陰陽道にもあのようなポーズはないそうです。
つまり、悪い言い方をすると「なんちゃって陰陽師のポーズ」とも言えるわけです。
でも、それが「なんちゃって」にならず、説得力を持つポーズとなったのは、萬斎さんがあのポーズに必然性を持たせる意味をこめたからでしょう。
というのが私の解釈でした。
と書いたからといって桔梗さんの解釈が違うと言っているわけではありません。
桔梗さんも振付けも含まれる場合があると書いておられるように、フィギュアに於いてはどっちも「型」と言えるものだと思います。
どちらに主眼を置いて見るかの違いだと思っています。
話は変わりますが、フィギュアにはある意味「なんちゃって」の部分が沢山ありますね。(だらけといってもいい)
曲は名曲でもつぎはぎだし、短くしちゃうし、バレエっぽいけどバレエでもない、ダンスっぽいけどダンスでもない。
フィギュアは「本質であるスケート技術」+「なんちゃって」の寄せ集めかもしれないけど、曲なしで表現もなしで、と考えると、やはり感動を味わうことは難しいでしょうね。
他方でフィギュアでしか成し得ない表現も絶対にある。
非常に過酷なスポーツの部分もある。
つくづく不思議な競技だと思います。
540.dark eyes さん
>フィギュアは「本質であるスケート技術」+「なんちゃって」の寄せ集めかもしれないけど曲なしで表現もなしでと考えるとやはり感動を味わうことは難しいでしょうね
なるほど、”お茶の間ユヅファン”の私としては、dark eyesさんのコメントで自分は”なんちゃってファン”であると、ハッキリと自覚することができました。
私のようなファンは、彼のスケートに”感動”の部分を大変多く求めておりまして、この感動というのは”スカッ”とするものや、”キュン”とするもの、”せつなくなる”もの等、すべて含まれます。決して「号泣した~!」のような、類のものばかりではありません。
もちろんフィギアスケートはスポーツ(勝負事)なので、やるからには勝ちにこだわるべきだし、又勝たなければ意味がないとも思っています。
ただ私のような”印象派の人間”は、選手が演じ終えたあとの印象が、やはり何より”重要”なのです。(ちなみにワタシには、プロトコルなどの表はハングル文字にしか見えませーん。但し試合後の解説者の話や、新聞等で事実確認はしております。)
私自身、物言(絵画鑑賞含む)をみるときに、先入観をもつのを何よりも恐れているところがありまして、余分な情報が頭を占めてしまうと、もう全く想像の余地が無くなり、「何かすごいことやってるみたいだけど???」その後、余韻を楽しむことなども、無くなってしまうのです。
私が彼の選曲や衣装に拘るのはその為です(最初の段階のみ)。振付、技術等はやはり専門家にお任せします、といった具合です。
決してユヅに”大衆迎合”してほしいとは思いませんが、こんな”お茶の間、なんちゃってファン”もいるよ、と伝えたくて..。
最後に「本質であるスケート技術」+「なんちゃって」の部分ですが、私なりに「フィギアという究極のパントマイム(音あり)」と解釈させて頂きました。 ありがと♪
R&Bさん
私がなんちゃってって書いたのは、なんちゃってオペラ、なんちゃってバレエみたいな意味で書いたのであって、なんちゃってファンのことではないのです。
例えばバラード1番に思い入れのある人なら、何でああいう部分だけ切り取って作っちゃったし(怒)と思うかもしれないし、バレエに詳しい方なら、もっとここをバレエ的にすればいいのに、と思うだろうし、という意味でのなんちゃってです。
でも、私はフィギュアのなんちゃって感をマイナスに捉えているわけでもないです。
それは映画のなんちゃって陰陽師のポーズが説得力を持った表現になりうるのと同じように、編曲、振付け、衣装、そして演技者の力量、技術力によって、スケートでしかなし得ない表現と合わさったハイブリッドな表現というか、元の音楽なりダンスなりのエッセンスを取り出して再構築し、4分30秒に凝縮して見せることができる、或は別の切り口からの表現を見せる事ができると思っているからです。
なんちゃってファンについてですが、私自身も素人目線で思いっきり印象で語っているではないですか。イメージとか。R&Bさんと同じです。
大衆迎合、というと少し語弊がありますが、結局、どんな高尚なことを表現しようとしても、伝わらなかったら何にもならないわけで、普通のお茶の間ファンが見て、ああ感動したって思える演技が一番いいに決まってます。
ただ、技術的な側面はR&Bさんも仰っているように、スポーツの世界の勝負事である以上は大変重要ですよね。
きれいに着氷したと思っても回転不足だったり、エッジのエラーがあったり。
プロトコルのTESを見ればこれらはわかります。
PCSはイマイチ素人にはわかりにくいです。
でもプロトコルを見たい人は見ればいいし、興味ない人は見なくて問題ないですよね。
勝ち負けにこだわるようになると見ざるを得なくなるかもしれないですが。
「型」のお話、実に興味深いです。研鑽され受け継がれてきた技術体系あるいは決まり事が「型」でしょうか。ジャンプなら6種のジャンプ、ステップならシャッセ、モホーク、チョクトー等、ターンならブラケット、カウンター、ロッカー、スピンならビールマン、レイバック、ウィンドミルなど。そして芸術表現って生まれもっての資質や魂が全てではなくベースに技術があってこそかもしれないってことでしょうか。バレエや舞踏、もしかしたら音楽や絵画、小説ですらもそんなところがあるのかもしれませんね。
「なんちゃっての寄せ集め」のお話も実に興味深いです。他の記事でも一時話題になりましたが、大輔の「道」の主人公は女の子だし、メド子の「英国王冠をかけた恋」は耳が聞こえないとか関係ないし。SEIMEIだってもとは映画でそのもとは小説。それらとどれほどかけ離れているか。
dark eyesさん
最後の「なんちゃって」の部分を、「感動ポイント」とお茶の間ファンの私にとって都合よく解釈してしまいまいた(笑)
dark eyesさんの「なんちゃってクラシック」、わかります。確かに”バラード1番”に思い入れのある私自身も、毎回ユヅのSP観る度、「えー!これで終わっちゃうのー」と不完全燃焼ぎみでしたし..いつかアイスショーなどで、ユヅの「”バラード1番”完全版」(福間さん生演奏)ぜひ、観たいですね。
>イメージとか。R&Bさんと同じです。
これは全く、理解できません。これでワタシの中の”dark eyes様の像”が一気に崩れ去りましたー。でも、今ならまだ間に合います(笑)
>普通のお茶の間ファンが見て、ああ感動したって思える演技が一番いいに決まってます。
このコメント、全国の”フィギアお茶の間ファン”が知ったら、泣いて喜ぶかもしれません(小躍りつき) ”dark eyes フィギアお茶の間ファンの救世主、現る”かな。
>編曲、振付け、衣装、そして演技者の力量、技術力によって、スケートでしかなし得ない表現と合わさったハイブリッドな表現というか、元の音楽なりダンスなりのエッセンスを取り出して再構築し、4分30秒に凝縮して見せることができる、或は別の切り口からの表現を見せる事ができると思っているからです。
このフレーズに大変共感しまして、「フィギアという究極のパントマイム(音あり)」などと、またまた、テキトーキャッチコピーが浮かんでしましました。(既出だったら、ごめんなさい。) 結局、文化・芸術などというものは、互いに共鳴しあって作り上げられていくものなのかもしれません。
基本私のコメントは、”ユヅへの応援メッセージ”のつもりで書いている為、皆様のコメントとは違い”完成度の大変低いもの”と自覚していますが、それでもたまに共鳴しあえると、やはり嬉しいものですね。 ありがと♪
「なんちゃって」の寄せ集めの話、大変興味深いです。
「なんちゃって」だけど、「本質であるスケート技術」+「なんちゃって」がうまく融合したときこそ、そこから深い感動を得ることができる。本当に不思議なスポーツですね。
フィギュアの「なんちゃって」の本質は、氷の上での表現、というところにあるのかな、と個人的には思いました。ダンス的であったり、バレエ的であったりする動きも、エッジを使って表現する。そこにフィギュアならではの「美」を感じるのかな、と思います。
また、時間が4分30秒と限られているからこその、凝縮された美しさ。一つのダイナミクス(ストーリーとは限らない)がその短い時間でこそ生かされるのかな、とも。
いずれにせよ、面白いスポーツですよね。本当に、はまって見てしまいます。
dark eyes さん
「型」についてのお考えよくわかりました。
確かに広義の意味、またはフィギュアスケートの独自性を考えた上でフィギュアの「型」には振り付けも含まれる、というお考え理解できます。
型(技術)に「必然的な意味を持たせる」もの、それがフィギュアにおける「振り付け」でありそれがあってこそはじめてフィギュアの作品としての完全な「型」になる、ということなのかなと思います。
私は萬斎さんは昨季の対談では羽生選手を世界一のトップスケーターとして「型」(これは振り付けを含まない意味での純粋技術の意味で)はもう完璧に出来ている人、その道の達人として敬意をもって話をしていると思います。つまり萬斎さんがお子さんに教え込んでいるような「型」はもうフィギュア界ではマスター済みの人である、ということがあくまでも前提の対談。その上で「表現者」としての一つのアドバイスを提示してくれていてそれこそが「型に意味を持たせる」ということなのだと思います。
ただ「意味を持たせる」というのはそれぞれの主観が働かなければできません。
その意味で私は歴史や伝統の中で万人に対して意味以前の普遍的、客観的な「極まった形」として主観の入る余地のない部分を「型」と考えているのです。
ただdark eyes さんがおっしゃる意味=「必然性」を持つ振り付けがなければやはりフィギュアの作品にはならない、と仰るのもよくわかります。「必然」かどうか、が鍵になるかもしれません。
私は「型」というのは歴史の中で洗練を極めた結果本来そこに何の個人的解釈を加えずとも実はもうそれだけで極まった美が凝縮されているものと考えます。
例えば完璧なジャンプはもうそれだけでたとえそこに意味がなくてももう形として感動を呼ぶ美しさがあると思うのです。
鍛錬したアスリートの肉体がそこに存在するだけで「美しい」のと似た感覚です。
(つづきます)
(つづきです。)
私達にはフィギュアには音楽があり振り付けまたはそれに加え美しい衣装などがあるから美しい、という一つの先入観はないでしょうか?今回フィン杯のネイサン選手の演技を見てそんなことをつくづくと考えてしまいました。
もし全くの静寂の中、4回転の全ての種類を完璧に決めすべてレベル4の技術でそれをつなぐ、というような究極の技術を目の当たりにしたら人はもうそれだけで涙するほど感動する可能性もあるのでは、と思いました。
たとえそこに音楽やきらびやかな衣装がなかったとしても。
いえ、でもそれはなかなか困難でしょうから中途半端なものを見せられるよりは音楽や美しい振り付けがあったほうがやはりフィギュアらしい、ということなのだとは思いますが。
でもネイサン選手の演技などを見るともしかしたらただ4回転ジャンプ多数の流れ、と言うことだけではなくフィギュアにはまだまだ違った観点からの可能性も隠れているのかも、とふと思ったのです。
なお、羽生選手の今回のこのフリーみたいなプロは与えられたり自ら考えた振り付けを美しくこなすことは必須にしても、実はあまり個人的思い入れや感情を前面に出さず、むしろ無心に「型」を追求することで逆にプロとしての無限の広がりを持つ(人為を含まぬ森羅万象、時の流れのような)表現をどんな人々に届けることができる、完成したらそんなプロになるように少し感じています。
丁寧なステップなどはそういう志もあるのかも。
羽生選手がこれまでのような、あるいは今回のSPのようなある意味「人間」的なものでないプロを今季のフリーに選んだ、ということにはこれまでとは違うなんらかの意図や意味があるのでは、と思うのです。
案外技術に集中しやすいプロでそれが完成できれば表現としても壮大で美しいものになりえる、と考えることはできないでしょうか?
544.
自覚しています→認識しています
訂正します。
(さらに連投お許しください。)
「なんちゃって」・・・ほんとうにそうだと思います!
でもすべてのものは皆「なんちゃって」の要素ありますよね。
日本文化なんてそれの最たるもの。臨機応援、大らかに外国の文化を古来からどんどん取り入れてそれをうまい具合に元からあったものやそれまでの文化とミックスしながら実に洗練された独自のものを生み出してきたのだと思います。
柔軟性のあるものには可能性が大きいものですね。
やはりフィギュアにもまた驚くような何か新しい要素が「なんちゃって」から広がっていくかも。
「型」に関しても大変いろいろ興味深く読ませて頂いております。
6分間練習では、まさに「型(桔梗さんの定義による)」の見所ですよね。美しいジャンプ、スピンを決めたらみなそれに対して拍手喝采する。
やはり美しい「型」はそれそのもので「美しい」のだ、と私も思いました。
フィギュアの可能性は本当に深いですね。
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