カナダ・トロントで練習を公開し、平昌五輪シーズンのフリープログラムを発表した羽生結弦のニュース動画です。
フィギュアスケート14年ソチ五輪金メダリスト羽生結弦(22=ANA)の今季フリープログラムが、15-16年シーズン「SEIMEI」の再演となることが8日(日本時間9日)、カナダ・トロントで行われた公開練習で発表された。既にアイスショーで披露している新ショートプログラム(SP)も14-15、15-16年に使用した「バラード第1番」の再演。五輪でSP、フリーともに過去のプログラムを滑るのは極めて異例。世界最高得点を出した得意の曲で、66年ぶりとなる連覇に挑む。
平安時代の「陰陽師(おんみょうじ)」安倍晴明をテーマとした「SEIMEI」は、自ら選んだ思い入れのあるプログラムだ。狩衣(かりぎぬ)をイメージした衣装に加え、振り付けにも能や狂言を研究して日本の伝統を取り入れた。過去に日本人トップスケーターらも和風プログラムに挑んできたが、国際舞台ではなかなか評価されにくかった。だが、羽生は15年のNHK杯で当時の世界最高得点となる216・07点をマーク。続くグランプリ(GP)ファイナルではさらに219・48点と記録を塗り替え、世界に「和」を認めさせた。
2季前は4回転ジャンプが2種類3本だったが、昨季4回転ループという新たな武器を加え、フリーでは3種類4本が出来るようになった。「SEIMEI」で4回転ジャンプ4本を成功させれば、自ずと技術点は引き上がる。
見慣れたプログラムという懸念について、羽生を指導するブライアン・オーサーコーチ(55)は「それはない」と否定した。「誰が見ても、いいなぁと思うプログラムだし、振り付けも新しくなっている。ただ、レベルを引き上げる必要はある」。2度目の「SEIMEI」をいかに進化させるか。五輪に向けて、新たな挑戦が始まる。
(2017年8月9日掲載 日刊スポーツ「羽生結弦、今季フリーは「SEIMEI」再演に決定」より)
“羽生結弦 平昌五輪シーズンFSプログラム発表「陰陽師」 (2017/8/9-10)” への450件のコメント
ごめんなさい、ゴゴレフ君、JGPはまだ出場出来ないかも。
12歳で2017年のカナダのジュニア王者になったみたいですが、国際大会ではまだジュニアで出場は無理みたいです。
190観戦者さまの
>観る前から勝手に妄想に耽って懊悩するのは、思春期の青少年に許される形而上的擬似恋愛の変型。
愛は憎悪も呼ぶので、アスリート羽生のファンでいてくださるなら、そこから解脱することをお勧めします。
含蓄のあるお言葉と思いながら、解脱するのは、自分としては到底無理かとおもうのです。
なぜなら、分別のある大人であるからこそ、思春期の青少年に許される形而上的擬似恋愛の変型をフィギュアスケートに求めてしまうものなのです。
私の場合、選手個人の心理面や、コーチや振り付け師との関係性にも興味があり、あれこれ想像することも含めてフィギュアスケートの楽しみなのです。
純粋にスポーツあるいは芸術として見ているファンが一等市民とすれば、このようなファンは二等市民かもしれませんが、存在そのものは認められるべきかと。(陰謀論者は論外として)
これは日本特有の現象かもしれませんが、このようなファンによって経済的にも日本のフィギュア界が成り立っているのなら、別に悪いことでもないかなとも思います。
ちなみに、羽生選手は人格的にも、いろいろ想像を駆り立ててくれる希有な存在ですが、演技だけなら他にも好きな選手はたくさんいるので、愛憎の域まで行ける自信はありません。
189あめんぼうさん、
こちらこそ有難うございます。すごいコメ数が伸びてて驚いています。
想像、妄想大いに結構ではありませんか?
このコメの流れを見るとパスカル氏の名言が今更ながら沁みます。
「人間は考える葦である」 「思考が人間の偉大さをなす」
179 あめんぼうさんのコメントに対して
ここ2~3年の急激な男子シングルの進化について、
失礼ながら横から書き込みさせていただきましたが、私も詳しくない為、
皆さんが挙げてある選手の事は、記憶にはありましたがあいまいな記憶
なので書くのを控えましたが、Da Capoさん、 桔梗さん、 のこさん、dark eyesさん が詳細に書いてくださいました。お陰様で勉強になりました。色々な情報、ご意見が続々投稿されてて興奮気味です。笑 あまりに素晴らしいので皆様のコメントを保存させて頂きました。後で読みたいので。(今、一日の疲れで頭が白旗振ってる状態です。笑)
バンクーバー後に焦点を絞って考えると、191Da Capoさんが仰る様に
「クワド時代へと扉を開いたキーパーソンは やはりパトリック選手ではないかな・・」のような気がしますね。超えなくてはならないとてつもなく大きな選手でした。そこに羽生選手という天才が出現して競い合ってソチでは羽生選手が金メダルを取り、フィギュアスケート界はソチ後は、羽生選手を中心に新たな潮流の真っ只中にあるという感じになっています。オーサー門下生のナム選手がボーヤン選手に勝って優勝した2013-2014ジュニアワールド、その頃から一緒に戦っていたネイサン、宇野、他、191Da Capoさんが挙げてくださってる今注目の若手選手やコーチ等は、早くからクワド複数時代の到来を肌身で感じていたでしょうね。
そして、やっぱり、この急激な男子シングルの進化の最大のキーパーソンはボーヤン選手だったのではないですかね。試合できっちり決めて来たボーヤン選手の出現によって、クワド複数種類の「必要性」が現実味を帯びて認識され、誰もが本気出して取り組み始めた結果のように想います。
196dark eyesさんが書かれてるこちらの内容を、頷きつつ読ませていただきました。↓
「ボーヤンは皆さん仰っているように、ジュニアの時から4Sも4Tも跳べたので、3種クワドを頼れる武器にできるわけですから、FSでクワド5本が可能になった。しかも基礎点のとても高い4Lzを入れて。これは脅威ですよ。3種目のクワド投入を視野に入れている選手は羽生選手自身(4Loは大分前から練習していたし、成功もしていましたよね)を含めて割といましたが、試合に入れるほどの必要性(クワドは心身への負担が非常に重いので)はそれまではなかったけれど、入れていかないといけないかも、という流れになっていったのでは、と思います。
それから2016年春に昌磨くんが4Fに成功し、即座に投入し、安定。
4Loに羽生選手が成功、安定。ネイサンが4種クワドひっさげてシニアに上がってきて、今に至るという感じでしょうか。」
ちょっと目がしょぼしょぼになって・・限界です。
また後ほど。有難うございました。
202番 あおら様
はじめまして。
興味深くコメントを読みました。
ご指摘の部分は、特定の方を念頭においた発言ではないつもりでしたが、今回折角反応して下さったので改めてあおら様のコメントを確認致しました。
其れを踏まえた感想は、以下の通りです。
ルールに抵触しない限り、何を発言するかは基本的に自由。
あおら様の心にある羽生選手は、あおら様だけのものです。
どうぞ、お心の向くままフィギュアスケートを存分に楽しんでください。
明確に申し上げたい。
ファンに一等も二等もなく、ここは非常に知識のある方から自分のようなライトなファンまで守備範囲が広いのが良いところ。
クワドに関する皆さんのコメントは、ワクワクしますね。
楽しんだもの勝ちです。
誰にも貴方の希求を阻止する権利は有りません。
ただ…離見の見というか、客観的に自己の立ち姿を省みる姿勢は我々ファンにも必要な資質だと考えます。
あおら様の自由を尊重しつつ、169番のコメントを読み、妄想を気持ち悪く思う自分の気持ちにも正直でありたいと存じます。
あおら様の妄執である、羽生選手とコーチの心理戦に戦慄を覚えた事を率直に告白しなくてはなりません。
欲望を播種する自由という名の厄介な毒。
その後妄想は成仏されたそうで、安心致しました。
敢えて申し添えるなら、
>このようなファンによって経済的にも日本のフィギュア界が成り立っているのなら、別にわるいことでもないかなとも思います。
との、貴方の発言は違和感を覚えます。
日本のフィギュアスケートが活況を呈しているのは、過去から現在に至るまで、多くの個性豊かな強い選手の活躍と、それを支えた業界内外の指導者、スタッフ、ボランティア関係者の努力に依るものです。
選手が結果を出すから、予算もつきスポンサーも現れ一般に広く親しまれるのです。
当然、其処にはファンも重要な役割を果たしたことは言うまでもありません。
しかし、ご自分の嗜好スタイルをファンの核心と位置付け、経済的に日本のフィギュア界を成立させていると思う時点で事実誤認があります。
現行ルール最後の五輪。
次々アップされる管理人様に感謝しつつ、私もフィギュアスケートをじっくり楽しみたいと思います。
193桔梗さんが、何故かとっても可愛く感じました。
私には羽生選手はガラスのハートを涼やかでにこやかな表情の下に幾重にも隠して、一点の曇りさえ見せず孤高の頂に踏ん張って立ってるように見えます。もしかしたら作り上げられた「羽生結弦」像とのギャップとのせめぎ合いもあるかも。時としてその言動は痛々しくさえ感じます。
ただ、理知的で大胆であれだけ快活ですものね 笑 悲愴感は全くありませんが。私なんぞには到底書けないコメントで、その毀れる愛のキラキラ感にノックアウトされました。このスレ、かなりシビアな話題で埋まりましたから、これって、桔梗さんからのこの時期の羽生選手へ捧げるとっておきラブレターなのでは?と想ってしまいました。
という感想です。また余計な事 書いてしまいました。
失礼をお許し下さい。
観戦者様
>羽生選手とコーチの心理戦に戦慄を覚えた
なるほど、でしたら最初からそのようにご意見いただきたかったです。
たぶん、その場合、反応はしなかったかと。
感じ方は人それぞれの経験知なので、、、
むしろ、このような場で、自由にコメントしずらい状況が作られることの方を危惧しておりましたので、少々、脚色してコメントさせてもらいました。
>日本のフィギュアスケートが活況を呈しているのは、過去から現在に至るまで、多くの個性豊かな強い選手の活躍と、それを支えた業界内外の指導者、スタッフ、ボランティア関係者の努力に依るものです。
選手が結果を出すから、予算もつきスポンサーも現れ一般に広く親しまれるのです。
全く、そのとおりです。わたしは、ある一面のみを見て語っていた思います。
桔梗さん、あなたこそ「美」と「芸術」をごっちゃまぜにしているのではないですか?「美」なら大自然の絶景、昆虫の電顕写真、工業製品、所作や技術体系などにも見い出せます。バレエや歌舞伎などの「芸能」を「芸術」まで引き上げるには表現する者の「心」の在りようが肝要だと思います。その「心」が「勝ちに行く」に大きくシフトしている以上は「芸術」ではないと思います。勝つための手段は「芸術ではありません。もちろん私は羽生君をアスリートとしてとても尊敬して応援しています。
それから話は変わりますが、スポーツにおいて経緯や戦術をあれこれ想像したりするのはこれこそスポーツの醍醐味の1つでしょう。妄想は謙遜でしょう。誰もが詳細な報道を全てチェックしているわけではないのですから事実と違うなら(ジェフの発言は発言自体は事実ではあるけども内容が真実かどうかなんて誰にもわかりませんが)やんわり違うよと言えばいいだけの話。「以上妄想タイム終了」なんてキツイ言い方必要ですかね?だったらね、よくある羽生君の衣装をこうしたらいいとか人格がどうのこうのなんて余談こそみんな妄想ですよ。
真4回転時代を切り開いたのは間違いなくボーヤンでしょう。LPに4回転3本は本田さんの旧4回転時代にすでにやられていたこと。SPとLP合わせて4回転6本跳んだのはボーヤンですから。ルール上3種の4回転がないと無理ですからそれを初めて実戦装備したボーヤンが真4回転時代を切り開いたと思います。それからネイサンですかね。4CCでは羽生君がジャンプで劣りPCSで挽回できずに若手に初めて負けた。トップに立つにはもはや3種以上の4回転が必須という真4回転時代の幕開け。
羽生君は予見はしてたし準備もしてたけど(アクシデントや手術や怪我もあり)遅れた。真4回転時代の到来が想像以上に早かった。私はGPFよりもNHK杯の世界最高得点の演技の方が真4回転時代に取り残されまいという羽生君の悲壮なまでの意地というか魂が見受けられてドラマチックで大好きです。
前にもコメントしましたが、4回転ジャンプの歴史はこちらにまとめられています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Quad_(figure_skating)
4T が演技に取り入れてから、4Sも加わって一度大きな4回転時代が来ました。その後バンクーバー五輪に向けた4年間で一度低迷しましたが、羽生選手がシニアデビューした2010-2011シーズンに、チャン選手の演技やレイノルズ選手の2種類の4回転ジャンプのSP演技などで、再びその扉が大きく開かれました。
5種類の4回転ジャンプについては、管理人様の記事、
「羽生結弦 中国杯2011 フリー演技」
の2011.11.10 のコメントで紹介されている International Figure Skating の記事「Yuzuru Hanyu Rises From the Ashes」の中で羽生選手が、
「My goals for the future are to land all quad jumps in competition. I would like to learn even the quad Axel.」
と答えてますね。おそらくこれが世界に向かって羽生選手の野望が紹介された最初の記事でしょう。選手でこれを明確に目指すと言った人もその時点では聞いた事がありませんでした。このシーズン終了後にカナダのクリケットクラブに入ったのも、4Sを跳ぶフェルナンデス選手がいたからですので、野望実現の第一歩だったと思います。
4Lo に関しては管理人様の、
「羽生結弦 2つのつぶやき (2015/4/18)」
「羽生結弦が超大技に成功!4回転ループ+トリプルアクセル (2015/4/19-20)」
の記事のコメントなどにEXの練習中に挑戦している姿を確認できるので、怪我や手術があったことを考えると、ソチ五輪の後すぐに練習を始めていたようですね。
実際に試合に入れるのは1シーズン以上たってからでしたから、一般的に新しいジャンプに挑戦している情報は、「プライベートで練習中」「EXを含むアイスショー・練習等に跳んでみせる」「実際の試合で組み込む」の3段階があることを理解しておく必要があります。
5種類のジャンプを公言していた羽生選手のこの取り組みの姿勢が、次の2015-2016シーズンの金選手の4Lzと相まって、時代は5種類すべての4回転ジャンプへと向かっていったように思えます。
その結果として、男子フィギュアスケートは2017世界選手権で5種類すべての成功した4回転ジャンプを見る事ができるようになりましたが、その時羽生選手は何を思ったのでしょうか。男子フィギュアスケートの極めて重要なメルマークとなったこの試合の勝者が、5種類のジャンプを公言していた羽生選手であったのも象徴的ですね。
羽生選手が2011年に提示したコンセプトに呼応するかのように、男子フィギュアスケートはここまで進化してきました。こんな新時代を一気に切り開くのは一人の選手では無理ですが、4人の選手がこの流れに加わってきました。これが、羽生選手の強運ですね。その時代の集大成として、羽生選手が平昌五輪でどんな SEIMEI を見せてくれるか楽しみです。
皆様こんにちは。
私の住む地域では、はっきりしない天気の日曜日の夕方であります。
205. ただの道草子さん
現在のリアルな私の日常では、とんとご無沙汰の「可愛い」「ラブレター」などという語を私のコメントに対してお使いになってくださっているのを拝見し、思いもよらぬことに動揺してしまいました。(笑)
ラブレター・・のつもりは100%なかったのでありますが、確かに深層心理では、熱い愛を告白したい、という願望があるのか・・?!ふふふ。(今度はキモ過ぎ、イタ過ぎとお感じになられたりして・・汗)
しかし「ラブレター」というご発想はステキですね。
こちらの多くの(もちろん全部とは言いませんが)コメントも違う形、違うことばの選び方でのラブレターなのかもしれません。
愛の形は様々であり、そう思うと「人の恋路を邪魔する奴は馬にナントカ・・」という都都逸(かな?)がふと頭に浮かび、無粋の極みか・・などということを感じてしまいました。
ふふ♡
207. 月見そばさん
ちょっと私には理解ができない部分があり、質問させていただきたいので、書かせていただきますね。
① まず、月見そばさんが仰る「芸術」というのは、何をもってそう仰るのでしょうか。そう呼ばれるため(芸術認定)の条件とは?
作者の「心」の在りようが肝要、ということは仰っていらっしゃいますが、具体的にどういう心の在りようなのでしょうか?
「勝ちに行く」という心は芸術(性)には結びつかない全く異質のもの、あるいはそれを妨げるもの、ということですか?
➁ ショーとは違うスポーツである「競技」フィギュアにおいての「芸術性」(競技フィギュアは少なくとも今のところ、世の中一般では「スポーツ」であり、「芸術」の分野に入っていませんので、厳密には「芸術性」ということばが限界)というのは、①(月見そばさんが考える芸術)と全く同じ条件で成り立つもの、とお考えでしょうか。
大自然の絶景、昆虫の電顕写真、工業製品、所作や技術体系・・これらは確かに一般的には「芸術」ではありませんが、それが持っている「美」を「芸術性」と呼ぶことはできませんか?
例えば「芸術性を感じる工業製品」などはあり得ないとお考えですか?
③ >その「心」が「勝ちに行く」に大きくシフトしている以上は「芸術」ではないと思います。
こちらについてですが、月見そばさんのコメントを読んでいると、羽生選手はある時(おそらくこのオリンピックシーズンのプロ選びの時点、と文面からは解釈できますが)から「勝ちに行く」ことを最大のモチベーションに「シフト」した、というようにお考えのようなのですが、ということは、羽生選手は元々「勝ちに行く」ということを試合に臨むに当たり、最大のモチベーションにはしていなかった、ということですか?
④ >もちろん私は羽生君をアスリートとしてとても尊敬して応援しています。
月見そばさんは、羽生選手のどんな部分、どのようなところを「アスリート」として尊敬なさっていらっしゃるのでしょうか?
以上のことへのお答など、もしお聞かせ願えれば嬉しいです。
なお、207.の後半で仰っている「妄想」に関しては、私は184.で私感を述べております。
日曜日、夜の3連投すみません。
とても興味深い、209. えるさんのコメントを拝見して。
>一般的に新しいジャンプに挑戦している情報は、「プライベートで練習中」「EXを含むアイスショー・練習等に跳んでみせる」「実際の試合で組み込む」の3段階がある・・
この最終段階、実際の試合で組み込む・・ここにおいて、羽生選手は非常に慎重な選手であるように思います。
(少なくとも先季までの)宇野選手などとは全く違うと感じますが、どちらが良い、という問題ではなく、選手の考え方、その選手に合った戦い方の問題ですね。
今シーズン、羽生選手による試合での4Lzの投入については、十分にあり得ることと元々思っていましたが、実際始まってみないとどの時点で入れてくるのか、あるいは入れずに通すか・・今の段階では予想がつきません。
ただそれのみの成功、ということではなく、成功した場合はどう、ミスした場合はどう、今季のルール変更や他の選手の演技、試合の状況との兼ね合い・・etc.、綿密に計算した上での投入、となるのでしょうね。
>2017世界選手権で5種類すべての成功した4回転ジャンプを見る事ができるようになりましたが、その時羽生選手は何を思ったのでしょうか。
ワールド帰国会見において、羽生選手は世界選手権での男子フィギュアを総括して、(情緒的なこと、歴史的なことなどではありませんが)ひとつの自分の見方を出していると思えます。(これを公に言ってしまうのも、羽生選手らしいなあ、と私はその時感じましたが。いや待てよ、あるいは実は作戦なのか??)
技術(主にジャンプのことについてだろうと推測される)の現段階での一定の「限界」、そこから見える自分のすべきこと、を見定めたように聞こえますが、それは今季の羽生選手の戦い方のひとつの指標、となるものだと思います。
しかし、その後変わっているものか、また実際どうなるか、始まってみないとどうなるかはわかりません。
全体状況の中での自分のやるべきことを新たに見方を変える必要が出てくるのか、戦略を随時変えて行かなければならないような状況になるのか・・。
昨シーズン、ネイサン選手がシーズン中に猛スピードであそこまでジャンプの完成度を高めることを誰が予想できたでしょうか?シニア2年目の彼の今季は?
宇野選手のGPFへの真っ先の通過、世界選手権準優勝を何人の人が予想していたか?
ボーヤン選手の2年連続世界選手権銅メダルをどう見るか?(個人的にはボーヤン選手、怖いような・・。)
今季、予想外の選手が浮上してくるのか?
・・いろいろ考えると、今季はいつもに増して、今思いもよらないような、例年以上のいろいろな構成変更、あるいはどの選手かのプロ変更さえもあり得るかも、と思い、ドキドキしてしまいます。
オリンピックシーズン、「一つ一つの試合」の重要性は選手一人一人自他共の試合について、非常に大きくなりそうですね。
羽生選手はじめ選手皆さん、とにかく怪我で力が出し切れない・・そういう状況にだけはならないことを本当に祈るばかりです。
しかししかし・・・男子フィギュア、これまで以上にファン獲得、となるかもしれません。
「男子フィギュアが熱い!」「今、面白すぎる男子フィギュア」・・一般誌でのそんな見出しを妄想してしまいます。
もちろん女子、ペア、ダンスも非常に楽しみです!!女子もジャンプでの急激な進化が見られたりするのか?
それにしても、スポーツの過去の記録や情報は、先を予想する上でもとても大事。私などは大雑把で紹介できるほどパッとそういうものが正確に出て来ませんので、こちらで皆さんお互いに補足、訂正したりしながら、提示していただけていることに本当に感謝しております。
ただの道草子さん、えるさん、桔梗さん
過去の正確なデーターや情報、それに対するご自身のお考えをお聞かせ下さり、とても楽しく読ませて頂きました。
ありがとうございます。
皆さんが何を感じ取り、どういう風にこの真4回転時代を見ているのか、それが一番興味深かったので、凄く面白いです。
えるさんのコメントでの
>2017世界選手権で5種類すべての成功した4回転ジャンプを見る事ができるようになりました<
これが達成されて、次の段階に入りましたね。
ツイで書いてらっしゃる方がおられましたが、次、一つのプロの中で5種類4回転ジャンプの成功を見せてくれる初めての人は誰なのか物凄くワクワクしています。
何日か前に宇野選手が綺麗に4Lzを練習で降りた映像を見ました。
彼は5種類全ての4回転ジャンプを降りた練習映像がある人なので、当然他の選手も練習でだけなら全部降りている人は何人もいるでしょう。
もしかしたらこれは平昌までに見られるのかもなんて淡い期待をしています。もちろんOPシーズンなのであまり冒険的な事も出来ないかも知れませんが。
そして4Aを初めて降りる人は誰なのか?
北京までに見れると私は思うのですが、是非、羽生選手に現役続行して頂いて成功させ、その名前をフィギュアの歴史に名前を刻んで欲しいです。
>>164月見そば さんへ
>どのスポーツにも不文律(暗黙の了解)ってのがある。マナー違反としてジャッジの心象に影響を及ぼすことは十分考えられる。今後世論が「2つも再演は卑怯」
ここ不明瞭だね。マナー違反って誰が判断するのかな?
今後世論が「2つも再演は卑怯」って、そうなって欲しい願望?
ジャッジの心象に影響を及ぼすよう念力送ってる?いやいや具体的な手立てはあるのかな?
>よってSEIMEIの再演はハイリスクだと思ってて素直に喜べないし全面的に肯定できないけど、羽生君の最強の武器がSEIMEIしかないなら仕方ないってところ。
はははは、ハイリスク?素直に喜べないって?
思いっきり笑わせてもらいました。
見事に屈折してますな
>羽生君の最強の武器がSEIMEIしかない
この断定ぶりは面白いね。強者だね。
皆様こんばんは。
生きたコメントが活発に輪を広げていますね。
それぞれ、エスプリが効いていて流石です、楽しませていただいております。
212番 桔梗様
私もえる様の明晰なコメントを読んで、同様の感想を持ちました。
5種類のクワドが揃った2017年ワールドのフィギュア史に於ける意義と、その流れの集大成でもある来年平昌五輪の展望を改めて考えさせられますね。
また、羽生選手はワールド後にジェイソンブラウン選手について、クワド1本の彼が7位(という高いランク)を獲得した意味を考える必要がある、という趣旨の発言をしました。
フィギュアスケートをパッケージで捉え、ジャッジが何処にバリュー評価をするのか、この競技の本質を突く言葉でした。
ボーヤン選手も宇野選手も、今年20歳でしょうか。
早いものですね。
この世代が競技のレベルを押し上げており、頼もしい限りです。
二人とも、個性豊かでタフなところも大きな強味ですね。
特にボーヤン選手はここ2年連続ワールド表彰台。
着実なキャリアにより今期PCSはぐんと上がると予想します。
ネイサン選手を初めて生で観たのは、去年の真駒内。
うわさに聴く天才は、賢く初々しい少年でした。
ターンアウトした足が美しい。
以来、国際競技会ではほぼ羽生宇野とご一緒。
私の中では優勝した四大陸より、代々木の国別が完璧な出来栄えだと思います。
彼は若いので大失敗もありますが、かつての羽生を見るような気がします。
失敗に学び経験値を伸ばして来るので、日本勢には脅威です。
スケートとの適度な距離感も良いですね。
チャンネルが複数ある感じ。
彼は、次世代の王者だと個人的には思います。
パトリックのSPがツイッターに一部アップされたので見て来ました。
とても素敵でした。
パトリックもハビエルも、集大成の演技が楽しみです。
羽生選手は、今期は4Lz投入を考えていないと発言しています。
加点が付くレベルまで磨き上げるのが彼流でしょうか。
シーズン序盤のライバル達の動向も、そんな彼にどの様な影響を与えるか注目しています。
※HNが長いので短縮しました。
210桔梗さん
私の失礼なコメで動揺させてしまいまして、申し訳ありません。ふふ
もっと語彙ゆたかに表現したかったのですが、暑さで瀕死の脳では
全然浮かばなくて(笑)他の皆さんのコメもそうですが、羽生選手を応援されている桔梗さんの熱いお気持が、その行間から心地いいリズムで伝わって来て、こんなメッセージもらったら疲れも吹っ飛び、気持良くぐっすり眠れそうだーと想って、それでついラブレターなどと書いてしまいました。
どんな時も あなたを ずっと 見守っていますよ。そんな優しさにあふれています。♡ 熱い愛の告白(ぜひ、ぜひ)
「人の恋路を邪魔する奴は馬にナントカ」笑 ハイ、ハイ無粋なことはいたしません。♡
206 えるさんのコメント読ませていただいて想った事ですが、
選手が会見や雑誌の取材などで、ある時点で発する発言は、
(例えば、新たな4回転の投入や今後の目標、展望、取組み等々)参考程度に捉えておいていいものではないかと常々想っています。内容にもよりますが、どの選手も自身の事をいつも100%語る訳ではないですし、桔梗さんも触れてありますが、単なる作戦として発言してる事があっても不思議ではないでしょう。
>選手でこれを明確に目指すと言った人もその時点では聞いた事がありませんでした。
時は流れていて、当時の関係資料を調べ尽くされた訳ではないと想いますがそう言い切れるものでしょうか?フィギュア界の将来の展望をいち早く察知して、4回転5種類構想を持っていたのが羽生選手だけとは限らないと想います。他にもそういう選手がいたかもしれませんし、事実を証明しようのないものを、あたかも羽生選手が先陣を切った様な表現をされているのが気になります。
更に、↓下記の部分、えるさんの憶測がさらに加速していませんか?
>5種類のジャンプを公言していた羽生選手のこの取り組みの姿勢が、次の2015-2016シーズンの金選手の4Lzと相まって、時代は5種類すべての4回転ジャンプへと向かっていったように思えます。その結果として、男子フィギュアスケートは2017世界選手権で5種類すべての成功した4回転ジャンプを見る事ができるようになりました<
金選手の4Lz、2017世界選手権で5種類すべての成功した4回転ジャンプを見る事ができるようになった。のは事実ですが、さも羽生選手がこの状況を作り出したかの様に受け取れる表現には少々、違和感を感じました。練習でなら他にもいましたから。ネット社会では一瞬で拡散しますので、確証のない事の記述は慎重であるべきかなという感想を持った次第です。
朝から長々と失礼致しました。
前のコメントを急いで書いたので、言葉足らずのところが気になっていました。訂正させて下さい。
そこだけ直せばよかったものを、書き始めると壮大なコメントになってしまい、まとまった時間が取れず少しずつ書いていたため今頃失礼します。
皆さんのコメントが大分挟まってしまいましたが、196番のコメントです。
>>3種目のクワド投入を視野に入れている選手は羽生選手自身(4Loは大分前から練習していたし、成功もしていましたよね)を含めて割といましたが、試合に入れるほどの必要性(クワドは心身への負担が非常に重いので)はそれまではなかったけれど、入れていかないといけないかも、という流れになっていったのでは、と思います。
の部分、ケヴィンのように3種クワド投入に果敢に挑んでいた選手もいたのに、まるでいなかったかのように書いてしまいました。
「それまでは挑戦しても回転不足等でなかなか実現しなかった、FSクワド3種5本というのが一気に現実のものとなった」ということを書くべきでした。
さて、羽生選手が現在のクワド百花繚乱状態をどこまで予想していたのかはわかりませんが、元々、多種クワドの習得を目標の一つにしていたのは、えるさんの125番や209番のコメントでも書かれている通りですよね。
そ目標の起源がどこにあるのか、というのもまたご本人以外にはわかりませんが、Da Capoさん仰るようにソルトレイクにあるのかもしれないし、他の選手の動向(ガチンスキーが練習では既に5種クワド跳べていた話なんかも多大に影響してるかも、と勝手に思ったり)もあるかもしれません。
ガチンスキー選手の5種クワドは2011年9月のロシア記事にあります。
http://akoako.at.webry.info/201109/article_3.html
ちなみにえるさんのコメントにもある2011年COCでもケヴィンは4Loを含む3種クワドに挑戦していました。
ムロズさんの初4Lzも2011年でしたし、パトリックが4Tを装備した翌シーズン、羽生選手がシニア2年目の頃には既に、現在の新クワド時代への萌芽のようなものが見られていたと思うのです。
もっとも、他選手の動向も、と書いておいて何ですが、羽生選手は2011年FaoIの際にランビエールに4Loの「アドバイスプリーズ!」をした話があり、更にはもっと前に4Loを練習している映像(いつのか忘れてしまったので間違っているかもしれませんが)を見たような気もするので、全種クワドへの野望はスケートを始めた頃から持ち続けていたのかも。
まあ、羽生選手に限らずスポーツ選手というのは、自分の限界に挑戦することをやめられない人達であって、常に自分のboundaryを広げていくことが存在の根幹にあるのではないかと思います。
羽生選手が多種クワドの習得を目指していたのは、スポーツ選手として当然でもありますよね。
一方で、スポーツに於いては「勝つ」ことが最優先されることもまた自明の理。
「勝つ」ためにはその時々のルールに沿っていく必要があるわけで、転けたら終わりの旧採点時代にはクワドの種類と本数を(今のように)どんどん増やしていく流れにはなりにくかったでしょう。歴史上4S発成功という時代なので、技術自体の進歩もまだまだだったとは思いますけども。
それでもプルは4S跳んでますし、ヤグは本田さんに4Sのやり方を教わったという話もあり、4Aに挑戦していた話も残ってますけどね。
本田さんも練習では5種跳べてたのですよね。(すごいです!)
また、回転不足に極めて厳しく、しかもGOEの重要性がどんどん増していったバンクーバー前は、多種クワドへのインセンティブはなかなか働かなかったですよね。
でも、FSで複数のクワドはのこさん仰るジュベもやってましたし、4T一種とはいえ怪我前の高橋くんやランビエールもFSで2本やってました。(そして羽生選手によればランビは練習では4Loも跳べたんですよね。)
皆さん仰るように、バンクーバー後のルール改正で、クワド挑戦のインセンティブが一気に強まりました。
そして、現在、一昨季のクワド転倒GOE-4の改正に続いて、今季、転倒などのある演技に対してはPCSで10.00を付けられなくなりました。(岡部さんが以前指摘していた内容がルールになったわけです。)
4Aを除く5種クワドが出揃って、時代はさらに演技の完成度、完璧性をも求める方向へと少しずつ舵をきっているように思えます。
そういう時代の流れを読んでいるからこそ、の、羽生選手のジェイソンに関するコメントであり、それは今回の両プログラム決定にも関係するのではないかと(密かにかつ勝手に)思っています。
実際、羽生選手自身がクワド4本入りの完璧演技をして、多種クワド多数本入り高難度完璧演技が可能であると示してしまったので、平昌ではそれ以上のものが求められることになってしまいました。
クワド百花繚乱時代のきっかけとなったのはボーヤンかもしれませんが、男子シングルの限界のハードルを上げ続けているのは間違いなく羽生選手なのですよね。
あと、蛇足ですけど、羽生選手の4Lo初成功は2014年4月札幌SSOIの練習時でしたよね。
同じ年の夏、富山FaoIの楽公演で、4Lzチャレンジを初めて見ました。たしか映像もありましたよね。
4Loではない、あのジャンプは何〜??と一瞬混乱して、周囲の方と話した覚えがあるので、おそらくあれが初めて観客のいるところで披露した4Lzチャレンジだったのではないかな〜?と思っています。(違ってたらすみません。)
4回転の話題が出ているので、この際、ちょっとした疑問なんですが、4回転の練習って、選手達はいつ頃から始めるのでしょうか?
よく身体が出来ていないうちはコーチがセーブするというのを聞いたりするのですが、既にノービスのコゴレフ君は4回転を飛んでるし、この先大丈夫なのかなあ、、と余計な心配してしまいます。
桔梗さんが、フィギュアスケートにおける美と芸術性について、コメントされてたので、私の考えを少し。
やはり、羽生君の4Tはパーフェクトな機能美と言えるような気がします。4回転を回る為の力学的最適化を求めた結果の美しさです。
自然の摂理に逆らわずに成されたものには、最小の力で最大の効果を生み、誰もが感じる普遍的な美しさがあるものなのです。ディープエッジのスケーティング技術や、トラベリングしないスピンも同様です。
それに対して、振り付け師の仕事は(曲の世界観や選手、振り付け師の個性が如実に現れるという意味で)芸術の領域ではないでしょうか?
芸術そのものは人による表現を目的とした行為ですので、いままでに見たことが無い、つまり革新的な感性(理解されにくい)や技術(わかりやすい)は高く評価されます。
芸術はつまりベクトルが他方向に向いている状態、それに対してスポーツ(機能美)は最適化を求めて一方向に向いてるイメージです。
ジャンプに関しては、6種類のジャンプ以外は採点の対象ではなく、これ以上新しいジャンプが開発されることはないでしょうから、芸術性を求めるには新型タノジャンプ位しか無理ですが、今後、見たことも無いスピンやスパイラルのポジション、ステップシークエンスなど、新しい表現を期待できるかなと思います。
dark eyesさん
そして羽生選手とクワドについて教えて下さった皆様へ
素人の疑問に丁寧かつ正確な過去のデーターや情報に基づいてコメント下さり、お手間をかけて下さって本当にありがとうございました。
羽生選手とクワドについてとても解り易く読んでいて楽しかったです。
試合結果やインタやその他にも多くの情報を網羅してご存知の中から、羽生選手に関連してクワドの歴史を知る事が出来、勉強になり、知りたい事が知れて感謝感謝です!
あおらさんの美と芸術性、読んでいてめちゃすっきりです!
ここにいらっしゃる羽生ファンの方は皆さんとっても賢いので、私が言語化出来ないもやもやを解り易く言葉にして下さって、あっそれそれ!って感じです!
そうです!羽生選手のジャンプや純粋にスケートに関する技術は機能美。
私は技術者とか職人技って思っているんですけど、この部分に関して羽生選手に最も日本人らしさを感じます。
だからその機能美と振り付けの部分を別にして考えるとすんごい解り易くなりました。
すみません。
私の先のコメント、正確には月見そばさんと桔梗さんのやりとりの中でした。
まさしく、あめんぼうさんのおっしゃるとおり、羽生君は理系の技術者って感じがしますよね。
そういう意味でスケート技術の求道者なところが、日本人らしくて好きです。
話を蒸し返して本当に失礼します。ごめんなさい。
でももう一言だけ言わせてください。
SPについて、もしジェフリーから「プリンス」にするか「バラ1」にするかと問われたら、そりゃあ、羽生選手は「バラ1にする」と答えたでしょう。
まあこれも妄想です。もう言いませんので、どうかお咎めなくスルーでお願いします。
桔梗さん、質問多過ぎ。一見整理されていますがよくみると1項目につき更にいくつも質問がある。こんなのお互いに繰り返してたら質問と回答のネズミ算で破綻します。1つか2つにできませんか?
私は芸術を「己の内なる何か(美を含む)を表現したい・誰かに伝えたいという狂おしいほどの心の欲求を具現化するための創作活動」だと思っています。絶景や昆虫は時に美しいけど人が作ったものではない。工業製品や技術体系は人の手によるものだけどその美は技術そのものの美であり「表現したい・伝えたい」という心が必須というわけでない。舞台演劇で「儲けたい」が「表現したい・伝えたい」より大きく優先されるとき、それは芸術と呼べるのでしょうか?「勝ちたい」が「芸術を捨てた」と同義に思うのはそういうことです。もちろん興業で「儲けること」スポーツで「勝つこと」は当然です。でもそれ芸術ではないと思います。
『何か「一般的な芸術」と「競技フィギュアで要求される勝つための手段の芸術」をごちゃまぜにしている人、またはそれにとらわれ過ぎている人が世の中には多い』とのことですが、人は芸術と言えば前者の意で使うもの。むしろ後者に安易に芸術という言葉を使う方がいけないのであって後者はPCSと言えばいい。前者の意味で使うなら「SEIMEIは芸術作品とは思えない」と言っても問題ないでしょう。「SEIMEIが高いPCSを得うる作品」であることは私は全くもって同意です。
前にも言ったけど桔梗さんは「美」と「芸術」をごっちゃまぜにしている感がします。私から2つだけ質問ですが桔梗さんの「芸術」の定義、それから「技術」との違いを教えてください。私は私の考えを押し付けるつもりはありません。色々とご質問を受けた私の発言内容に関する単なる釈明と桔梗さんの考えを理解したいだけです。
あ、それから妄想の話は桔梗さん宛てではありません。妄想論議全体に関する私の感想です。
219. あおらさんの
>自然の摂理に逆らわずに成されたものには、最小の力で最大の効果を生み、誰もが感じる普遍的な美しさがあるものなのです。
こちらはまさに「機能美」と呼ばれるものだと思います。
フィギュアスケートにとって、その機能の目的とは何か?と考えた場合に、そのパーツだけでなく、プログラム全体に多くの人が認める「美」を生み、競技ではその結果、点数に結びつくこと、ではないかと思います。
4回転ジャンプなどは、他に比べて現段階で技術的に圧倒的に難しい、ということで「技術」の話になるとどうしてもそこだけに大きな比重が置かれてしまいます。しかし、フィギュアスケートの技術はなにもジャンプだけではありません。
あおらさんが仰る、スピンやステップシークエンス、ステップ、ターンを含むスケーティング全体、技と技のつなぎ・・これらもフィギュアスケート独自の「技術」であり、大きく捉えれば、様々な振り付けを美しく成り立たせるためにはやはり「技術」が必要です。
フィギュアの振り付けは、私の知る限り、バレエ専門、ダンス専門などの振付師が行うわけではなく、元フィギュアスケーターなど、全体的なフィギュア技術を熟知している人でなければできないと思います。あくまでもそれが根底となって、他のいわゆる「芸術」と呼ばれる分野から芸術性の根幹である美の要素を借りて取り入れているもの、と考えられます。これは音楽についてもしかり、です。(以前、フィギュアスケートは「なんちゃって」の部分が多い、というようなことがこちらで語られていたこと・・dark eyes さんが仰ったのでしたっけ?記憶が曖昧ですみません・・が思い出されます。)
振り付けにおいても、ジャッジが常に最重要視するのはおそらく足元、いくら上半身の振り付けが素晴らしくても肝心の足元の技術が未熟では、まず「フィギュアスケートにおいての」「芸術性」を感じる振り付け、とはならないのではありませんか?
パトリックやジェイソンの演技には、多くの人が美しさや何かしらの他の選手とは違うインパクトを感じると思われますが、昨季までのジェイソン選手などは結局4回転ジャンプこそ技術的に習得されてない、とは言えど、その他(振り付け含め)のフィギュアスケートで必要とされる技術が秀でている、だからこそ観ていて圧倒されるような美しさがプロに、ひとつのトータル的な「作品」として見た時に生まれているもののように思います。
218.で dark eyes さんが紹介して下さっている羽生選手の彼の演技に関するコメントに通じるところ、そしてそういうことが今季のプロ選びに無関係ではないだろう、と推測されるところだと思います。
ジェイソン選手の演技には、バレエやダンスに通じるような美しさを感じますが、それでもそれはやはりバレエの美しさとイコールではなく、競技フィギュアという「スポーツ」の世界選手権で、7位という位置(4回転を跳べる選手たちで彼より順位が低い選手たちがいる)につける演技なのであり、仮に彼の演技が「芸術的」だとしたら、それは既存の「芸術」とはやはり違うもの、フィギュア独自のもの、しかもやはりフィギュアの技術に基づくもの、というほかないと思います。
フィギュアスケートは今のところ、「芸術」として世の中に完全に認められているわけではないと思います。
最近は世界各地で、主に競技を引退したスケーターたちによってショーが以前にも増していろいろな趣向を凝らし行われていると思いますが、観ていて、例えばランビエールさんや町田樹さんなどには、他分野の要素を大いに借りながらも、フィギュアスケート「そのもの」を、他の芸術とは違ったひとつの「芸術」と呼ばれるレベルまで引き上げよう・・そういう野望を私は彼らの創造性の逞しさと相まって感じるのですが、皆様はいかがでしょうか?
トータル( whole )パッケージということばは一体なんでしょう?
羽生選手は、今はやはりスポーツ選手としての「勝つ」ということへの尋常ならざる欲求は感じます(アスリートとして当然のこと、と言える。)が、私は彼の中で、「技術」と「芸術」(または芸術性)が何か本質的に違うもの、方向性の異なるもの、という意識はまるでないのではないか、と演技を見ていて感じます。
彼はおそらく、ジャンプは本質的に大好きだと私には思えます。しかし同時にそれのみでも完成まで大変なクワドでさえ、プログラムの一部、プログラム全体を作るひとつの要素に過ぎない、という考え方をずっと持っているのでは?(演技+インタビューから推測。)
彼がまとまった「芸術論」を語るのを私は聞いたことがないのですが、そういうものは存在するのでしょうか。
羽生選手、宇野選手、ネイサン選手などの昨季後半の演技など見て、「今の男子フィギュアはジャンプ大会みたいでプロが全くつまらない」・・そんなことを本当に感じる人がいたのでしょうか?ボーヤン選手にしても、やはりトータルパッケージを目指している、というのが昨季を観た印象。
真4回転時代、というのはそういう批判、懸念に対して、1つの答えを突きつけてるようにさえ私は思いました。
なお、タノにしても、プロの中でジャンプをより美しく見せる1つの「技術」(GOEで加点要素)だと思われますが、それをやり過ぎても必ずしもプロの美しさを出すのに本当に効果的かどうか、は疑問であり、クワドについても同じことが言えると思うのです。
今季の SEIMEI は、クワドの本数も種類も以前とは異なってくる、という今の予定でしょうが、そうした時にプロ全体として見て、以前とどういう印象の違いがあるのだろう?
これについて、最もその違いがよくわかるのはなんと言っても「同じ曲」で滑っていただくこと・・・それを羽生選手ご自身が考えたかどうか、はわかりませんが、少なくとも観る私たちにとってはそこには大きなひとつの楽しみ・・「メリット」があるわけです。
それはもちろん、ノーミス度(?)において、以前と同等以上のものが要求される、という最低条件を伴って、ということですが。
上のようなことを考え、今季の羽生選手はプロにおいて、ジャンプのみならず、他の全ての要素での技術的なグレードアップを狙ってくる、と思っています。
私などにはもちろん細かい部分はよくわからない、というところがありますが、見る側にとってそれによって、どれだけ「美しさ」が増した、と感じられるのだろうか。
その興奮を考えると、試合で勝っていただく、ということと共に大変な楽しみです!!
羽生選手のみならず、どの選手も先季からの変化、プロの充実度が楽しみでしかたありません。
224. 月見そばさん
コメントの投稿時間がかぶってしまいました。
「芸術」が成り立つ最低条件、ということについて私は自分なりの考え方を月見そばさんと同じように持っていて、これまでも何度かいろいろなスレで書いて来ましたが、それを含めてまた改めてお返事させていただいても、と思います。
「美」はその条件の中でも最も大事なもの、と考えています。芸術=美というより、芸術性には美が不可欠、という考えです。そしてそれと同時に「卓越した技術の裏づけ」これもまた条件のひとつ、と考えています。
フィギュア「自体」が他と異なる新しい「芸術」となる可能性がある、ということも考えています。
質問の書きかたが、合理的ではないというご指摘はその通りですね。すみません。
でもそれらについてお答えいただければ嬉しいです。
芸術、などという実に曖昧なことばに関しては解釈が人により違う、と思っています。私のものもただ1つの考え方に過ぎません。
>芸術、などという実に曖昧なことばに関しては解釈が人により違う、
芸術という言葉を曖昧に感じるのは、日本人的な発想かと思います。(もともと明治以前にはなかった輸入言語)
現代においての芸術は、第一に独創性を求められるものであり、必ずしも美しいものが芸術というわけではありません。
むしろ、美という言葉の方が曖昧ではないでしょうか?
誰もが普遍的に美しいと感じる自然の美を除けば、いくらか個人の志向が入るものであり、時代とともに美の基準も変わります。
前衛的な美は年月をかけてスタンダードな美となります。
フィギュアスケートのわかりやすくていいところは、明確な美の基準があるからであり、それらのエレメンツがバランスよく有機的に繋がったとき、一つの作品として見る人に感動を与えるのではないでしょうか?
それは厳密な意味で芸術そのものではありませんが、優れた芸術作品を見た時のようなインパクトがあると思います。
ちょっと誤解があるように思いますが、私は美しいもの=芸術、ということは言ってません。「芸術」と呼ばれるものの条件の一つとして、「美」(しかも多くの人間にとってそう感じられる美)は不可欠である、と思う、ということを申しています。(何に美を感じるか、は個人や時代によって変わるかもしれませんが、何かしら、誰かしらがそこに「美しさ」を感じないものを「芸術」と呼べるのでしょうか?)
創造性というものが不可欠である、ということも定義するに当たり、考えられる一つの条件として、同じだと思います。
私は今のところ、「芸術」をどう「定義」するか、ということは言っておらず、その意味では、月見そばさんのご質問には答えていないのです。
西洋社会において、「芸術」というものが、それほど万人にとって共通で、厳密な定義ができるほど明確なものとも思えません。日本だから、西洋だから、という問題でもないと思います。
美学者とか芸術評論家、という人々ならそれぞれ明確な基準を持っていると考えられますが、それでも意見は分かれるのでは?
元々 art の語源にも「技術」など、様々な現在とは異なる意味合いもあります。
フィギュアスケートにおいて、明確な美の基準がある、と言い切ってしまうことにも疑問があります。なぜなら、それならなぜこれほどまでに、年中ルール変更があるのでしょうか?変更があるのはGOEだけでなく、PCSでも行われているのであり、そもそもGOEとPCSさえ、それぞれの基準はあるものの、どこまで区分としてはっきりと分けて採点されているものかも厳密にはよくわからないところはあります。
しかし、そもそもフィギュアスケートそのものが現在では「芸術」として一般的に西洋社会であっても認定されているわけではないでしょうから、特に競技フィギュアについては、選手たちの「勝ちたい」という願望がある以上(その願望がない選手がいるとは思えません)SEIMEI に限らず、競技フィギュアのどのプロであっても、芸術的ではあっても「芸術」にはなりえない、というように聞こえる月見そばさんの見方もあり得るでしょうし、あおらさんの仰るように、
>厳密な意味で芸術そのものではありませんが、優れた芸術作品を見た時のようなインパクト
ということにとどまるのかな、ということかもしれませんね。
いずれにせよ、私は「芸術」は、一方通行(作者、演者→鑑賞者)のものではありえない、とは考えます。つまり、芸術を芸術と受け取る側の感性、というものも大きく関連して、芸術は成り立つものと思います。そう考えた時にも「芸術」という語は曖昧なのではないかな、と。
前衛的なものが「芸術」としてスタンダートになっていくこともあれば、同時に芸術的とされていたものが、人々の心から離れて行く・・ということもあり得ると思います。
・・ご興味のない方については、長々と退屈かな、と思いますが、例えば SEIMEI は芸術か?芸術的なプロと言えるか?などという問題はファンにとっても一度考えてみても悪くないことかな?とも(勝手に)思います。
もちろんそんなことどちらでもいい、という方もいらっしゃるでしょう。そういう方々にはすみません。
229.
>創造性というものが不可欠である、ということも定義するに当たり、考えられる一つの条件として、同じだと思います。
創造性→独創性 に訂正です。
あおらさん、失礼しました。
>芸術を芸術と受け取る側の感性、というものも大きく関連して、芸術は成り立つものと思います
パトリック選手が足元の技術が凄い選手って皆さん仰るから、凄い選手なんだ~って理解しているんですけど。確かに凄いんだろうと思うんですが・・・。
ただ極端な話、上半身の振り付け師いなくてもテキトーにやっててもあんまり素人の私が見る分には印象変わらないんじゃないの?って思ったりなんかして。(ファンの方、申し訳ございません。脳みそちょっと少な目フィギュアファンの戯言と思って流して頂けると有難いです。)
パトリック選手の私の基本的な印象は「かかし」。
田んぼの中にあるかかしっぽいな~っていつも思うんです。
立派な近代美術館に行って、縦線ばっかりとか、横線ばっかりの絵画見せられて、これが「芸術です」って言われてる感じがするんです。
でもパトリック選手の演技を見て心震わせてる方も沢山いらっしゃって、わたしにはその感受性は無いんだな~って毎回確認するんです。
パトリック選手を悪く言ってる訳では無く、私が受け取る器がないんです。(ファンの方本当にスミマセン・汗)
結局言葉というものは、同時代の共通認識でしか成り立たないものですが、かつての個人という概念が希薄な時代の語源としてのARTと現代使われているARTとでは意味合いも変わりつつあるので、、
前衛的な表現はそれこそが芸術であって、スタンダードになった途端、ただのよくあるデザインとかエンタメになってしまうので、それから、芸術的とされていたものが人々の心から離れて行くことなんて、しょっちゅうあることです。
芸術はただの概念なので、高尚なものでもないし、別に理解出来ないからどうこうとか思う必要も無いし、見る人にそう思われるのは作者の技量が足りない場合だってあるのです。
表現としても十分魅力的なフィギュアスケートがことさら芸術という概念にこだわる必要はないと思いますが、町田さんやステファンの生き様はユニークだし、アーティストだなと思います。
フィギュアスケートに明確な美の基準があると言い切ることは誰にも出来ませんが、そのようなものがあるという共同幻想の中、みながルールに則って採点され、評価、順位が決まるシステムなのではないでしょうか?
芸術と美の話について興味深く拝読させて頂いていました。
フィギュアはスポーツである以上、一般的な「芸術」とは異なり、勝ち負けを競うものです。
ただ、今期の羽生選手のプログラムにかける思いを鑑みるに、単に「勝ちたい」ということだけが彼を突き動かしている、というようには思えません。「よりよい作品ができる」と思われたから選んだ演目であることが、インタビューなどからひしひしと感じられます。「芸術」が、月見そばさんの仰る「己の内なる何か(美を含む)を表現したい・誰かに伝えたいという狂おしいほどの心の欲求を具現化するための創作活動」と定義するならば、今期の羽生選手もやはり、バラード一番、SEIMEIにおいて表現したいものをより深化させて、そこに「羽生結弦」という他にはあり得ない演技の主体を伝えたい、という思いがあるのではないでしょうか。
フィギュアの世界において、羽生選手自身、目指す自分の理想像が見えてきた、というお言葉から、羽生選手の思いの中にはフィギュアでの「芸術性」をも追求する姿がおおいにあるように個人的には感じられました。
競技フィギュアでいう「芸術性」は、フィギュア界の内外、時代や地域、マスコミの都合でズレがあり、別にそれでいいと思う、曖昧さが五輪競技として残るのに有利だった部分があるから。
カルガリーの頃は東側選手の衣装や音源は民生技術を観察するチャンスで、西側マスコミはカタリナ・ヴィットさまの「芸術性」を煽ったのが、アルベールビルではジャンプのみどりと「芸術性」のクリスティの対決だった。
無関心より、とにかくフィギュアが話題になることも大事で、「芸術性」はおいしいネタかも。
今の多クワド化は、ライサチェクがボイタノ以来の米男子五輪金を取ったのに、クワド回避で人気が出なかったショックが影響したと思う。
新採点にも馴染んできて、ジャンプと「芸術性」を両立させる流れに対応してきた選手の努力の成果が、今まとまって見えてるんでしょう。
ボイタノがワールドでクワド転倒した翌年のブライアン対決は、僅差だったとゆーけどオーサーはフリーの3Aが1つ少なく、ボイタノを勝たせたソ連審判は帰国後干されたとゆー噂がある。
オーサーは、現役中から親の自営業を手伝って営業を経験、昔から演技の観客受けと完成度重視。
3Aを跳びたいヨナさんに新採点では完成度を上げる方が有利と説得し、羽生選手とも昨季のフリー4クワドでびみょーな時期があった。
若手の追い上げがなければ、五輪で5クワドなんて、ぜーったい羽生選手に許してない。
羽生選手は、クワド増量に付き合ってくれるライバルがいてよかったと思う。
>かつての個人という概念が希薄な時代の語源としてのARTと現代使われているARTとでは意味合いも変わりつつあるので、、
そうですね。だからこそ「芸術」ということばは曖昧、と申したひとつの理由です。
>前衛的な表現はそれこそが芸術であって、スタンダードになった途端、ただのよくあるデザインとかエンタメになってしまうので・・
音楽において、Jazzなどは、社会的認知においてこれとは全く逆の流れであると思いますし、日本の伝統芸能である能や歌舞伎などもしかり、なのではないでしょうか。
前衛的なもの(新しいもの、も同様)の芸術認知には、それなりの時間を要するものではないでしょうか。
つまり、ただ独創的であれば、新しければ全てが芸術になる、とか、ただ美しければ芸術になる、ということではなくて、結局、個々のものが人々に感動を与えた上で、どう受け入れられていくのか、どこがどうすごいのか、ということなのでしょうね。
羽生選手などの演技が、何だかよくわからないけれどとにかくきれい・・美しい・・(これは再演だろうが新プロだろうが、本質的にはあまり関係ないように思えます。)そう感じる人が多ければ多いほど、それが芸術性認知においても、何らかの大きなパワーになっていくはずです。
フィギュアスケートそのものが今後、これまで通り「スポーツ」としてずっと存続していくのか、「芸術」と言う認知が社会で行われていくのか、あるいは二つは道が分かれて行くのか、興味のあるところです。
スポーツである以上、ルールというのは、私は基準をより明確に、客観性を重視する、という方向に向かっていくものであると思いますし、現在のルールはやはり「芸術性」よりはより「技術」に重きが置かれていると思います。
選手や観客に、なるべく幻想や誰かの嗜好によってコントロールされている、という感覚を避けるためです。
一方、あおらさんのことばをお借りして言わせていただくとすれば、(「美」というよりは、フィギュア独自の振り付けまで含めた「技術」の)
>エレメンツがバランスよく有機的に繋がったとき、一つの作品として見る人に感動を与えるのではないでしょうか?
これがまさに、2017世界選手権の Hope & Legacy であったように私は思います。
AERA の記事を読みましたが、羽生選手、気持ちのよいほどの強気発言。心身ともコンディションの良いまま、自分の理想に向かって、オリンピックへとまっしぐらに走り(滑り)続けて頂きたいです。
皆さんの議論、興味深く拝読しています。
桔梗さんが言及なさったように、以前、フィギュアスケートとは「スケート技術+なんちゃっての寄せ集め」という話を持ち出したのは私ですが、「なんちゃっての寄せ集め」かもしれないけれど、フィギュアスケートにしか出来ない表現、新たな表現がそこにはある、という意味でその話を出しました。
そうしてフィギュアを通じて表現されるものに「芸術性」を感じるかどうか、というのは個人の感覚に寄る所が大きいと思います。
また、忘れてはならないのは、競技フィギュアではどうしてもルールに縛られ、細かい制約があるということ。
いかに「芸術的」に見えたとしても、実際はスピンでは回転数を数えなくちゃならないし、時には曲調に関係ないポジションも入れたりしなくちゃいけない。
ダンスではリフトの長さに気を配らないといけなかったりする。
スパイラルが必須だった頃はスパイラルしながら1,2,3と秒数を数えていた話とかもありましたね。
そういうことをいちいち気をつけながら行っている演技だと思うと、月見そばさんの仰るところの「勝つこと」が優先されていない演技など、果たしてあるのだろうか?と思ったりも。
選手は皆、ルールや表現の制約の中で、精一杯の自己表現を追い求めているのだなあと思って見てはいますが。
しかし、月見そばさんは「勝ちにこだわって芸術を捨てた」とコメントされていることから考えると、競技フィギュアにも「芸術」はあるとのお考えなのだと理解していました。
が、後に
>>スポーツで「勝つこと」は当然です。でもそれ芸術ではないと思います。
ともあるので、結局競技フィギュアに於いては芸術はない、とお考えなのでしょうか?
具体的にはどんな演技に羽生選手が「捨てた」と仰る「芸術性」をお感じになったのかなと純粋にお伺いしてみたいと思いました。
個人的な話で恐縮ですが、私がどんな演技に「芸術性」を感じたか、思い出してみると、アイスダンスの演技が多かったです。シングルだとすぐ思いついたのは昨季のパトリックのFSでしょうか。
パトリックについてのあめんぼうさんの感覚は個人のものなので、私がどうこう言えるものではないです(笑)し、皆そうして違った感性で見ているから面白いと思っています。
しかし、上半身の振り付けについては、「振り付け」としての意味だけでなく、どんなに大きく上半身を動かしても、それが足元に影響を与えない、という観点から、技術力を計るものさしにもなっているということは、付け加えておきたいです。
パトリックも昔は「ヒトデ」なんて言われてましたし、実際「かかし」みたいだと私も思っていましたが、キャシーコーチについてモダンバレエを学んでからの彼の身体表現は以前とは別物だと個人的には感じています。
特に昨季FSにおける音楽表現としての身体表現は素晴らしかったと思っています。
ほんと、アイスダンスを見ると足元の技術無くして芸術性などあるはずも無いというのは私にもわかります。
初めて本物の日本料理を食べる外国人の中には、ある程度舌を鍛錬しないとその美味しさをが解らない人がいるように、パトリック選手のスケートは私にとってはいぶし銀の輝きを放つ玄人好みのスケートです。
私が好きなスケーティングをする方は、カートブラウニングさん、三原舞依選手、本田真凜選手です。
頭で判断しているのではなく、単純に見ていて気持ち良い。
パッヘルベルのカノンコードで沢山のヒット曲が生まれているのは、多くの人が聞いていて生理的に気持ち良いからと思うのですが、そういう感覚で好きです。
ただ足元の技術を含めた身体表現の話になるとまた別で、浅田真央さんを始めとして他にも好きな方は沢山います。
206 えるさんのコメントの件で、意見させていただいた217道草子です。高校野球の熱戦で我が家は野郎共と盛り上がってて、すっかり遅くなりました。218dark eyesさんのコメは私の 217の内容に関連してるかなと想いまして、時間も経ってしまって今更ですが、自分のコメントの後始末にひと言。
>多種クワドの習得を目標の一つにしていたのは、えるさんの125番や209番のコメントでも書かれている通りですよね。
ハイ、えるさんの情報に異論はありませんよ。
ただ、その206えるさんコメントの中の
>選手でこれを明確に目指すと言った人もその時点では聞いた事がありませんでした。
の部分は、えるさんのリサーチによる個人見解であり、事実かどうか分からないでしょうと申し上げた訳です。
その2011.11.10 の羽生選手のコメントは、よく言えば「野望」と言えなくもないですが、どの時代にもビッグマウスはいるもので個人的には軽く受け止めました。
218にて、追加情報、有難うございます。その内容が示してる様に、多くのクワドジャンパーの歴史があるわけで、それだけ見ても、誰が、いつ、どのようなルートでクワド複数習得に関心を持ち、言及し、練習し始めたかなんて、100%正確には証明しようがありません。(無理。重要でもない)言える事は、フィギュアスケート環境に身を置く選手なら、試合でライバルを見るし、コーチ、関係者、練習仲間内で色々話題にするだろうし、ネット検索したり動画をみたり、雑誌も見る、そういった環境から自然のなりゆきで、自身の考えを聞かれたら発言したり、また発言をあえてしない選手もいるはず。確証のない事に関しては「間違っていたらすみません」とか、「これ以上の情報を持ち合わせていません。訂正・修正などお待ちします」とか、何か一筆添えておく方法を取ると、鵜呑みにする人を生まないのではと想いました。
また、重箱の底つつくみたいで申し訳ないですが、209えるさんのコメの下8行の様に、(憶測と言ってすみません。)個人意見を付け加える時、懸命に羽生選手寄りに持って行きたいのはファン心理として分からないではないですが、言葉の使い方で違った印象になりかねません。(気持わるい。)そう感じるのはここでは私だけみたいですがね。(苦笑)
こちらのサイトにはファンだけでなくネタ探しに色んな人が来て見てますよ。メディア記者、ブロガー、動画職人、SNS利用者・・・羽生選手みたいに実力・人気が揃った選手の情報は欲しいはずです。情報が人から人へと拡散する間に、一部のみが強調されたり、加筆されたりして元々の事実とニュアンスが変化するのはいくらでもありますので、そういう発信者にならないためには、自分の書こうとするコメント内容に注意を払うべきかなと想った次第です。(私自身も)軽率なコピペや転載見かけるとホントうんざりしますから。
あちこち飛んですみません。218において、
>クワド百花繚乱時代のきっかけとなったのはボーヤンかもしれませんが、男子シングルの限界のハードルを上げ続けているのは間違いなく羽生選手なのですよね。
これには、ええーーっ???となりました。ソチ後、羽生選手は怪我や病気があって、自身のアスリートとしての「野望」(dark eyesさん仰るところの)の実現が少々遅れる事になりました。その間にボーヤンが出て、ネイサンが出て来て、モタモタ出来ない全く気の抜けない、プログラム構成を上げざるを得ない状況になり、新4回転時代に突入したと想います。ジャンプだけでなく総合力で優位に立っていた選手も、複数クワド習得、複数投入が勝つ為に必須となって来た現在、世界最高記録保持者で世界ランキング1位の選手ではありますが、「男子シングルの限界のハードルを上げ続けているのは間違いなく羽生選手なのですよね。」とは全然想いません。
むしろ、昨期のネイサンのように、1シーズン中に簡単に4回転を増やしコンボにも出来て、リカバリも自由自在、他にも試合でバンバン成功させるような若手達こそが男子シングルのレベルを上げているといった感が個人的に大きいです。
1個ジャンプミスったら順位が入れ替わる、誰が勝つか分からない抜きつ抜かれつのデットヒートの群雄割拠の状況だと個人的には想います。皆さんは異論おありでしょうが。それともリップサービス?はたまた、これも熱いエールなのでしょうか?
それにしても、ワールド、国別戦い終えての選手達、皆、表情も抱負もあっかるい!トップGの選手は皆、高いレベルの戦いを楽しんでるようでした。またそうでなきゃトップでは戦えませんからね。
今季どのように進化しますか? はあ、心臓が持たない。
ひと言のつもりが長文になってすみません。
フィギュアにおける「芸術性」これまた面白いですね。
全然追いつけません。いつか時間取れる時に読ませていただきます。
もうすぐ24時間TV。楽しみですね。
道草子さん、こんばんは。
はい、えるさんの206さんのコメントに私も少々引っかかる部分がありましたので、218のコメントの訂正以外の部分はそこを意識して書きました。私の知っている事実を書く事で、皆さんが当時の状況を考えて下さればいいだろうと思ったからです。
また、>クワド百花繚乱時代のきっかけとなったのはボーヤンかもしれませんが、男子シングルの限界のハードルを上げ続けているのは間違いなく羽生選手なのですよね。
の部分、その前のところで多種クワドを用いた演技の完成度、完璧性について書いたつもりなのですが。。。
クワドの種類や本数だけの話で限界のハードルを語っているわけではありません。
私の考える「現在の男子シングルの限界のハードル」とは、多種クワドを4本以上入れて、なおかつ質の高い演技、つまり他のエレメンツでもジャンプでもGOEは当然+のみ(しかもほぼGOE+2〜3という高いGOEを獲得していて)、繫ぎもたっぷりでPCSも極めて高い、というような演技(ヘルシンキの羽生選手の演技のような)のことです。
というのは、クワドの本数を増やせば増やすほど、一般的には演技の質は下がりがちになるからです。
そしてフィギュアはジャンプだけで成り立っているものではないから。
そういう意味で、2015年N杯以来、昨季までの「男子シングルの限界のハードル」を上げ続けてきたのは羽生選手だと思っています。
少なくともクワド4本(+3A2本)入れて密度の濃いプログラムをミスなく完成させた選手は彼だけでしたでしょう?
(ネイサンがリカバリ自由自在なのは私も器用だと思うけれど、以前に別スレで書いたのですが、繫ぎが濃くないから可能だとも言えるのですよね。PCSにはその通り反映されてますけどね。)
今季がどうなるのかはまだわかりませんけどね。
羽生選手が限界のハードルを上げ続けているは事実だと思います
そもそもネイサン選手やボーヤン選手が高難度ジャンプに取り組むのはトータルパッケージの羽生選手に勝つには羽生選手以上のジャンプ構成で挑むしかないからです
かつて羽生選手がパトリック選手に挑んでいった方法と同じです
ネイサン選手が羽生選手はロールモデルと言った意味がよくわかります
そして羽生選手はそんな彼らに対して羽生選手自身も構成を上げ続けている
(ここがかつてのパトリック選手とは違う部分だろう)
そして羽生選手はフリーのクワドは4本で十分だと言っていたボーヤン選手の隣で4本で十分だとは思わないとネイサン選手がシニアで台頭する前にすでに発言しています
自分はボーヤン選手と同じく4本で十分だと思っていたので驚いた記憶があります
羽生選手が構成を上げ続けているからネイサン選手もボーヤン選手も更に構成を上げざるをえない
でもネイサンの合計7本のクワドでもクワド5本の歴代最高得点を越えてはいない
今の男子フィギュアスケートを引っ張っているのは羽生選手で間違いないと思います
すみません。
えるさんのコメントは209番でした。
また、他にも誤字や打ち間違いがありますが、ご容赦下さいませ〜。
>クワド百花繚乱時代のきっかけとなったのはボーヤンかもしれませんが、男子シングルの限界のハードルを上げ続けているのは間違いなく羽生選手なのですよね。
私はこのご意見に賛成です。羽生選手は一歩一歩進化してきて限界を設けることをしません。ハビエルも言っているように、ショート、フリー共にクリーンで滑ったら羽生選手に勝つ相手はいない、というのが現状だと思います。質と完成度、これを考えるに、羽生選手が現状ではトップだと思います。世界選手権で羽生選手が優勝した時も、「キングが帰還した」等各国のメディアで注目されています。
そんな羽生選手に勝つために戦略を練って四回転の種類を増やしているのが今の若手の選手達だと思います。ネイサンもその一人かと思います。ネイサンが平昌で優勝するためには、羽生選手を倒さなければならない、といった記事も米国内で出ました。それほど羽生選手は注目された存在だと思います。
フィギュアはトータルパッケージです。それを成し遂げる羽生選手がさらに限界のハードルをあげることで、結果的に男子シングルの限界のハードルがあげることに繋がっているのだ、と考えています。
白熱しているところ失礼。
何でこーなるの?って面白くもあるけど、誰が男子フィギュアのハードル上げ続けてるかは戦ってる選手全員としか言いようないでしょ?一人相撲とってるんじゃないし。スポーツはその時戦っている相手同士がお互い競い合うから結果としてハードルが上がってくんですよ。意識の問題としてなら全員ハードル上げるべく戦ってるだけ。
dark eyes さんが言ってるのは総合点数的にそれを上げ続けてる選手は羽生だってことでそれは数字上の事実。議論の余地ないことでしよ?
主観で誰が上げ続けてると思うなんてのは論点ずれてるしスポーツを語る上であまり意味感じませんね。
ハードルなんか誰が上げ続けたって構わないんであって大事なのは誰が次に勝って記録を更新するかだけ。今のとこそれを続けてるのが羽生、と言うことで事実に議論は必要なし。道草子さんが疑問を呈してdark eyes さんが答えて終わってますね。冷静にお願いします。
239dark eyes さんの
>クワドの種類や本数だけの話で限界のハードルを語っているわけではありません。私の考える「現在の男子シングルの限界のハードル」とは、多種クワドを4本以上入れて、なおかつ質の高い演技、つまり他のエレメンツでもジャンプでもGOEは当然+のみ(しかもほぼGOE+2?3という高いGOEを獲得していて)、つなぎもたっぷりでPCSも極めて高い、というような演技(ヘルシンキの羽生選手の演技のような)のことです。というのは、クワドの本数を増やせば増やすほど、一般的には演技の質は下がりがちになるからです。そしてフィギュアはジャンプだけで成り立っているものではないから。
dark eyesさんからご説明いただいた内容ぐらいは、スケオタでない私も十分理解しておりますよ。(まいったな。汗汗)
羽生選手のワールドFSみたいな演技は、彼にとってもそう何回もできるわけではなくワールドでやっと完成させられた状態でした。
本人もハラハラしながら最終グループの演技を観ていたと言ってましたね。スポーツにたらればはありません。試合の結果で論じるべき。
どの選手も、クワドもエレメンツもより質の良いものを目指し、プログラムの完成度を上げなくては将来勝つことはできないと想っているはずです。しかし選手一人一人、現時点では持っている武器は違う、選手としての年数も違います。技術点が高い選手もいれば、演技構成点も両方高い羽生選手みたいな選手もいる。しかし、SPFS総合得点で競うスポーツなんですから、その時の自分の得意とするもので勝負していいわけです。パリ散で世界最高連発していた頃の羽生選手のように。ワールドでは2位との差はおよそ2点あまり。ほぼ横一線、射程内に捉えられてると想いました。
若手はみんな余裕の表情でしたから。次は負けないよみたいな。それに、羽生選手は会見などではいつも強気に出ます。自分の発言がメディアに瞬時に取り上げられるのを承知してます。頭のできが違います策略家ですよ。オーサー氏の元での海外で長く生活していますからね、自己アピールは重要な意味があります。これぐらいにします。睡魔で文章が続きません。皆さんと同じでなくても全く意に介しません。眠い。失礼しました。
ソルトさん、
>誰が男子フィギュアのハードル上げ続けてるかは戦ってる選手全員としか言いようないでしょ?
これは勿論ソルトさんの仰る通りです。ただ、その先陣を切っているのが羽生選手だといういい方はおかしいですか?
私はおかしいとは思っていません。インタビューで「真4回転時代。そんな風にしてしまったのは私かもしれませんけど。」と羽生選手自身が仰っています。その事実を1ファンとして、考慮し、考えを述べることにおかしさは感じません。あくまで真面目です。
冷静さを欠いていると思われたらすみません。個人的には冷静でいるつもりです。
243の補足、と言うか確かにdark eyes さんも~のように思う、と主観的に見える書き方をされてるのだけど、大事なのは
〉「クワド4本(+3A2本)入れて密度の濃いプログラムをミスなく完成させた」「多種クワドを4本以上入れて、なおかつ質の高い演技、つまり他のエレメンツでもジャンプでもGOEは当然+のみ(しかもほぼGOE+2〜3という高いGOEを獲得」した結果、最高得点を更新して優勝した事実…これでハードルがまた上がったということでありそれを上げたのはボーヤンでもネイサンでも他の誰でもなかったということでは?
ハードルを上げるといういうのを男子フィギュアのレベルを上げる、限界を上げるという意味で使ってるなら、ハードルは競い合う中で結果的に上がって来たのだから、羽生が結果を出せてるのは自身の能力と共にここで語られてた長い4回転なんかの歴史に続く全ての選手を含む現在の状況と言える訳で、羽生一人が上げてる、いやボーヤンが上げてるなどとの議論はナンセンスということです。
243ソルト さんのコメが早かったようで。投稿後に拝見しました。
ちょっと似てますかね。
245magrittemari さん、
ああ確かに先陣を切るという意味でならどういう選手が出てくるかで進化の節目節目で結果に繋がるきっかけとか起爆剤になる選手がいて、それが誰かということはあるかもしれないですね。
まあでも自分などはそれについてもあくまで誰か一人と言いきるのもどこか変とは感じるけど。羽生という選手の特性として単に勝つだけでなく記録更新狙いやあらゆる面での理想が高いというのはあるから、そうい特性を持った選手の出現によって結果としてのハードルが上がるスピードに加速がついた、とは言えるかもですね。
248.ソルトさん、
私は羽生選手が真4回転時代(これも羽生選手が最初に使いだした言葉ですよね)の先陣を切る、という意味でおおいに役割を果たされているものと感じていました。羽生選手はオールラウンダー、皆それを目指しつつも、それぞれに個性があり、その個性で勝負するのが面白い、そうやって切磋琢磨していく、そういう時代なのだと思っていました。
誰か一人だけが突出している、というのは確かに言葉の使い方としてちょっと違うかもしれません。仰るように、羽生選手はあらゆる面で理想が高く、そういった選手の出現によって結果としてのハードルが上がるスピードに加速がついた、ということなのだろうと思います。
お返事頂きありがとうございました。これからも各選手同士、切磋琢磨してより高度なものを仕上げて頂けたらいいですよね。勿論、怪我には十分気をつけて頂きたいですが。
〉これからも各選手同士、切磋琢磨してより高度なものを仕上げて頂けたらいいですよね。
そうです!
羽生は一人で戦ってるんじゃない。一人勝ちのアイドル選手なんかじゃないんだよね。そう見られがちみたいだけど。ギリギリ状況ですよ。全選手にとって。
羽生、チャン、フェルナンデス、ブラウン、宇野、ジン、チェン、コリヤダ、ゾウ……他にも誰が次にハードルを上げるかなんてわからんのですよ。
まさか平昌のシーズンにこんなことになるなんて。
しかしmagrittemari さん、さらっとやさしく言ってるけど「より高度なものを仕上げて頂けたらいいですよね。」って羽生が聞いたらゲゲゲーですよ(笑)
それこそ筋金入りの羽生ファンですな。
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