カナダ・トロントで練習を公開し、平昌五輪シーズンのフリープログラムを発表した羽生結弦のニュース動画です。
フィギュアスケート14年ソチ五輪金メダリスト羽生結弦(22=ANA)の今季フリープログラムが、15-16年シーズン「SEIMEI」の再演となることが8日(日本時間9日)、カナダ・トロントで行われた公開練習で発表された。既にアイスショーで披露している新ショートプログラム(SP)も14-15、15-16年に使用した「バラード第1番」の再演。五輪でSP、フリーともに過去のプログラムを滑るのは極めて異例。世界最高得点を出した得意の曲で、66年ぶりとなる連覇に挑む。
平安時代の「陰陽師(おんみょうじ)」安倍晴明をテーマとした「SEIMEI」は、自ら選んだ思い入れのあるプログラムだ。狩衣(かりぎぬ)をイメージした衣装に加え、振り付けにも能や狂言を研究して日本の伝統を取り入れた。過去に日本人トップスケーターらも和風プログラムに挑んできたが、国際舞台ではなかなか評価されにくかった。だが、羽生は15年のNHK杯で当時の世界最高得点となる216・07点をマーク。続くグランプリ(GP)ファイナルではさらに219・48点と記録を塗り替え、世界に「和」を認めさせた。
2季前は4回転ジャンプが2種類3本だったが、昨季4回転ループという新たな武器を加え、フリーでは3種類4本が出来るようになった。「SEIMEI」で4回転ジャンプ4本を成功させれば、自ずと技術点は引き上がる。
見慣れたプログラムという懸念について、羽生を指導するブライアン・オーサーコーチ(55)は「それはない」と否定した。「誰が見ても、いいなぁと思うプログラムだし、振り付けも新しくなっている。ただ、レベルを引き上げる必要はある」。2度目の「SEIMEI」をいかに進化させるか。五輪に向けて、新たな挑戦が始まる。
(2017年8月9日掲載 日刊スポーツ「羽生結弦、今季フリーは「SEIMEI」再演に決定」より)
“羽生結弦 平昌五輪シーズンFSプログラム発表「陰陽師」 (2017/8/9-10)” への450件のコメント
250.ソルトさん、
羽生選手も他の選手も皆ギリギリ状況というのは全くその通りですね。その中で「より高度なものを仕上げて頂けたらいいですよね。」は羽生選手ゲゲゲーですか(^^;)。そうですよね(汗)。実際実行されるのは羽生選手なわけで、言う方は簡単ですよね…。
ここは開き直って、はい!私、仰る通り筋金入りの羽生ファンです!(キリッ)羽生選手ガンバー!!
起きたらなんかすごいコメント伸びててびっくりです。
道草子さん、私、男子シングルの限界のハードルって言う時に、必ずしも個々の試合の結果を考えていたわけではないです。
技術的にも演技の質的にも、どのくらいまで高レベルの演技が人類には可能なのか、という考えでした。だからあえてエレメンツの少ないSPのことは書きませんでした。(もちろん、試合としては二つのプログラムで結果を競う競技なのだから、それではおかしいと思われるかもしれませんが。)
ある演技の技術的、質的なレベルを計るものさしは得点ということになるので、どうしても「得点」で比べることにはなります。
(違う試合の得点であること、またシーズン毎にルールが少しずつ違うので、厳密には比べられないかもしれませんが、大きく動きがあったのがここ2年くらいのうちの出来事なので、細かい部分には目をつぶっています。)
その時に、2015年以来、FSでの最高得点を更新し続けているのが羽生選手だったという事実(まさにソルトさんが書かれていることです)を述べているわけです。
羽生選手が2015年N杯で見せた演技は衝撃的なものでした。
GOEとPCSの天井が見えてくるような演技が可能だと示したわけですから。
それを上回る得点を直後のGPFで出して、高確率で再現性があるということを自ら証明してみせました。
その頃は羽生選手は孤独な一人旅に出るのかと予想した人が多かったですよね。
でも、そうは問屋が下ろさなかった。
すぐさまハビが構成を上げました。
当時はまだジュニアの選手でしたが、1月の全米でネイサンは2種でしたがクワド4本入れています。ネイサンの場合は羽生選手の演技を意識してのクワドの本数かどうかはわかりません。
ちょうど同時期にボーヤンの4Lzの脅威も出て来ていました。
まあ、その前年の全米でも3クワド入れるつもりだったようですし、2015年JGPFで既に4本入れるつもりだったと聞いているので、元々計画していた可能性の方が高そうですね。
でも当時、私がとても印象的に思ったのは、羽生選手がイーグルからの4Sを入れたすぐ後で、ネイサンとヴィンセントがイーグルからのクワドをやろうとしていたということです。イーグルからクワドを跳ぶというのは、私は羽生選手で初めて見た気がします。(違ってたらすみません。ご指摘下さいね。)
このように、「出来るんだ、やってもいいんだ」と思ったらすぐにやってみる。昌磨くんも含めて若手のこういう姿勢が今のクワド百花繚乱状態にも繋がってきていると思います。
もっともここまで急速に多種クワド、多数本への流れが加速したのには別の要因、たとえば他選手の演技を見たり、分析したりする機会と技術が発達して技術を真似しやすくなったというのも大きく影響しているかなとも思いますが。
本田さんがクワドを跳ぼうとした時にまだ世界で数人しかクワドを跳んでいなかったので、大変だったという話がありまして。
今みたいに映像もない。分析もできない。VHSを何回も見て。でも跳んだことある選手も少ない。
なので、どうやっていいかわからなかったんで、とりあえず回ろうと思った。
で、回っちゃった。
という内容のことを仰っていたのを思うと、感慨深いですね〜。
magrittemariさんの仰る
>>これからも各選手同士、切磋琢磨してより高度なものを仕上げて頂けたらいいですよね。勿論、怪我には十分気をつけて頂きたいですが。
に同意です〜。
選手の皆さん、大変だけど頑張って下さい!
(と無責任なファンは言うだけなのであった)
また訂正です。何度もすみません。
>>GOEとPCSの天井が見えてくるような演技が可能だと示したわけですから。
の部分は
クワド3本と3A2本という高難度構成であっても、GOEとPCSの天井が見えてくるような演技が可能だと示したわけですから。
と付け加えさせて下さい。
当時はこの構成で非常に高難度でしたよね。。。ボーヤンはクワド4本+3A2本構成にはしてましたけど。
わずか2年前ですよ。。。今の状況は本当に恐ろしいです。
選手の皆さんはよくもまあこの急流に喰らい付いていってらっしゃるなと感心しております。
私の考えも少しだけお許し下さい。
4回転時代をその文字だけを捉え上澄みだけを大衆に語る時もあるだろうし、える様のように下部に沈殿する深層にまで言及して語られることもあると思います。どう感じ発信するかは鑑賞者によって異なるのは当然の流れだと思うので統一見解は得られにくく意見が分かれるところだと思います。
議論に際し、将来を見据えての議論と現時点での議論とでは立ち位置が違いどうしてもフェーズは合わないと思います。
何者に煽られる事なく羽生選手が訂正した”真”4回転時代(ホールパッケージ)と、える様の現時点に留まらない見解”扉を開けたは”平仄が合うものと私は思っています。
える様は全選手に愛情を傾けいつも中庸な姿勢で見て来られたように思います。高精細なデータ提示。コメントにある「取り組みの姿勢」「呼応する」などの言葉につながる羽生選手の強運は若手台頭にある、一人では成しえない、その重要性をいつも挙げられています。№209のコメントの骨子はここにあると思っています。
言葉尻だけを捉えそれに固執するのではではなく全体の流れから判断しないと議論は本質を欠き上辺だけのものになるでしょう。視点、視野、視座によっても違う。一を聞いて五を知る人もあれば十を知る人もあられるでしょう。そこに見え隠れするもの、論旨は何かを自分で探り感じ取る必要があるのではないかと思っています。
この議論がもし公式見解として成立するのであればそれは五輪を制した者が塗り替える事になりまた時代が動くという事でしょう。歴史が示すように、時代によって価値観も変わり見解も変わります。時が流れ考えも改良を重ね変わっていくように。
そして発信は真摯に自由に表現されるべきものと思います。どの時、どの部分を掬い取って発信するかは自己責任に帰するものと感じます。判断するのは自分です。発信のリスクを正しく認識し、自分自身の判断と責任に基づい て行なわなければなりません。これが「自己責任」の原則と思っています。
異見を排除される事無く活発に議論できるこの場所を幸いに感じております。
ソチで優勝した直後(私の記憶では、まだソチに滞在中のインタビューだった記憶)に 羽生選手は「僕らが どれだけ頑張るかによって、次のオリンピックが決まる」という発言をしていたと思います。
また、その後の織田さんとの対談の中で、自分の思い描くフィギュアスケート界の未来について「自分が頑張って上手くなろうとすることで、周りも同じく頑張って上手くなる、そうやって皆が頑張ることで 全体のレベルが どんどん高くなって行くのが理想」ということも語っていました。
(↑一語一句を細かく覚えてはいませんが、全体としては そういう意味だったはず)
ここまで多種クワド(しかも完成度の高い)が何本も跳ばれる さながら空中戦のような状況を予想していたかどうかはわかりませんが、トップに立った羽生選手が 限界を上げ続けていることで、それがきっかけとなり 彼の理想としてた男子フィギュアスケートに近づいていることは間違いないと 私は思います。
一般的には 世界のトップに立った時点で守りに入ってもおかしくないところを、トップに立ったからこそ引っ張らなければ…という意識で それが使命だと思っているように 私には見えるのですが、しかも その境地に至ったのが タイトルを取った直後であったのが また凄いなと。
多くの選手が通常「タイトルを取る」のを目標にする中、彼は既に「五輪を連覇する」という壮大な目標があって「(1つ目の)タイトルを取った後はどうするか」まで考えていたように思える…。
個人的には そのあたりのメンタリティが「ちょっと他の選手と違うんだよなぁ」と感じるところであり、彼の凄さの根源だと思っていますが。
桔梗さんの意見と同じく、私は 4Lzに関しては 彼は相当の自信がなければ試合で入れることはないだろうと思っていますけど(ただプログラムに入れて跳ぶのではなく、難しい入りや出とか やたら短い助走とか、要するに加点が見込めるレベルで安定して跳べなければ 入れないと思う)、クワドの種類と本数だけでなく その質を求めるところ、若手がクワド本数を増やしても ただ数で対抗するのではなく その他のレベルは落とさず 繋ぎも濃いままで、最高レベルのプログラムを滑る…というのが、王者としての矜持であり こだわりなのではないかな、という気がしています。
GOEで勝負するというのは オーサーコーチの方針と一致しているところでもあるし、ジャンプは 長い助走で構えて跳ぶのではなく プログラムの中で溶け込むように自然に跳びたい、それにはステップを組み込むなど 入りや出に工夫を持たせることも意味がある、というようなことは 何度かインタビューなどで本人が語っていますしね。
羽生選手のジャンプは 素人が見ても完成度が高くて美しく、高いGOEを獲得するのもわかります。それこそ 現行ルールでは ほとんど天井〜満点に近い得点を叩き出せるわけですし。
ハビエル選手が「YuzuruがSP・FS共にクリーンに滑ったら 勝てる選手はいない」というのは、そういうことでしょう。
しかし 道草子さんが書かれたように、試合でその「全てをクリーンに滑る」という演技は いかに羽生選手といえど 何度もできることではない…というのもその通りかと思います。何しろ 近年の男子シングルの構成は、完成度を共に追求するには 高難度すぎますので。
SP・FS共に再演というのは そういったクリーンに滑る確率を上げるための戦略でしょうし、いずれにせよ 五輪シーズンにかける意気込みは 並々ならぬものがあるのでしょうから、この上は とにかく怪我なく 彼自身の納得のいく演技ができますようにと祈りつつ 応援したいです。
ところで「アクセルを除く5種クワドを降りるのは誰か」という予想(想像)は、近い将来 誰かがやってのけそうな 今だけのファンの楽しみかも知れませんね。
ちなみに、私の予想(あくまで私見)では 米国のヴィンス選手あたりがやってきそう…と思っていますが…どうなるでしょうか(^^;
映像はないものの 本田さんやガチンスキー選手も5種クワドを跳んでいたというのは 私も聞いたことはありましたけど、今のように気軽に映像で残したり見返したりできない環境では 本当にどれだけ大変だったことでしょう。
その本田さんは、羽生選手について「あのジャンプのセンスと才能をもってすれば、もう1種類か2種類のクワドはいけそう」とソチ後に語っていました。(確か「語り亭」の中での発言だったと思います)
その時は 私は「いやいや、いくら何でも そう簡単に新しい種類のクワドをボンボンと増やせるものかなぁ」と懐疑的な感想を持ったのですが、本当にこんなレベルにまで至るとは…(^^;
今考えると、あれは 練習でなら何種も飛んだことがある本田さんだからこその、期待と実感を込めた発言だったのかなぁ…などと思っています。
皆様、お疲れ様です。
熱い真剣なコメントに心打たれました。
其々、お気持のご確認を済まされて、平穏でいらっしゃると想います。
私も、自分自身の再確認ができて、落ち着いた爽やかな目覚めです。
厳しい練習に明け暮れてる選手はどうでしょうね?怪我の無いよう
日々祈っています。
楽しいひとときでした。有難うございました。
おはようございます。
宇野選手、今季、5種類の4回転習得目指しているみたいですね!
羽生選手も頑張れ~!
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170825-00000015-sph-spo
おはようございます。
私は暑さが苦手なので、また暑さと湿気がぶり返して、夜、いつもより早く床についても何度も目が覚めてしまったり、朝もいまひとつすっきり、とは行かず、道草子さんがうらやましくさえ感じます!
フィギュアシングル男子のハードルの上がり方に関連する議論を興味深く読ませていただき、これまでの流れ、歴史や羽生選手の発言などを知ったり思い出したりさせていただけた、と共にいろいろと非常に考えさせられることが多かったです。(過去形ではなく、今でも考えておりますが。)
その意味で、忌憚なくご意見を言ってくださった皆様にも感謝です。
256.道草子さんは、お気持ちの再確認ができた、と仰っており、それは良かったですね、と感じつつ、どういう再確認なのだろう、などとも思い、しかしそれを質問するのもそれこそ無粋なのかな、などとも・・。
かなりの「スポーツ」好きの方かも、というのが私の道草子さんに対する印象です。
特定の方のどのコメントがどう、ということより、全体的に少し不思議に思えたのは、「羽生選手はトータルパッケージを目指しているのであり、ジャンプだけに拘っているわけではない」としつつ、歴史なども含めて、ジャンプのことに過去の検証が偏りがち。他の部分、例えば表現、スケーティング全体などについてはどうなのかな?・・と。
羽生選手がもし「全て」において、ハードルを上げた、というなら当然そちらについての検証も行わなれなくては?とやや感じてしまいました。
今活躍中の選手の名前も、ボーヤンとかネイサンとかが多くなりがち・・。例えば、ハビエル、パトリック、ジェイソン、そして宇野選手などはそういう話の流れの中でどう捉え、位置づけるのか?
中でも、羽生選手ははっきりと口に出しては言わなくても、ハビエル選手の影響は記録、ということ以上にいろいろな面で、もしかしたら非常に大きかった、注目しなくてはいけない部分ではないかな、と個人的には思っています。
ハードル、という物体は、誰が見ても同じ高さのもの(客観的なもの=万人にとって同じ高さと認識できるもの)とするなら、やはりそれにあたるのは「試合の結果とか点数」というものであるべきで、羽生選手個人にとってのハードル、というのは客観的なものではありませんよね。
その意味では、ソチ以来ハードルを1番上げ続けているのは羽生選手なのである、とファンだろうがファンでなかろうが、あまりに明らかなことではないか、と私は思います。なにかそのあたりがお話の中でやや混同が見られる場合もあったかもしれません。
また、「表現の自由」とそれに伴う責任について、254.ELLYさんのご意見に賛同するところが多いですが、例えば「事実」を個人的嗜好で捻じ曲げたり、脚色したり、根拠に乏しいことや事実でないことを事実であるかのように断定的に語る、ということまで、表現の自由と言えるのか?というようなこと。(ここでどなたかがそうしてる、という意味ではありません。例えば極端なものとして、ジャッジに対するいわゆる「陰謀論」などのようなもの。)
これは、気をつけなければいけないな、と思いました。相当意識しないと、知らず知らずのうちにやってしまいそう。
そして、やはり情報の取捨選択は難しいですね。
人は無意識のうちに自分に都合の良い情報だけを選択しがち。
自分の中で済ませているうちは何の問題もありませんが、いざ公に紹介するとなると、実は大きな責任が伴う、ということでしょうね。
数字による客観的な記録など以外は、どんな情報も一定のバイアスはかかっている、と認識する、これはいわゆるメディアリテラシーの基本中の基本かもしれませんね。
さらに、選手の言っていることだからそれが全て、あるいは全てが真実、というわけでもないでしょうし、インタビューを受けるタイミングや回数も選手によって異なるし、インタビュアーの聞き出し方によっても答えは変わってくる場合もあり得る、ということもあり、そのあたりも注意してものごとを見極めることは、難しそうですね。
などなど・・・いろいろなことを考えさせていただけたこちらでの皆様の意見交換でした。ありがとうございました。
さ、これから一日の仕事です。皆様も暑さに負けずファイト!!
あ、私も、筋金入りファンの、 magrittemariさんの仰る、
>これからも各選手同士、切磋琢磨してより高度なものを仕上げて頂けたらいいですよね。
に1票です。
さらに、怪我、ミス・・・オリンピックシーズン、そのようなことをやってる時間はありません!
(と無責任なファンは、追い込むだけなのであった。)
追い込まれることも案外嫌いじゃなさそうなご体質に見える、
羽生選手、ファイト!!
桔梗さん、今時間がないので一言だけ。
ちょっとコメントを拝見してびっくりしたのですが。
過去の検証がジャンプに偏るのは、ジャンプは種類と回転数が現在の基準と変わってないからだと思いますよ。(厳密にいえば回転不足の問題、エッジエラーの問題等も出て来ますが。)
一方、他のエレメンツ(スピンとかステップとか)や表現については採点法もルールも(スピンやステップの数だって違うし)違い過ぎていて、比べるのが非常に難しい。というか、私はどうやって比べたらいいのかすらわかりませんわ。
どのような尺度を設ければいいと思われますか?
だから、私としては「限界のハードル」はここ2年の様子についてのみコメントしたつもりだったのですけど。。。
ほぼ同じ時期にボーヤンの4Lz投入もありましたしね。
dark eyes さん
私も時間がないので、とりあえずなるべく短く。
まさに、dark eyes さんが259. で私のコメントに指摘していただいたことが、答なのです。
まず私は、上でも申した通り、誰がハードルを上げたか、についてはあくまでもやはり試合での「結果」でしか言うことはできないと考えており、その点で、205.でdark eyes さんが書かれている
>ある演技の技術的、質的なレベルを計るものさしは得点ということになるので、どうしても「得点」で比べることにはなります。
に全く同意です。dark eyes さんが、ここ2年の様子に限ってコメントしてくださっていることも大変理解できるところです。
258.はどなたかのコメントに対して、ではなくあくまでも、一般論の話として書いています。
羽生選手が切り開いた、とされる「真・四回転時代」は、単にクワドだけで高い点数を得るのではなく、フィギュアの全ての要素のトータルでの完成度(試合において高得点)を目指す・・ということですよね。
ということは、いくら4回転ジャンプで点数を稼いでも、他の部分がだめなら「勝てない」時代、ということですね。
そうなると、それを少なくとも「切り開いた」とする前後から、すべての項目についての選手達の出した得点の検証が厳密には必要、だと思いますし、ある時点からルールが変わったのなら、それぞれの部分で「今の」全体状況のきっかけとなるような選手を、どうやって証明するのか?という問題が出てくると考えられます。
羽生選手が「真・4回転時代」を切り開くには、そのモチベーションになる選手というのもいたはずですよね。ただ4回転の数や種類で競うだけでなく、それをもってしても負ける可能性がある、と考えた選手もいたのでは?
それならその選手もまた、「真・4回転時代」を切り開いたひとり、と言える、という考え方もあるのでは?
そういうジャンプ以外の資料の提示が、不可能だとしたら、今の時代を切り開いたのが誰か?ということは、厳密にはそう簡単には言えないし、どうしてもそういう見方での結論だと、疑問を感じる人も出てきてしまうのではないか?
ということです。
「真・四回転時代」というのは、誰か(羽生選手?)が言い出したことばなのであり、あくまでもここ2年間の男子シングルにおいて「(点数的に)最もハードルを上げているのは羽生選手」ということしか、「万人に納得」できる形では言うことができない、(あるいはその証明が相当難しい)ということだと思います。
例えば、道草子さんなどがご懸念したのは、別にそれがファンの間で純粋に応援目的で語られているなら、そう問題はないのだけれど、強引な結論をもってそれを鵜呑みにして拡散されたら、やはりそれは事実(真実)とはちょっと違うのではないか、・・そういうことだったのではないのでしょうか?
違いますか?
(急いで書きましたので、不明瞭な点があるかも・・)
いや、桔梗さん、ちょっと誤解があるかもしれません。
一般論と仰っているのはわかりますが、こちらのコメントでの話を元になさっていると考えまして。。。
まず『「真・四回転時代」を切り開いたのが羽生選手』とどなたかが仰ってましたっけ?(これについては今時間がなくて前のコメントを細かく見直せないので、どなたかいらしたら教えて下さいませ。)
それと、
>>羽生選手が切り開いた、とされる「真・四回転時代」は、単にクワドだけで高い点数を得るのではなく、フィギュアの全ての要素のトータルでの完成度(試合において高得点)を目指す・・ということですよね。
のように書かれてますが、これは別に真四回転時代に限ったことではないですよ。昔からジャンプだけ跳べても勝てなかったのは同じ。また「真・四回転時代」の定義が桔梗さんが書かれているような時代だという記述はどこかにありましたか?
また、
>>ということは、いくら4回転ジャンプで点数を稼いでも、他の部分がだめなら「勝てない」時代、ということですね。
これについてはわかりません。今のルールでの理論値を計算してみないと。(そしてその時間はないです〜)
さらに、
まず、私がこの話に加わった時は、多種クワドが多数本見られる今の四回転時代への流れを加速させたのは何か(誰か)という話でした。
それで、私はそれはボーヤンが安定して4Lzを跳べるようになったことでは?と述べました。
そして、これまで幾多の選手のチャレンジがあり、またルール変更のおかげもあって、今のクワド百花撩乱時代に至った。と言いたくて、これまでの「ジャンプ(とルール)の歴史」をざっと書いたわけです。
すみません。用の合間なので、こちらの理解不足もあるかもしれませんが、ざっと読んで上の点が気になりました。
あっちゃー、dark eyes さん(~o~)
お互い時間のない中でのやり取りで、私も焦りまくりなのではありますが、また続くようなら、後ほどゆっくり、の方がいいのかな、とも思います。一応・・・
そもそも、この件について、「試合の結果」で判断すべき、と言う意見の一致が見られる、dark eyes さんと私が議論するのもなんとも不思議な構図なのでありますが。
>一般論と仰っているのはわかりますが、こちらのコメントでの話を元になさっていると考えまして。。。
元に、ではなく、あくまでも「きっかけ」として、一般論として広げて考えています。
>『「真・四回転時代」を切り開いたのが羽生選手』とどなたかが仰ってましたっけ?
これは仰っている、少なくともそのことばは出てきている、と思います。
>・・これは別に真四回転時代に限ったことではないですよ。昔からジャンプだけ跳べても勝てなかったのは同じ。
それでしたら、なぜ特別に今に限って「今の時代を何か特別な時代」と捉えて、誰が先陣を切る、とか誰がハードルを上げる、ということをとりたてて考えなくてはいけないのでしょうか?ハードルを上げているのはいつの時代も、その時その時勝った選手、で済んでしまう話のように思えます。
あと、私は「定義」はしてません。これまでの流れからそのように私には受け取れるということであり、「定義」というなら、それを言い出した人に伺ってみないと・・・です。
とりあえず、こんなところで今は失礼しますね~。
お互い気をつけて、用事や仕事を済ませましょうね!
あっ~!私のコメントに対してですよね。お二人に気を遣わせてすみません。
>何者に煽られる事なく羽生選手が訂正した”真”4回転時代(ホールパッケージ)と、える様の現時点に留まらない見解”扉を開けたは”平仄が合うものと私は思っています。
この部分で宜しいでしょうか?
まず前半の 何者に煽られる事なく羽生選手が訂正した”真”4回転時代(ホールパッケージ)・・についてですが、騒ぎすぎる一部のマスコミに対しフィギュアスケート全選手の公益を図るという意味で書いています。
後半の 現時点に留まらない見解・・その(上記の)実現への期待を込めた表現として”扉を開けた”という意味で書いてます。
言葉不足ですみません。すべて私の考えです。
取り合えずざっとですみません。ちょっと私も今時間が無いのでご主旨をよく理解した上で再度参りますね。
桔梗さん、ほんと、忙しい中なので色々充分ではなくてすみません。
そう、私もなんで桔梗さんと議論しているのかだんだんわからなくなってきましたわ。暑いですねぇ。
まあ、でも今はこれまでに比べてやっぱり特別な時代ではあると思うんですよ。ここまで急速に多種クワドが見られるようになって、アクセル以外のクワドが全部出そろって、その上、その結果、各トップ選手の試合に入れる本数がこれまでより格段に多くなってきた。
そのきっかけになったのが誰かという話と、ハードルを上げてるのは誰かという話はもちろん関係はあるのだけれど、ちょっと別というか。
ハードルについては私が持ち出しちゃったので、混乱を招いたのかもしれません。
私としては単純に
>>技術的にも演技の質的にも、どのくらいまで高レベルの演技が人類には可能なのか、という考え
から出したハードルという言葉だったのですよ。
で、
>>ということは、いくら4回転ジャンプで点数を稼いでも、他の部分がだめなら「勝てない」時代、ということですね。
の部分、今のままのルールではむしろクワドを沢山跳べば他がダメでも(めちゃめちゃにダメでない限り)勝てる可能性があるのですよね。(厳密には計算してないのでカンで言ってますけど)
以前、どこかのコメ欄で(多分2015年?)Da Capoさん達と『ボーヤンの出現によってTESとPCSのバランスが崩れつつある』という話をしたことがありますよね。
今はそれが一層進んだ感じ。
ただ、クワドが多種跳べる今のトップ選手は皆、ジャンプ以外のエレメンツもレベルが取れるし、完成度がかなり高い演技をしていて、PCSも80後半は出ているという事実もあり(やっぱり羽生選手がハードル上げちゃったから、そうしないと勝てないんだと思う、とか書いたらまた混乱する?)なんとかかんとかバランスは保たれていますでしょうか。
私もいい加減仕事を真面目にやらないと明日以降大変なことになるので、頑張ります!
送信しようとして、ELLYさんのコメントに気付きましたが、いや、少なくとも私はELLYさんのコメントの内容に触れたつもりはなかったです。
263. ELLY さん
いえいえ、ELLY さんにお気遣いさせてしまってるのはこちらの方です。
私は何度も申しているように、あくまでも「一般論」に広げて考えているので、個々の方のコメントがどう、ということではないのです。
ただ、一般的に「ハードルを誰が上げているか」などという話題になれば、真・四回転時代ということばが飛び出すだろう、ということはこちらを拝見しても推測されますので、お借りしたまで、です。
ですので、262.で私が言う、「『真・四回転時代』という、ことばの定義は言い出した人に伺ってみないと・・」というのは、「こちら」で使っている人に、という意味ではありません。
こちらで、他にもお使いになっていらっしゃる方もおられますし、「定義」というなら、元々そのことばを使い始めた人(羽生選手?)に伺ってみないと、という意味です。
(いやいや、本音を言えば、本当に伺ってみたいくらいです。
結構世の中の人、その強烈なことばに影響されてますからね。
これも何かの作戦??な~んて。)
あと、dark eyes さんの
>私がこの話に加わった時は、多種クワドが多数本見られる今の四回転時代への流れを加速させたのは何か(誰か)という話でした。
につきまして、
私は260.では「真・四回転時代(今の男子シングルの状況)」のハードルを上げたのは誰か、きっかけを作ったのは誰か、という話題に限定して、一般論として話を広げていますので、元々 dark eyes さんの仰る「流れの加速」については、触れていませんし、その意味で、dark eyes さんのコメントについて反論をしている、というわけでは全くありません。
・・とここまで書いてリロードしましたら、上にdark eyes さんのコメントが・・・。
いやいや、男子シングルの今の状況、今季の展望、興味津々です。
それはまた、別の話題かと思いますので、またいろいろご意見お聞かせくださいね。いつも過去のデータや他選手のことまで非常に細かく提示していただき、とても参考になり、ありがたく思っております。
ではではまた~♪
すみません、「真四回転時代」という言葉をこの議論で最初に使っていたのはおそらく私です。また、
>羽生選手がハードルを上げ続けている
というのと
>羽生選手がハードルをあげるきっかけになった
というのも私の書き方だとごっちゃになってしまっています。
申し訳ありません。
私はもともと羽生選手がハードルを上げ続けている、というご意見に関して、トータルパッケージの羽生選手に勝つために若手が4回転の本数を増やすという戦略を取っているけれども、それでもなお羽生選手が限界を設けないで進化し続けるので、若手もさらに限界を上げていくことになるんじゃないか、という意味で、羽生選手がハードルを上げ続けているというご意見に賛成だと書きました。ただ、誰が男子フィギュアのハードル上げ続けてるかは戦ってる選手全員としか言いようないでしょ?というご指摘を頂き、それに納得し、ならばその先陣を切っているのは羽生選手という言い方ならどうでしょうか?という言い方をしたのです。そして真四回転時代は羽生選手が使用しだした言葉だったので、それを引用して、羽生選手は真四回転時代の先陣を切るのにおおいに役割を果たしたのではないか、と述べました。
私のせいで議論がおかしくなっていたらお詫び申し上げます。
266. magrittemari さん
私のほうからは、ELLYさんに向けて書いた265.のコメントと全く同じことを、magrittemari さんにも申し上げるだけで、dark eyes さんと私のやりとりに対して、magrittemari さんが、お詫びします、などと仰ることは何もないのです。
私としては、どの方のどのコメントがどう、というところに論点を置いてはおらず、一連の議論をきっかけに自分が感じたこと、考えた私見を書いたまでであり、それに対して、dark eyes さんには dark eyes さんの思うところがあった、ということ、と解釈しております。
お互いに自分の考えていることを忌憚なく言うためには、やはり信頼関係やお互いへのリスペクトが必要で、それができるということはとても幸せなことであり、そういうことが、こちらの管理人さまが設けてくださっている場所で羽生選手の演技を媒体として、自由に語り合えるのはそれはとても幸せなことだし、感謝すべきことだなあ、と思います。
羽生選手にとってのオリンピックシーズンもオータムクラシックからいよいよ始まりますし、明日は確か24時間TVにもご出演ですよね。
またこちらの皆様といろいろと楽しく、熱く語り合いながら一緒にフィギュアスケートや選手達を応援して行きましょうね!!
267.桔梗さん
大変優しいお言葉をかけて頂き、ありがとうございます。
>お互いに自分の考えていることを忌憚なく言うためには、やはり信頼関係やお互いへのリスペクトが必要で、それができるということはとても幸せなことであり、そういうことが、こちらの管理人さまが設けてくださっている場所で羽生選手の演技を媒体として、自由に語り合えるのはそれはとても幸せなことだし、感謝すべきことだなあ、と思います。
本当にその通りですね。このような場があり、自由に意見を交わすことができて本当に幸せだな、と思います。私もお互いのリスペクトの気持ちを忘れず、皆さまと有意義な意見交換ができたら幸いです。
羽生選手の24時間TV、いよいよ明日ですね。楽しみです。
そしてあっというまにオータムクラシックがやってきそうですね。
これからも一緒に皆さまと楽しく、熱く、フィギュアスケートや選手たちの応援をさせて下さい!(^^)/
258桔梗さん
皆さんの熱いコメントに、クルッと背を向けて立ち去る無礼者
たんぽぽな道草子(スポーツ大好き)です。桔梗さんのコメントが
目に飛び込んで参りましたので、またひと言だけ。
256での「自分自身の再確認ができた」と書きましたのは、
この一連のコメントの流れが、ある部分までは同意できるけど、行きつ戻りつする現象や、混乱?や、大いなる見解の相違もあったりで、禁断の花園に迷い込んだみたいな、どこまでも交わらない線路を走り去る列車を見送ってる様な、そんな心境でした。(笑)ただ、自分の考えは変わらないので「再確認できた」と結びましたが、桔梗さんのように、論理立てた文章が上手くないので、下手なコメすると新たな混乱招きかねないし、時間の持ち合わせ少ないし、いわゆる、論戦放棄です。(アレーッ)綺麗に整理されたコメントに脱帽です。自分が発した物が地球上のたった1人でも、“重要と想ってる部分”が「一個」でも、「通じた」と感じられたら、それはイイものです。桔梗さんのコメントにも幾つか見つけました。
仕事持ちで家庭持ち、一般人としての私の場合、物事の推理や判断する基準も、フィギュア談義する上でも、同じですので、(木も見るが、森も見て導き出す)現在進行中のフィギュア界の流れについては、細かいデータは
持っていませんが、自分なりに読み解く事はできるかなと想います。
絡まった糸が解きほぐされていく過程、言葉力に乾杯!
では、これにて、失礼します。おやすみなさい。
↑のコメントの
「自分が発した物が地球上のたった1人でも、“重要と想ってる部分”が「一個」でも、「通じた」と感じられたら、それはイイものです。」とは、
私の考えが、ちょっとだけ、桔梗さんに届いたと感じた。という意味です。
magirittemariさん、どうぞお気になさらずにお願いします。
私も「ハードル」って言い出して混乱を招いてますし。
文章同士のやり取りなので、どうしても意図を正確にお互いに伝えるのは難しいですよね。同じ言葉でも各人の定義、受け取り方は実は違うことも多いですし。
私も「真・四回転時代」という言葉についてはいまいちよくわかってなかったです。
そもそも「真・四回転時代」って?と思って軽く調べましたら、この言葉がくせ者だったとわかりました。
「真・四回転時代」には多種クワドのみならず、クオリティがさらに必要というコメントを羽生選手ご本人がしていたわけですね。(リアタイでTVで見てたのに、忘れてた)
ま、厳密にどこまで言葉の定義を意識して仰ってたかはわかりませんが。そしてその後使っているマスコミも定義を意識しているのかも不明だけど。マスコミはこれまでの傾向からしても、何も考えないでセンセーショナルに使ってるだけじゃないかと疑っちゃうなー。(だから私もこの言葉をスルー気味だった)
多分、ここの議論では、初めのうちはこの言葉は用いられていなかったと思います。でも、途中で出て来てましたね。「(ただの)多種クワド多数本時代」と混同してしまった感じでしょうか。
そりゃ、そうなっても仕方ないとこありますね。
このコメ欄でも厳密に定義しているわけではありませんでしたし、元々混同していた可能性も。
なんかよくわからない騒ぎになってしまって申し訳ありませんでしたが、確かに桔梗さんの仰るように、こちらの掲示板のおかげさまで色々なご意見を目にして、それについての意見交換をして。。。ということを通じて、いつも学ばせて頂いています。ありがたいことです。
ここまで書いてリロったら道草子さんのコメントが。
またお話するのを楽しみにしていますね!
dark eyesさん、優しいお気遣いありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願い致します(^^)/
何か早朝に目が覚めてしまって(なぜか巨大ハードルが夢に登場しうなされ・・嘘です。夏の明け方には私、時々こういうことがあり・・)私も再登場で失礼します。
もう一度よく読んでみて、「ハードル」ということばの使い方、捉え方においての行き違いが誤解を生んだ可能性があったかな、と264.の dark eyes さんのコメントを読んで思いました。
それに「真・四回転時代」・・ホント、これ、このことば自体がちょいと曲者ですよね。(センスのあることばなのではありますけど真意を取るのが難しい。)羽生選手がこんなに世の中で使われるようになると意図したものかそうでなかったかわかりませんが、まったくお騒がせ~。フィギュア関連では、流行語大賞!
私もすみませんでした。
でもそのおかげで、面白いやりとりができて・・。
で、264.の dark eyes さんのコメントが面白くて・・。そうそう、Da Capoさん達と『ボーヤンの出現によってTESとPCSのバランスが崩れつつある』という話をしたこと、思い出しました。
>今はこれまでに比べてやっぱり特別な時代ではあると思うんですよ。ここまで急速に多種クワドが見られるようになって、アクセル以外のクワドが全部出そろって、その上、その結果、各トップ選手の試合に入れる本数がこれまでより格段に多くなってきた。
本当に仰る通りですよね。
今季はまたルールの若干の変更がありますが、
>PCSにおいて、転倒や深刻なエラーが存在するプログラムに対しては、いかなる項目においても10点満点の評価はつかない
これって、選手(特にPCSで高い得点が狙える選手)にとっては怖いルール変更かな、と思うんです。
だって、転倒や深刻なエラー(例によってまた実に曖昧表現)があった場合、転倒なら全体から減点され、技術面のエラーならGOEでマイナスされて、その上にPCSのほうでも他をどんなに頑張ってもどの項目でも10点は絶対つかない、ということですよね?
そうすると、ミスなく完成度の高い演技をする選手と転倒したりミスしたりした選手との点数の差はこれまで以上に開く可能性だって出てくる、ということですよね。
転倒や目立つエラーが、これまで以上に大きなミス、と考えた上での変更、と考えられるのですが、一体なぜこういう変更が行われることになったのだろう?と考えてしまうのです。
転倒や深刻(目立つ??)なエラーは、プログラムの完成度全体に与える影響が大きい、つまり見た目においてプロの美しさ(芸術性?)をより大事に考える、ということなのでしょうか?
そう考えると・・・何かこういうところにも羽生選手のプロ選びへの影響もありそうな気がしないでもないんですよね。
とにかくオリンピックシーズンは例年以上に(以前どこかで書いたのですが)プロ選びの段階から戦いが始まる、と思ってまして、それを考えると、実は発表の時期、なんてことからちゃんと計算されているのではないかな?・・などと私はちょっと思ってもいるんです。
道草子さん、再びようこそ~です。
禁断の花園(たぶんすぐ慣れます)でまたぜひぜひお話しましょうね!
>仕事持ちで家庭持ち、一般人としての私
こちら、私も同じです~♪
ではではまた・・私も一度ロリって・・じゃなかったリロってから投稿して、再び寝ようかな。やっぱり眠くなって来ました。
おはようございます。
「TESとPCSのバランスが崩れてきている」そうそう、ありましたね〜(^^;
dark eyesさんの仰るように、現在は その状況に更に拍車がかかっているように感じます。
非常に勝手な憶測ですが
> PCSにおいて、転倒や深刻なエラーが存在するプログラムに対しては、いかなる項目においても10点満点の評価はつかない
↑これ、今季この文がルールに盛り込まれたのは 岡部さんが技術委員になったからかなぁ?なんて思ってました。
岡部さんは、以前「TES上昇に伴ってPCSも押し上げられている」という発言や、うろ覚えですが 近年は満点の10.00が頻繁に出るようになった状況に対して 苦言もあったような…。
そもそも PCSの10.00って、満点つまり「フィギュアスケートにおいて これ以上はないというほどの完璧さ」という評価のはずなのに、転倒や深刻なエラーがあって満点が出るのはおかしい、という理論じゃないのでしょうか…?
ルールの変更は 特定の選手を下げるためとは思いませんが、しかし「いくら何でも これPCS出し過ぎでしょ」という例がなければ こんな文は盛り込まれないのじゃないかなぁと思います。
昨季の例で言うと、ワールドの羽生選手もSPでコンボのミス(GOE -3)があったけれど 10.00を出しているジャッジがいましたし、ハビエル選手のユーロでも FSで転倒があったにもかかわらず10.00を出されてますし。
更には 一昨年のユーロも、ハビエル選手は FSで転倒があっても 昨季よりもっと多くの項目で10.00が出てました。
もっとも ユーロの男子はハビエル選手と2位以下の選手との差があり過ぎるので、少々PCSの数字が違ったところで順位に影響はないのですけど…。
しかし、僅差の熾烈な争いになって来ると その僅かな違いが結果に響くかも知れませんよね。
細かく探せば、他にも同じような採点例があるかもです。
なんとなく、選手たちのレベルが上がって TESとPCSが乖離し過ぎ、更にトップ選手は満点に近い数字を叩き出すようになって ルールが追いつかなくなってきた為に、ISUとしても 初期に定めた指針やルールの運用にも苦慮しているんじゃないかな…という印象を持っています。
(ちなみに、今季からは上記ルールが明文化されているはずなんですが、先日カナダのBC/YK Section Summerskate大会では ケイトリン・オズモンド選手のFSで転倒があったのに10.00出しているジャッジがいます…運用も徹底されているとは言えないのでしょうね…)
ルールは唐突に変えて ハイ、ジャッジの皆さん 明日からこっちで運用してね というわけにはいかないので、今の段階から色々と準備はしているのでしょうけど、それでも今季の展開と五輪の内容によって 色々変更があるかも…?(←これも憶測ですが)
過ぎてみて初めてわかることは多いし 絶対に確実とは言えないけれど、私も実は今この2〜3年については あと何年か過ぎてみてから「あの数年は ホントに特別だったなぁ」と思うんじゃないかなぁ…という予感がしています。
観る方は良くても やる方は大変でしょうが、今季は ますます面白いシーズンになりそうで楽しみですね(^^;
連投すみません。
誤解のないよう、念のため↑の 274.コメントの補足です。
昨季ワールドのSPでは、羽生選手に付けられたPCSの10.00という数字は、実際には最大値としてカットされた為、結果的に 得点には影響はしていません。
昨季とその前年の ユーロのハビエル選手のFSの採点では、同じ項目で10.00を付けたジャッジが複数いたので、1人の数値がカットされても 僅かではありますが得点に反映されています。ただし、順位には影響ありませんでした。
今のところ 主要大会で 結果を左右するほどの差はなくても、転倒ありでも満点を出すようなジャッジが増えると 僅差の勝負では今後はわからない…と思うので、個人的には この
「転倒や深刻なエラーが存在するプログラムに対しては、PCSのいかなる項目においても10点満点の評価はつかない」
という改訂は 良かったんじゃないかなぁ、と思っています(^^;
おはようございます〜
しつこくてすみませんが、「真・四回転時代」について補足。
2月の4CC前のHero’sで「命名!真・四回転時代」として初登場?した時、フジTVとしての定義は「クワドの種類と本数+クワドのクオリティ(つまりGOE)」みたいでしたね。
羽生選手のインタの言葉もその部分を使われていました。
でも、同じ時に撮られたインタで羽生選手は「それが(クワドが)跳べて、さらに他も出来ないと意味のない時代になった」(つまり+ホールパッケージ)とも仰っているのですよね。
だから、実際に羽生選手がどんな意味で「真・四回転時代」と仰ったのかはやっぱりよくわかりませんね。
インタ自体を初めから終わり迄見てみないとわからない。
フジTVは少なくともその後もブレなく、「クワドの種類と本数+そのクオリティ」の意味で使っているように思えました。(全部は調べてないけど)
しかし、乗っかった他局はどうだったのか不明です。(調べてないので)
いやあ、この機に改めてこの言葉について考えられてよかったです。こちらのコメント欄の皆さま、本当にありがとうございました。
さて、桔梗さんの273のコメントにある
>PCSにおいて、転倒や深刻なエラーが存在するプログラムに対しては、いかなる項目においても10点満点の評価はつかない
以降の部分、まさに同じように私も思ってまして、218番の後半でコメントしています。
このルール変更自体は、2016年ユーロで転倒ありのハビの演技に10.00のPCSが付いた時、Jスポーツで解説なさっていた岡部さんが、苦言を呈していた内容なのです。
岡部さんは2016年以来ISUの技術委員をなさっていることを考えると、彼女のアイデアがルールになった形かな、と思いました。(もちろん、岡部さん以外にも同様に思っていたジャッジはいたはずですが)
ちなみに羽生選手はクワド転倒GOE-4になったシーズンくらい?だったか、転倒の無い、完成度の高い演技を求められるようになってきているという内容のコメントをなさっていたように思います。ちょっとあやふやな記憶で申し訳ないのですが。(また時間が出来たら記憶を辿って調べたいです。)
あと、桔梗さんが言及なさっている発表の時期、はい、私も戦略はあるだろうと思ってました。
再演だからといってさっさと発表する必要はないですよね。羽生選手の立ち位値を考えれば、手の内を曝すのはゆっくりがいい。(そして全部曝す必要も無い)
むしろSEIMEIならば他の選手と被りようがないので、先に発表して機先を制する必要もない。
もともと例年練習を公開している時期なので、それで全く自然で無理ないですし。
そして、オーサー、トレーシー、ボーン、(熱で欠席したけど)ウィルソンまで揃ってインタに応じ、羽生選手の決断を全員でバックアップ。クリケット一同、五輪に本気で行きまっせ!をアピールしてくれました。本当に頼もしい。
さあ、今日は24時間TVの放送日ですね!
ヒロミゴーさんとのコラボが再び実現するとは思ってませんでした。楽しませていただきましょう♡
その前にまだやることが沢山残ってる。。。がんばらなくちゃ!
ではでは失礼します〜
あ、今投稿前にリロったらDa Capoさんのコメントが!
ゆっくり読ませていただきますね〜♡
新プログラムの不自然とも見えた発表の順番と時期。
ファンの多くでさえSEIMEIの発表には、びっくり、放心状態・・となった人が多そうなのですから、一緒に戦う選手は「マジですか?!」と、予想外のことに驚いた選手もたぶん多かったでしょうね。ショーも終えて、今頃羽生はクリケットで「新プロ」作成にいそしんでいるのだろう、と思ってたのに・・。
(そう思わせるに絶妙な間のとり方?!)
本当は、あんなことこんなこと、メリット、デメリット・・じっくり検討、計算、そして、結論。
「(SEIMEIは)何より滑っていて心地よい。(前から)オリンピックシーズンにはこれをやりたいと決めていた。」
よし、現段階でのまず公式「発表」としては、これで「チーム羽生」は通して行きましょう・・あとは小出しで。シーズン終わって成績が出せたらより詳細に。(しかし現役続行となれば全部は言いませんよ。)・・などというシナリオをちょっとイジワルな私などは(もちろん羽生選手の「気持ち」やプログラムへの思いに偽りはないと信じていますが)こちらの動画を再度見るにつけ想像(妄想)してしまい、この映像の羽生選手の妙な落ち着き、王者の風格さえにじみ出てきている出で立ちに、ニンマリしてたりして・・。
いや実際、練習映像での体つきもお顔の感じもまた一歩男性的に凛々しくなってきております。ジャンプも高い!迫力もあります。SEIMEI はジャンプ構成のみならず、全体的に雰囲気が2年前とは変わりそうです。
BBマガジン社の雑誌(276.dark eyes さんはおそらくそれなどをお読みになってのご感想かな、と。)はまだ手元になく、そこにどのようなことが書かれているかはわからないのですが、クリケットでのチーム羽生が一丸となって、大きな目標に向かっている様子が伺えるようで、本当に力強いですね。
昨季から、様々な雑誌(もちろん全部読めてなどいませんが)の羽生選手、コーチ陣のインタビューを読んで、お互いの距離がとても良い感じで縮まってきているような雰囲気を受けていました。
中でもトレーシーコーチとの関係が、以前に増して接近したようにも感じていました。(以前の情報があまり私にはなかった、ということもありますが。)オーサーコーチとも腹を割って(と言うか、オーサーさんのほうの働きかけが絶妙なのかも)話ができるようになっているのでは、とも。
トロントを拠点としてはや5年ほどになると思われますが、おそらく「言語」の壁も徐々に乗り越えられているのでは、と思います。そこはやはりコミュニケーションには大事ですから。
dark eyes さん、「真・四回転時代」ということばについて過去の資料を再調査、ご紹介ありがとうございます。
お忙しい中、そのパワーと拘りに敬服です。
何か、「転んでもただでは起きない羽生選手」(前にこちらでどなたかが確かリカバリー演技の時のコメントで使っていらした表現)みたい。
同時期に発信者ご自身も2つの意味、どちらにも取れる発言をされていた、ということなのですね。私たちが混乱するのも無理ないですよね~(笑)
どちらの意味でも、羽生選手らしい発想という感じは受けますし、インタビューの全てを聞いたとしても、それでどちらか判明する、ということでもないように思われますが、最近の羽生選手、そして宇野選手やネイサン選手などの演技を見ていると、「それが(クワドが)跳べて、さらに他も出来ないと意味のない時代」」(つまり+ホールパッケージ)・・こちらの方がしっくり来る感じもします。
本当にソチ以来のこの進化のスピードは恐ろしいですね。
Da Capo さんが255.で仰っているように早晩「アクセルを除く5種クワドを降りる」選手が出て来そうですし、4Aだって実現、さらにはFSでのジャンプの数が減る、ということもあり、男子シングルでは、コンボの2nd, 3rd ジャンプを除く全てのジャンプがクワドになってしまう・・そんな日もやって来るのかも。恐ろしいけど、私は見たくないわけでもありません。
(無責任に言ってるだけ。)
さてさて、もうすぐ24時間TV、ヒロミゴー&ユヅルハニュー、一夜限り、夢のコラボですね。
朝からソワソワしている、そこのあなた!
試合とはまた違うときめき感ですね~♡
何度もしつこくすみません。
やっぱり時間が無い中、ささっと録画を見ただけではいけませんでした。
276のコメントを訂正です。
「命名!真・四回転時代」というタイトルの番組はユアタイムで(Hero’sというのも書き間違い)、元々フジTVも羽生選手も「多種クワド+ホールパッケージ」の意味で使っているかもしれなかったです。
もう一度見返してみると、そんな風にとれました。
この番組での羽生選手のコメント、
「四回転を何本跳んでいけるか。そしてその質がどれだけ高いか。ただ本数跳んで、ただコンビネーションを跳んで、で勝っていけばいいじゃなくて、そういった意味で〜〜『真・四回転時代』」の「その質」の「その」が「演技全体」を指すのか「四回転」を指すのか、ちょっと私は迷ってしまって、276のコメントになりました。
このコメントだけからは、どちらか判断しにくいです。
VTR後のスタジオのキャスターのお話も「四回転ジャンプはもう跳んで当たり前。あと何本入れる事ができて、どれだけ質を高める事ができるか」という言い方で実に曖昧でした。
しかし、番組構成的に「四回転2種、3種、跳べないと話にならない。そこが跳べてさらに他が出来ないと意味が無いという時代になってきている」という羽生選手のコメントを先に紹介し、各選手の跳ぶ四回転の種類を紹介して、という流れの後での先の羽生選手のコメントでしたので、多分、「その質」とは「演技全体の質」のことを指している可能性の方が高い、と思い至りました。
それでもやっぱり「真・四回転時代」という言葉はよくわからないところもあるのですが、どうなんでしょうね?桔梗さん。
たしかに桔梗さんの仰るように、『+ホールパッケージ』の方が、今の状況には合ってますよね。
自分で書いておいて気になってもう一度録画を見直しましたが、この番組と前後の番組しか見直せてないです。
(しかもあんまりちゃんと検証もできていないので、また間違っているかも。)
今日まで忙しいので、明日以降時間ができたら、また。
Da Capoさんのコメント、詳しくてありがたかったです。
とりあえず訂正まで。
横からすみません。
「四回転を何本跳んでいけるか。そしてその質がどれだけ高いか。ただ本数跳んで、ただコンビネーションを跳んで、で勝っていけばいいじゃなくて、そういった意味で〜〜『真・四回転時代』」の「その質」の「その」はやはり「四回転」を指しているのではないでしょうか。なぜなら、羽生選手はこの文脈の中でジャンプのことを話しているからです。
「四回転の本数+四回転の質」で戦う時代、それが真実の四回転時代だと仰っているのではないでしょうか。例えば出来栄えの低い四回転ルッツを飛ぶよりきれいな四回転トーループを飛ぶ方が点数が高い可能性があります。そのようなことをも含めて仰っているのではないか、と思います。
一方で、「四回転2種、3種、跳べないと話にならない。そこが跳べてさらに他が出来ないと意味が無いという時代になってきている」というのには、羽生選手の目指す理想が含まれているのではないかと思います。例えば最近のAERAの記事で「みんないろんな個性を持っていて、個性同士がぶつかる。すごく楽しいし、僕の個性っていうのはオールラウンダーであり、すべての質が高いこと。そういう武器を生かして戦いたい」と仰っています。「その」が「演技全体の」を指すとしたら、「真四回転時代で戦う」と言った場合、「四回転の本数+その演技全体の質で戦う」ということになり、これは羽生選手の言葉をかりて言うならば、「四回転の本数+自分の武器で戦う」ということになり、少しおかしな表現になるかと思います。
「真四回転時代」という言葉は、「質」の重要性を重視する羽生選手ならではの表現の仕方だな、と思っています。
278.dark eyes さん
いやいや dark eyes さんの「真・四回転時代」ということば1つに対しても、学術的探求に通じる検証の姿勢、情熱には本当に頭が下がります。
元々そのことばに対して、それほど深くは考えていなかったし、情報検証の部分を全て dark eyes さんにお任せしてしまっている身(私は「演技」以外の過去の資料をあまり持ち合わせていないもので・・汗)としては、どうなんでしょうね?と振られても(笑)確信の持てるお返事もできないのでありますが・・。
ただやはり、そのことばの正確な定義ないしは真意を知りたければ、結論としては、262.で述べているように、「それを言い出した人(羽生選手?)」に直接伺ってみるしかない、と思います。
その上で、ちょっと視点を変えて書かせていただきますね。
ことばというのは、人間の意思伝達のツール、と考えられ、一定の共通認識の意味を持つものでしょうが、使う「目的」というのは各個人が置かれている状況や使う状況によって異なる意味を含む場合が多いと思います。
例えば「おかあさん」などということばも、幼児が使うのと大人が使うのは全く同じ意味を持っているか、と言えば、そうとも限らないでしょう。
「真・四回転時代」ということばにしても、それをTV番組で使った羽生選手と、受け取る側では、使う目的や置かれている立場がだいぶ異なると思うのですよね。
羽生選手はスケーターであり、現在「競技」に身を置いている人で彼には「真・四回転時代」ということばを使って何かを伝えたい目的(これについては、263.ELLY さんのコメントは私には思いもよらなかったご意見で非常に興味深いです)があったのでしょうが、マスコミやファンなどは羽生選手とは、使う目的や置かれている状況が全く違うわけです。
究極的には、そういう「目的」や「立場」の違いでことばの解釈の違いやズレが生じることも多いのかな、と。
マスコミなどは、情報伝達によって利益を得る、という目的があるのでしょうから、ことばの選択においてもまずその真意、というより「いかに人々の注目を集めるか」がどうしても優先されるでしょう。ニュースなどは本来「事実」「真実」を伝えるのが第一目的でしょうから、でき得る限り意味が曖昧なことばは使うべきでないと思われますが、それでも、ものごとの全貌のどこに焦点を置くか、でやはりことばの選び方もそれぞれTV局や新聞社などにより異なる、ということは考えられます。
そういうことを考えると、私たちは羽生選手の発言について語る時、まず彼がそれによって何を伝えようとしているのか、をそれぞれがその意味を推し量って、自分の考え方や感じ方を人に伝えるために、使っているに過ぎないものと思います。
熱烈ファンと羽生選手が好きではない人、中立的な人には伝わってくる意味、使う目的が違うかもしれない。
結局そういうことが、こういう場所ではいろいろ議論や衝突が起こる1つの原因にもなっていそう。
ただ、国語の文章読解の問題などと同じで、全貌から著者が使っている表現から真意を読み取る・・これは客観的に見て「正解」(またはそれに限りなく近いもの)はやはりある、と思います。
dark eyes さんがなさっていることは、主観的にどう感じるか、ということではなくて、その「正解」を導くことですよね。(dark eyes さんは、今私が長々言っているようなことはご承知と思うので、当たり前のこと過ぎて申し訳ないな、と思うのですが、ここは皆さんの場なので、それこそ一般論を書かせていただいています。)
で、私個人は「真・四回転時代」というのをどういう意味で捉えていたか、というと意識はしなかったものの、「それが(クワドが)跳べて、さらに他も出来ないと意味のない時代」」(つまり+ホールパッケージ)」と自分が捉えていたのだな、ということが自分で書いた258.の文章を読み返してみてわかるわけですが、私が見た全体状況から考えると、やはり個人的には羽生選手はそちらの意味で使ったのでは?と推測はします。
ただ、それが「正解」かはわかりません。
まあ元々、「真・四回転時代」、わざわざそういうことばを発信した、ということは、羽生選手自身が「これまで自分が見てきたり、一般的に考えられてきた状況」とは何か違って、新しい、そしてただ新しいだけでなく、そこに何か重大な意味(真)がある、またはそうあって欲しい、と思うからなのだと思います。でなければ単に「今の時代」とか「現在の状況」でよいわけでしょうから。
いずれにせよ、非常に俯瞰的に全体状況を判断して、出てきたことばだと思います。
彼が選手である、と共にコメンテーター的な見方をしていることの表れなのでは?
(論点は移りますが)その上で、注意しなければならないのは、羽生選手にはその発言の場が与えられた(彼の力で作った場です)のですが、他の選手がどう考えているのか、はわからない、ということです。
よく他の選手は羽生選手の作った道を歩んでいる、彼を目標として頑張ってる、などという意見がありますが、それは競技において最高の結果を出している選手なのですから、スポーツでは当然のことだと思います。ファンによるそういう発言は、そういう表現で、彼(他の選手でなくて)の業績を讃えている、ということでしょう。
しかし選手は彼に勝つには、彼と同じことを考えて、同じことをやっていたらだめ。彼を目指すだけではだめなんです。
当然別の戦略を立ててくる。
そこが怖いのですね。
彼らにはおそらく「真・四回転時代」の意味などどうでもよく、そうなってしまった今自分がいる状況にいかに対処し、いかに身体能力、頭脳ともに超優秀な「羽生結弦」を倒すか、ということが最も大事なのだと思います。
一方、ファン(人によるでしょうが)にとっては、羽生選手がそのことばをどういう意味で使っているか、これは非常に興味もあり大事なこと、ということなのだと思います。
ついつい長話になってしまいますね。すみません。
(それにしても、昨夜の24時間TVの羽生選手の演技には、衣装と共に再び無条件にKOされた私です。やはり凄いスケーターだわぁ・・)
あ、リロしたら、上に magrittemari さんが・・
長々書いた上に、自分の書いた280.を読んで、
「この人なんだ?真・四回転時代の真意には「正解(またはそれに限りなく近いもの)」がある、とか言いながら、結論としては、「それを言い始めた羽生選手に聞け」みたいな身も蓋もないこと言ってる変な人だぞ、みたいに自分でちょっと感じたので、少し付け加えますね。
もちろん、羽生選手に答えていただくのが1番正確な答なのですが、それが「ことば」で得られる可能性はおそらく難しいでしょう。
他にそれをずばり聞くインタでもあれば別ですが、この時期にそういうものが出てくるような気もあまりしません。
そうするとやはり、他の検証によって推測して正解を導き出していくしかないのですが、たぶんその検証の対象は、ことば以上に、羽生選手や一緒に戦う選手たちの「演技」とその結果のように思うんですよね。
先季に続いて今季、私たちが見せていただけるであろう、彼らの演技の中に答につながるものがあるのでは、と思えます。
「結果」いかんで、そのことばの真意が何かによらず、それこそあえて使った「真・四回転時代」は幻想でした、となる可能性だってなくはないですよね。(怖いこと言ってますね。)
でもやはり、前にも書いたように、私は先季のトップ選手たちの出した結果、特に羽生選手自身が出した結果から、すでに羽生選手が言いたかった真意は少しわかるように思えるのですが。
・・ということで、昨季に引き続き今季の演技を見続けながら、dark eyes さん、magrittemari さん、ELLY さん・・そしてご覧になっている皆様、「真・四回転時代」の真意について、一緒に考えて行きませんか?
「答」(正解)は、焦らず、今季終わってからでもいいのでは、と私は思います。
「真・四回転時代」に関して、281.桔梗さんの
>たぶんその検証の対象は、ことば以上に、羽生選手や一緒に戦う選手たちの「演技」とその結果のように思うんですよね。
先季に続いて今季、私たちが見せていただけるであろう、彼らの演技の中に答につながるものがあるのでは、と思えます。
に関して、本当にその通りだな、と思いました。
278.dark eyesさん、突然かみついたような感じになってしまい、失礼しました。
私も、昨季に引き続き今季の演技を見続けながら、桔梗さん、dark eyes さん、ELLY さん、皆様と共に「真・四回転時代」の真意について、一緒に考えさせて下さい。
よろしくお願い致します。
dark eyesさん、お元気でいらっしゃいますでしょうか。もしかして私のコメントをきっかけにコメントしづらくなったのではないか、と心配になりました。
なので、少しコメントの補足をさせて下さい。
私はもともと、276.のdark eyesさんの意見に賛同しておりました。
「四回転を何本跳んでいけるか。そしてその質がどれだけ高いか。ただ本数跳んで、ただコンビネーションを跳んで、で勝っていけばいいじゃなくて、そういった意味で〜〜『真・四回転時代』」というのの「その」は指示語として、直前の「四回転」を指すのが一般的に考えて自然なのではないか、と思ったため、そのように書きました。
となると、「真四回転時代」というのは、「四回転の本数+四回転の質」で戦う時代と解釈できます。完成された質の四回転を目指す羽生選手ならではの独特の表現のように受け止められます。また、これは推測ですが、マスコミの過剰な四回転の本数重視の報道に羽生選手が自らの言葉で歯止めをかけたのではないか、とも思われました。
そして、「四回転2種、3種、跳べないと話にならない。そこが跳べてさらに他が出来ないと意味が無いという時代になってきている」、つまり「四回転の種類+ホールパッケージ」は、「真四回転時代(上記の定義による)」の現状を鑑みたうえでの、素直な意見なのではないか、と思いました。また、AERAでの発言などから、羽生選手は、「真四回転時代」をホールパッケージ(オールラウンダー)で自分は戦うんだ、といった強い意志が見られるようにも思われます。
つまり、「真四回転時代」とは「四回転の本数+四回転の質」で戦いながら、その戦いの中にはそれぞれの個性が生きる時代、と解釈することができるのではないでしょうか。
ただ、桔梗さんも仰るように、真実は羽生選手にお聞きしないとわからないのだと私も思います。
dark eyesさんが、「四回転を何本跳んでいけるか。そしてその質がどれだけ高いか。ただ本数跳んで、ただコンビネーションを跳んで、で勝っていけばいいじゃなくて、そういった意味で〜〜『真・四回転時代』」というのの「その」が何を指すか迷われた、というお気持ち、よくわかります。私も動画を見ましたが、番組の流れとして、最初に「四回転2種、3種、跳べないと話にならない。そこが跳べてさらに他が出来ないと意味が無いという時代になってきている」という流れから、真四回転時代命名に至っています。わかりにくいです。
ですので、桔梗さんがおっしゃった通り、昨季に引き続き今季の演技を見続けながら、「真四回転時代」の真意について、皆さまと一緒に考えていくということでいかがでしょうか。どうか、何卒よろしくお願い致します。
おはようございます。
多忙と暑さですっかり疲れてしまって、昨晩は早々に寝てしまいました。
magrittemariさん、桔梗さん、こちらをご覧の皆様、私の重箱の隅をつつくような変なこだわりにおつきあい頂いてありがとうございます。
私も「真・四回転時代」という言葉、これまで何となくスルーしてきていたので、今回初めてよく考えてみたんですよね。
ちなみに私、羽生選手がどういう意味で仰ったかに興味があるからしつこく拘っているわけではないです。(それならこの言葉をスルーしないで使っていたと思う。)
そうではなくて、こちらの議論で認識にズレが生じている、その原因を探ったらこの言葉がもの凄いくせ者だったから、なんです。
で、まあ、別にそこまでこだわらなくてもいいような気もしますし、桔梗さんの仰るように選手の「演技と結果」の中に答えはある、でFAということでもあるのですが、一応、「情報」としてこの言葉がどういう形で紹介されていたか、ということを書いておきますね。
初めてこの言葉が世に出たのは、フジTVの4CC番宣だったのですが、その後「命名!真・四回転時代」として羽生選手の特集の中で背景等を紹介されることになります。この番組をとりあえずどうぞ。
http://dai.ly/x5b5h9b
そして次に使われた番組がこちら。
http://dai.ly/x5bg6qb
上の番組での羽生選手の言葉、
「四回転を何本跳んでいけるか。そしてその質がどれだけ高いか。ただ本数跳んで、ただコンビネーションを跳んで、で勝っていけばいいじゃなくて、そういった意味で〜真実の〜〜『真・四回転時代』」の「その質」の「その」は普通は四回転のことを指しますよね。文法問題ならそう。
ただ、このインタ、どこで切ってどこで繋げているかもわからない。前後の脈絡もわからないので、これだけでは判断できないと思ったわけです。
まあ、(+クワドの質)だろうと(+ホールパッケージ)だろうと、いずれにせよ「多種多数本クワド」にさらに「クオリティが必要」という意味であることは同じであって、(+クオリティ)というのが何のクオリティなのか曖昧なままでも、ひとまずの答えなんでしょうね。
それで確かにただの多種多数本クワド時代と定義を分けることはできるので、それでいいじゃないと言ってしまえばその通り。
羽生選手かマスコミが新たな意味付けや補足情報を出してこない限り、今のところの解釈ではこんな感じでしょうか。
また、「崩れつつあるTESとPCSのバランス」のお話に関連して、ISUが平昌後のルール改正について新たな案を持っていることもわかってきましたね。下にニュースを貼っておきます。
クワドの基礎点下げ。。。なるほど、そこまでやるかって感じではあります。まだ検討中ということではあるようですが。
GOEは−5〜+5にして、ジャンプを一つ減らす、PCSの係数上げ。決まっている事、いないこと、最終的にどういうルール改正になるのか注目ですね。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170827-00000011-jij-spo
あ、また投稿前にリロったら、magrittemariさんのコメントが!
いえいえ、私、そんなこと気にするタイプじゃないですよん(笑)議論大好き人間ですから、異論、反論どんどん出して頂くのが嬉しいんです。そのご意見をきっかけにして、また考えが深まったり、新たな発見があったりしますもの。
冒頭にも書いていますが、ちょっと夏バテでのびちゃってたんです。今日も関西は暑い。。。
おはようございます。
午後までちょっと間が空いたので、こちらを覗きましたら、さらに magrittemari さんと dark eyes さんのコメントが。
magrittemari さんがしてくださった、文脈から正確な意味を読み取る、ということは何においても、とても大事なことと思いました。
いや、今回は dark eyes さんがこだわってくださったおかげで、私は自分自身が「真・四回転時代」のみならず、ふだんどう選手の「ことば」やマスコミのことばを捉えているか、などとということまで考えるきっかけにもなり、大変楽しかったです。
マスコミのことばと言っても、一様でなくて、例えばTV局、新聞社、雑誌社などによって、選手のことばの捉え方も違うし、それを報道するにあたり、それぞれの価値観に左右されて脚色されたりしてしまうので、「真・四回転時代」というひとつのことばにしても、スポーツ専門誌、フィギュア専門誌、女性誌などによってもその意味が違ってくる可能性があるので、選手のことばから自分で思考していかなければだめなんだなあ、と思いました。
でも今回などはそれもちょっと曖昧な部分もあって、なら本人に聞かなければ・・なんてなってしまうわけで。
羽生選手自身はスポーツ選手の中でも、大事なことは慎重に、論理的、俯瞰的なものの見方に基づいた発言をする人、と常々感じてはいますが、それでもやはり彼は「ことば」によって何かを表現する専門家ではなく、スケートで表現することのほうがはるかに得意でしょうし、最終的に「演技」から私たちはいろいろなことを読み取るしかないな、という結論に至っています。
発言よりは演技のほうがずっと厳密に、正直に、曖昧でない彼を語るだろう、という気がします。
dark eyes さんが、これまでこのことばをスルーしていらしたのも、やはり演技よりは重要性を感じていなかったから、ということなのではないのかあ、と。
dark eyes さんが、選手の演技をスルーすることはあり得ないだろう、と私は思い、忌憚なく言わせていただければ、ことばの追求よりも私は dark eyes さんの今季の演技の追求、ご感想の方がはるかに楽しみなのです。(いろいろこの件に関しても調べていただいたのにこんなこと言ってすみません。)
でもせっかくこの「真・四回転時代」という羽生選手自身が発信したことばがあるし、それとdark eyes さんや magrittemari さんが調べたり考えてくださったことも兼ね合わせて、演技を見ていくのも楽しそうだな、と思いました。
ことばの真意はともかく、こちらでも何度かプロ選びに関して話題に出したのですが、今年のワールドの帰国会見(こちらの動画にありますね)では、「真・四回転時代」などということばは使っていないものの、彼の自他ともに感じ取っている今の状況、というのが、割と素直に伝わってくるものだなと思っています。
ワールドで優勝したにもかかわらず、ショートについて悔やんでいること、自他とものノーミスに話が及んでいますが、それを聞くにつけても、「完成度」というものを常に意識してることが伺えるような発言かな、と思います。
それはジャンプも含むプロ全体の完成度のことを意味しているように判断できますし、私は当然点数的なことも含んでいるのだと思っています。
この会見は「ことば」によるものであっても、答え方や言葉の使い方などが、非常に羽生選手らしさ(あくまでも私が考える、ですが)が垣間見えるものだなあ、と感じます。
ISUの平昌後のルール改正について新たな案に関するニュースのご紹介ありがとうございます。
こちらについては、また読ませていただいてから、感想などあれば改めて書かせて頂きますね。
関東も暑いです。。引き続き、お互い、そして皆様も体に気をつけましょうね!
dark eyes さん、補足、というのか、もしかしたら1番確認されたかったことかな、と思い・・
>羽生選手かマスコミが新たな意味付けや補足情報を出してこない限り、今のところの解釈ではこんな感じでしょうか。
そんな感じ、だと思うのですが、私は「マスコミ」の情報はこれまで書いてきた通り、信憑性がどこまでか、インタでの選手のことば全てをちゃんと「全部」伝えてくれるか、などこちらにはわかりようがないところがあるので、厳密には
>「羽生選手が」信頼できるマスコミを通じて、新たな意味付けや補足を出してこない限り・・」
こんな感じになるのかな、と。
(しかも誰が聞いても、誤解を招かないようなことばを選んで、ということです。)
私もへんなところまでこだわってすみません(^_^.)
桔梗さんが定義を述べてなくて自然消滅感ですが、芸術の話。
はなから「芸術は曖昧」「芸術はひとそれぞれ」とするのはあまりにも安易で思考停止だと思う。そんな風に思うのはどなたかも仰っていたけどいかにも日本人。「芸術とは何か?」は西洋では18世紀から研究対象とされ議論されている学問体系。結果、説が分かれ一周回って「芸術は曖昧」「芸術は人それぞれ」的になっていることもあるかもしれないけど安易な思考放棄とはわけが違う。芸術を語るなら個人研究もいいけど一度きちんとその研鑽された学問も歴史を振り返ってみると良いと思います。
「芸術とは己の心の内にある何かを(美とか)を表現したい・誰かの心に伝えたいという欲求を具現化することを目的とした創作活動」は数ある芸術論の私なりの最大公約数です。工業製品と芸術作品とでは、技術者(職人)と芸術家とではその目的が違う、あるいはどなたかが仰っていたようにベクトルが違う。アスリートとアーティストもまた然り。
なんとなく世間では「美しくて、かつ、心が揺さぶられるもの(心から感動するもの)」を芸術としている感じがするけど、私は「人が人の心を感動させるのはその人の心のなせること」だと思っているのでただ技術が美しいとかよりも(表現も腕のの美しい動かし方もまた技術)心の在りようが肝要だと思う。
dark eyesさん、生身の人間が時速数十キロで疾走し、跳び、舞い踊るという他に類を見ない表現を持つフィギュアに芸術の可能性がないわけがないと思っています。私は競技フィギュアにおいても「勝ちたい」と「表現したい・伝えたい」とは必ずしも10:0や0:10ではない思っています。後者が多めの場合には競技フィギュアにも芸術を感じます(陶芸にも「用の美」というものがあるし)。楽曲はなんちゃってじゃなく編集なしのフルが好みだけど短歌や俳句のような制約から生まれる何かもあるかもしれません。
高橋選手全日本の「道化師」、鈴木選手のNHK杯の「オー」、町田選手のスケアメの「第九」、ブラウン選手の最初の「ピアノレッスン」などなどは芸術だと思いました。
dark eyes さん
補足の補足・・(私もしつこくてすみません。これで私は終わり・・)
もう一度、283.magrittemari さんと284.daek eyes さんのコメント、そして自分のものもよーく読んでみて。
私自身には「『ことば』というのは使う人、受け取る人の目的や立場によって意味が異なってくる場合がある」という考え方があり、マスコミにも全信頼を置くことができませんので、そこで思考停止が起きているかもしれませんが、もしどうしても議論などになった場合の、「真・四回転時代」ということばの共通認識としての意味が欲しい、ということ(そういうことですよね?)なら、
284. dark eyes さんの
>(+クワドの質)だろうと(+ホールパッケージ)だろうと、いずれにせよ「多種多数本クワド」にさらに「クオリティが必要」という意味であることは同じであって、(+クオリティ)というのが何のクオリティなのか曖昧なままでも、ひとまずの答
こちらに、magrittemari さんの文脈解釈を加えれば、真・四回転時代とは「四回転の本数+四回転の質」にさらに「それぞれの選手の個性におけるクオリティ(具体的に言えば、点数につなげられる四回転以外のその選手独自の武器のクオリティ)で戦う時代」と考えてもよいのかな、とは思いました。
このあたりまでしか導き出せないかも。
でもねえ・・
「個性」において羽生選手は「すべて」(具体的に言うなら点数を稼げる「すべて」という意味でしょう)と考えている、ということであり、他の選手は「(すべてでなくても例えば)TES,PCSのどれか決まった項目」であってもいい、ということなのかな?
しかしどうなのでしょうね、「すべて」なんていうのが「個性」と言えるのかどうか、は疑問だし、今の採点法で、世界トップの羽生選手に「すべて」と言われてしまったら、個性などと言っても、一体どこに自分の個性を見出せば?と他の選手はなりませんか?
結局、最大公約数的に「すべて」とせざるを得ないのでは?とも思えるのですよね。
787. 月見そばさんのコメントが入っていました。
>桔梗さんが定義を述べてなくて自然消滅感
別に消滅したわけではないと思いますよ。
月見そばさんも私の質問に答えていただいているわけではありませんでしたので(笑)
全体的に他の話題へと移っただけと思います。
>世間では「美しくて、かつ、心が揺さぶられるもの(心から感動するもの)」を芸術としている感じがする
少なくとも、私はそうは申してはいません。それはよくお読みいただければ嬉しいです。
あなたの言い方で言うなら、
>己の心の内にある何かを(美とか)を表現したい・誰かの心に伝えたいという欲求
こういうものがありさえすれば、芸術作品はでき上がるのでしょうか?
そうおっしゃっているわけではありませんよね?
私は「芸術(作品)、芸術、芸術性」には「美」があることが1つの条件・・そういう話をしておりました。
何かを定義するにあたっても、帰納法的な方法と演繹的な方法はあっていいもの、と私は思っています。
上、787.ではなく、287.月見そばさんでした。失礼しました。
もともとこの真・4回転時代の議論?は今のこの男子フィギュアの状況を「羽生君が切り開いた」「羽生君が引っ張ってきた」という意見に対するアンチテーゼが発端ですかね?
言うだけなら目指すだけなら誰でもできる。練習ではできてた選手も実戦で挑戦し続けてた選手も一杯いる。大事なのは成しえたという結果。試合結果という明白な事実のみを対象としてそれ以外は一切を排して検証する姿勢は極めて真摯な論理であり決して「上澄み」ではない。誰が最初に言ってたとかの断片的な報道と憶測による論理は決して「深層」ではない。それと個人で「時代を引っ張った」は体操の内村選手みたいに世界選手権で10連覇くらいの実績がないと言っちゃいけないと思う。
「ジャンプは跳べばいいってもんじゃない、クオリティーが大事」「フィギュアはジャンプだけじゃない、トータルパッケージ」自体は別に新しいことでもなく昔からことあるごとに言われてたこと。そしてこれは若手にジャンプで後塵を拝したベテランがよく言ってたことだ。チャンも言ってたし近年はフェルナンデスも言ってた。4Lzを持たず若手にジャンプ構成(基礎点)で遅れをとる今の羽生君が言うとちょっと複雑な気分。
しかしながら羽生君が過去のベテラン勢と異なるのはトップジャンパーの若手の頃から同じ発言をしてて、実際にジャンプはもちろん他の要素も含め質を上げ、更にはジャンプ構成も上げ(4S、4Lo)実現してきたこと。これは凄い。「4Lzって人間が跳べるんだ、跳んでいいんだ」「彼が今の4回転時代を切り開いた」は羽生君がボーヤンに送った賛辞だけど、私は「300点オーバーって上限の97%って人間が出せるんだ、出していいんだ」の賛辞を贈りたい。
今の男子の状況は昨年度までの女子に近づきつつあるのかもしれない。女子で3Lz+3Tを跳ぶのはもう珍しくなくジャンプ構成の飽和状態。後はタノでも何でもなりふり構わずいかに加点を稼ぐか、いかにジャンプを後半に入れるか、つなぎを増やしいかにPCSを得るかの世界。4Lzを持たない羽生君の戦略は3Lzを若干苦手とるメドの戦略に似てる。
今年度の男子は、LPに4回転4‐5本+3A2本はないとメダルはまず無理、かつてはよくあったジャンプをミスしてもPCSで勝つというのも以前よりは困難、更には4Lzを持つけどPCSは低い選手と4Lzは持たないけどジャンプの質とPCSが高い選手とでどちらが勝つかも不確実。まだまだ過渡期でトータルパッケージではなく何だかんだ言っても4Lz、4Fがまだ物言う時代だと思う。真・4回転時代はもっと4Lz、4Fを跳ぶ選手が増えてきてから使った方が良いと思う。4+4や4Aが出てこないかなあ。
おはようございます。
「真・四回転時代」という言葉について。
はい、桔梗さんが仰るように私としてはとりあえず
>もしどうしても議論などになった場合の、「真・四回転時代」ということばの共通認識としての意味が欲しい、
ということでした。
実際、なんだか混乱してましたので。
でも、考えた所で答えが出るものでもないので、一旦棚上げにしておきます。
そして私も結局は桔梗さんが仰るように、「選手の演技と結果」が「真・四回転時代」を規定することになるのでは、と思っています。
月見そばさん、「芸術を感じた演技」について答えていただきありがとうございました。いずれも記憶に残っている演技ばかりです。
また、私は月見そばさんの仰る「芸術」の定義である
>>「芸術とは己の心の内にある何かを(美とか)を表現したい・誰かの心に伝えたいという欲求を具現化することを目的とした創作活動」
には、非常に共感しています。世の中には、必ずしも「美」を感じられない作品でも、「芸術」として認知されているものが数多くあります。その共通項はまさに月見そばさんの仰る「表現への欲求」が感じられる、というものだと思うので。
ただ、
>>「人が人の心を感動させるのはその人の心のなせること」だと思っているのでただ技術が美しいとかより心の在りようが肝要だと思う
この部分、共感できるところもありますが、少々疑問に感じましたのは、その「心の在りよう」を一体誰がどのようにして判断するのか、ということです。推測するとしても、どうやって推し量るのか?そして、その推測が正しいかどうかは「心」の持ち主である本人以外にわかりません。まるで見当違いの場合、つまり推測している側の勝手な願望だったりする可能性さえあるのではないでしょうか。
それは月見そばさんが仰る芸術を感じる競技フィギュアスケートの演技にも言える事なのですが。
つまり、「表現したい・伝えたい気持ち」が「勝ちたい気持ち」をどれだけ上回っているかということ、その見極めは一体だれが、どのような尺度で行うのでしょう?結局、その尺度は演技を観て、評価している個人の感覚の中にしかない、ということではないのでしょうか?
たとえば、大輔さんの全日本「道化師」。壮絶な素晴らしい演技でしたが、あの時の状況を考えると、大輔さんの心境は「勝ちたい」気持ちでいっぱいだったのでは、と私などは思ってしまうのです。でも月見そばさんはそうは思わなかったということですよね?どういう理由でなのか不思議に思いました。屈辱的な大差を付けられたSPの後の演技でしたから、大輔さんが「勝ちたい。何としても勝ってやる」と思わなかったとは到底思えないです。
もっとも私の基準では、たとえ「勝ちたい」気持ちが勝っていたとしても、実際の演技に於いて、見える形での表現として「芸術」を感じられたらそれでその演技に「芸術性」を感じることはできるので問題はないですが。
(実際は「怒り」があの演技の推進力だったとご本人が後で仰ってますね。そしてその時に感じていた「怒り」というのは上に書いた「表現する際の心の在りよう」の問題に繋がっていくのではと思いますが、長くなるので今は書きません。)
また、スケアメ「第九」と初期「ピアノレッスン」については、個人的には「『芸術』を感じるに至る可能性が非常に高い素晴らしいプログラム」だったけれども、あの当時の演技ではまだ「芸術を感じる演技」とまで言えなかったです。目指した表現を見せるための「技術」が伴ってなかったのでは、と思っています。
ところで、何をもって芸術といえるプログラムとするのか、というのも考えてみると面白そうですね。
それを考える時に大いに参考になりそうな町田くんの連載が、来月発売のKiss & Cry別冊で始まるそうです。
「フィギュアスケートのプログラムを美の観点から分析」だそうで。「アカデミックな解説」で「何カ月にもわたって推敲を重ねられた、スケートへの造詣の深さが読み取れる論文」だそうです。これは楽しみですね。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000265.000006568.html
まず289.の私のコメント、もうひとつ訂正がありました。
最後のほう、
>「芸術(作品)、芸術、芸術性」には「美」があることが1つの条件・・そういう話をしておりました。
→「芸術、芸術作品、芸術性」には「美」があることが1つの条件・・・です。
「芸術とはなにか」・・これについて、私が今の段階でも考えていることを書き出したら、コメント欄ジャックのようになってしまうような気がします。自他共に納得のいく答(定義)を出すのにあと10年以上はかかるようにも思っています。もしかしたら一生厳密な答は出ないかも・・。
なので、ちょこちょことしか書けないし、自分でもまだまだ考えてそれを探って行きたいし、こちらではなるべく「フィギュアにおける芸術性」のお話でのやり取りができれば嬉しいと思っているのですが、とりあえず、「美」について。
こちらは「美」がある、というより厳密には「美」が(何らかの形で)芸術には介在する・・これについては私は譲れそうもありません。
また、こういう議論において、日本だからどうの、日本人だからどうの、という発言には抵抗を感じます。
「芸術」の概念(言語解釈による)は、歴史の中である時に西洋から取り入れられたものであることに間違いはないでしょうが、この国にはその概念、または近いものをもってしても「芸術」「芸術作品」と言えるようものはそれ以前から存在していて、どの時代もそれは多くの人によって認められ、受け入れられて来たと思います。「芸術」という概念がなかった、あるいは西洋とは違ったものだったとしても「芸術作品」は存在していた、ということです。
「芸術論」という観点からも、西洋文化では考えられなかった、この国独自、この国だからこそ西洋人には思いつかなかった「芸術の概念」これがプラスされてもよいのではないかとも思います。時は止まっているわけではなく、フィギュアなどを考えても、元々西洋から発したものであっても、現在活躍している選手には日本人、東洋系の人も多いのですし、もはや西洋文化に縛られる必要性は感じません。と言うか、すでに(芸術性においても)縛るのが難しくなって来ている、とも言えるのでは?
元々「芸術」に西洋も東洋も境があるとも思えません。
歴史の長い日本文化の中から、「芸術」(定義も含めて)を探っていくことだって別におかしくないと思います。
「芸術」ということばは曖昧である。・・これは私はあくまでも個人レベルで言っていることです。究極、その人にはその人の芸術観があってよい、と考えていて、学問的、社会的な定義はまた別で、そしてそちらでもいろいろな見解の違いはありますよね。
たぶん月見そばさんが、思っていらっしゃるよりはるかに私は「現実的」なレベルで捉えている部分もあります。(日本芸術院、などという存在もあるし。)
そして、私がいろいろ思うに、最終的には「芸術とはなにか」これを言語をもって「定義」しようとすること、ひとつの答に限定して決めつけること・・これは実は最も「芸術」の本質のようなものから遠い行為ではないのか?・・とも感じるのです。
ただ、お互いに論じる場合には、やはり、ある程度の共通項、またはその人が何をもって「芸術」と言うのか、はわからないと話が進まない、というのも尤もです。
羽生選手のプログラムを見て、いろいろな方が「芸術」と感じるか、あるいは「芸術性」を感じるか、には興味があります。そしてその理由も。
私自身は競技のフィギュアという「スポーツ」である以上、誰のプロであろうと、「芸術」ではなく「芸術性」ということばを使うのが限界かな、と現在は考えているのですが。(前に触れました。)
ということで・・またちょこちょこ話題に参加させていただければ嬉しいです。
なお、月見そばさんのご意見には、私も292.dark eyes さんと同様の疑問を感じています。
>>「芸術とは己の心の内にある何かを(美とか)を表現したい・誰かの心に伝えたいという欲求を具現化することを目的とした創作活動」
こちらであったとしても、具現化するにあたって、それを促進する心のありよう・・これはいろいろあり得るのでは?
ひたすら生活のために絵を描いていた画家も、ひたすら愛する女性(だけ)の愛を得ようと作曲した音楽家もいたでしょうし、彼らの作り上げた作品が芸術作品に絶対にならないかと言えばそんなこともないのではありませんか?
私は人間であれば、むしろ様々な心のありようは考えられ、またそれを本当に知っているのは、本人だけだと思います。
アスリートと呼ばれる人たち(誰であっても)が他の感情に比べて「勝ちたい」の比率が極端に低い、という場合は私は非常に考えにくいです。
町田さんの連載、大変楽しみです!ご紹介ありがとうございます。
ところで、そもそも私にはよくわからないのですが、ISU によるルール規定の中で「芸術性」・・これが明確に定義されているのでしょうか?
artistic という語が使われていることは知っていますし、芸術性に関わる PCS の項目にガイドライン(判定の基準)があることも知っていますが・・。
293.桔梗さんの
>羽生選手のプログラムを見て、いろいろな方が「芸術」と感じるか、あるいは「芸術性」を感じるか、には興味があります。そしてその理由も。
に関して、競技フィギュアではないですが、この間の24時間テレビの演技に私は「芸術性」を感じました。技術力が益々上がっていて(手の使い方なども含めて)、演技が確固たる技術に裏打ちされたものだと感じたからです。また、表現面においても、「思いを伝えたい」という意思が伝わってきましたし、実際そのように滑られたはずです。羽生選手自身、「こんな偉大な方(郷ひろみさん)とこのような作品をつくることができてうれしい」といったようなことを仰っていましたよね。羽生選手自身、演技を一つの「作品」と捉えているんだな、ということがわかりました。
羽生選手の演技は思うに全体の質が高い、これがなんといってもやはり最大の特徴だと思います。演技は競技フィギュアにも通じるものがあるでしょうから、やはり競技フィギュアにおいても、その確固たる技術の裏打ちがあるおかげで「芸術性」を感じることがあるのではないか、と思います。競技フィギュアも24時間テレビもそうかもしれませんが、演技者一人では成り立ちません。観客の皆さんがいる前で滑るわけです。「見てほしい。伝えたい」という気持ちがその中には存在するものだと思います。その時「勝ちたい」という思いも確かにおおいにあるでしょうが、それ以上にいわゆる「ゾーン」に入った演技というものからは特に「芸術性」を感じることがあるのではないでしょうか。先シーズンの世界選手権でのフリーの羽生選手の演技には「芸術性」を感じました。それは上記のような理由によるものかと思います。
今シーズン、羽生選手がさらにどんな演技を見せて下さるのか楽しみです。
私は 正直羽生選手に 芸術性を感じたことはないのです・・
それこそ技術によって生まれる機能美みたいなものは 彼の
ジャンプには感じます。 空中での姿勢やターンをうまくいかして力みが感じられないところ 綺麗だなあと思います。
スポーツ選手として勝つために己を高め 有言し それを実行するくじけない魂 そういう資質には 強いなあと感心するばかりで オリンピックにむけて 彼はどういう軌跡をたどるんだろうか 強い気持ちで何を実行していくんだろうということには
興味があるし がんばってる若者を応援したい気持ち(誰やねん)はあります。
が、アスリートとしての強さに感動はしても彼の表現という点のみにおいては 心揺さぶられることは ないなあ。
勝つためだけじゃない表現というのは もしかしたら
理論的にすらすら喋れない分 表せない分 内にこもった名前のない感情が氷上でふとした視線 ふとした指先に溢れ出てしまう振付以外のもの 本人も気づいていないもの そういうものなのかなあ そういうものがより色濃い表現に私は強く揺さぶられるのかな。
それも もちろん美しく滑れる技術あってこそだと思いますけどね。
まんまるさんの仰っている事、なんとなくめっちゃわかります。(変な言い方ですみません。)
羽生選手のジャンプの技術においてはあおらさんの仰る最適化された誰にも真似が出来ない程の完成された機能美を感じます。それと何より、アスリートとして勝つという揺るなぎない信念にファンとして物凄く惹かれます。
ただ私の好みの問題だと思うのですが、全身の身体表現になると芸術的と感じる事はとても少ないです。
ピラティスなどの身体を調整するトレーニング等はされているのは知っていますが、純粋に身体表現をトレーニングしておられるのはあまり聞いた事が無いので、いつもその部分に何故なのかなという不思議さを感じます。(もちろん、萬斎さんや振付家の方による指導はありますが、毎日のトレーニングにバレエでなくとも、基礎となるような身体表現に関する練習があった方が良いのではと個人的には思っています。また、それ自体が身体表現に関する技術だと思います。もしトレーニングされているのであれば、ごめんなさい。)
>理論的にすらすら喋れない分 表せない分 内にこもった名前のない感情が氷上でふとした視線 ふとした指先に溢れ出てしまう振付以外のもの 本人も気づいていないもの そういうものなのかなあ そういうものがより色濃い表現に私は強く揺さぶられるのかな。
それも もちろん美しく滑れる技術あってこそだと思いますけどね。<
ソチ以降、私の様なミーハーファンが一気に増えたのはきっとこの要素が一番大きなものを占めているように私は勝手に思ってま。
芸術性って何なのかわかりませんが、浅田真央さんのタラソワステップは私は芸術だと感じます。言葉を持たない私は何がどう芸術なのか言えないけれど、見ていて生理的快感というか、めちゃめちゃ変な言い方ですが痒いところに手が届くといいますが、快感のツボを刺激されるんです。(笑)
羽生選手の身体表現はもっともっと洗練の余地があると個人的にはめちゃめちゃ思います。
平昌以降ルールが変更になって、4回転の基礎点が減り、GOEが±5の11段階の評価になるので、平昌以降も現役続けて頂けたら、もっと私の見たい演技に近づくのではと思っています。
292番の私の月見そばさんへのコメントに補足、というよりは別の角度からのコメントです。
月見そばさんは224番で「勝つこと」や「儲けること」が「その作品を通して本当に表現したいこと」に優先された場合((邪な)ジャッジ目線に合わせたり、観客や顧客の好みに無理やり迎合したりした場合ということでしょう)それは芸術ではない、と仰っているのだと解釈しています。(合ってますか?)
そして164番では羽生選手のこのたびのプログラムの選び方が「勝つこと」を優先しているから「芸術を捨てた」と仰っているように思えます。
つまり、動機が不純だからはなから「芸術ではない」と仰りたいのでしょう。(合ってますか?)
しかしどうでしょう?
作者のあるいは演者の「心の在りよう」を月見そばさんがどのような方法で判断されるのかはわかりませんが、私の場合は、やはり、実際の「作品(演技)そのもの」を見て、作者(演者)が何を伝えたかったのか、ということから推測するしかないです。
たとえ不純な動機から決まった(私は別に不純だと思わないけれど)プログラムでも、実際の演技が行われた時の「心の在りよう」によっては月見そばさんの考えに於いても「芸術」になりうるのではないですか?
また、フィギュアスケートにおいて「再演」をどのように捉えるか。
月見そばさんの見解はこうですよね。(164番のコメント)
>>「同じ演目をやり続ける芸術」という意見があったけど、芸術の根本は誰もやっていない表現をすることだと思う。第一クラシックやオペラ、バレエ、能とかは演目は同じでも演者が違う。フィギュアで言えばそれは王道の楽曲を違う選手が新たに演じること。
ここが私とは大きく異なる部分なのですが。
私はたとえ曲や振り付けを大きく変えなくとも、再演には再演ならではの新たな表現があるのでは、と思っています。それは、演者のものの見方の変化、精神の成長、熟成具合、また表現する技術の向上などによる洗練度の向上によるものです。
(このあたりは同じ演目を数十年に渡って演じ続ける俳優や狂言師などに通じるところかもしれない。)
新SEIMEIの練習動画を見た時に、個人的には期待しか感じられなかったです。ジャンプのみならず、身体表現においても磨き抜かれて以前より洗練度が大幅にアップしていると思いました。
ただ、練習は練習であって、私がSEIMEIに「芸術性」を感じられるかどうかは、ひとえに羽生選手がどんな演技を見せてくれるか、によると思っています。
もう一つ、月見そばさんが「芸術」を感じるプログラムの条件には、どうやらB級映画の曲ではダメだよっていうのもありそうですね。
クラシック系統がお好みのようですが、では、ロックとかだったらどうなのでしょう?と純粋に疑問に思いました。
しかし、この点については私も考えがまとまってないのでまた。(好みと言ってしまえばそれで終わりの気もしますが。)
ところで、あめんぼうさんの仰るように羽生選手の身体表現にはもっと洗練の余地がある、というのは実は私も予てから感じていたことです。
昨季のFSは身体表現の訓練のためにやっているのかとも思ってました。(もちろんそれだけではないし、また、あくまでも私見です。)
そしてSEIMEIは羽生選手の身体表現の癖みたいなのにピッタリ嵌るプロだと思っているのですがどうでしょうか。さらに羽生選手の感情表現にも嵌りやすいプロだとも思っています。
まことに申し訳ありません。
294.の自分のコメントに大訂正です。
ちょっと不安になり、きちんと調べてみましたが、私が見る限り、少なくとも、ISUが公開している現在の評価におけるPCSの部分には、art (芸術)とか artistic (芸術的)とかいう語は見当たりませんでした。
もし見落としていたら、また訂正お願いいたします。
以前(だいぶ前)は、フィギュアにもシンクロナイズドスイミングなどと同じように、artistic expressions という評価の基準があったと思いますが、→ presentation → pcs (program component score )に、より客観性を持った採点が行われるよう、変遷して行ったと思います。
PCSには、上限(10点)を設けた5項目があり、それぞれに評価の基準がことばで示されていて、私が見た限り「芸術」とか「芸術性」ということばは使われておらず、もっと具体的なことばが使われています。
元々、あえて program という語を使っているわけですから、PCSにおいては、プログラムを1つの「作品」として見た場合の「完成度」が重視されている、ということは言えると思います。
その中で細かく項目を分けて採点している、ということでしょうが、これらは技術点とどこまで区別できるのでしょうか?
ここは個人的にはいつも気になっているところです。
PCSってもしかして、「芸術点」(世の中ではネットなどでもPCSをこう呼んだり捉えている例が多い)などというよりは、「芸術(作成)技術点」(へんなことばですが)なのでは?などとも思えたりして・・・。
PCSの項目の一つ一つを見ると、確かに「芸術性」につながるように見えるものが多いかな、とは私は感じるのですが、見ている一人一人の感性や芸術観は別として、ISU自体が考えている「芸術(性)」の定義とは何なのか?・・それが、PCSの項目自体に反映され表れている、ということなのでしょうが、それであれば、ISUが定めているルールで高得点を取った選手のプロが、(フィギュアスケートで考えられる)「芸術性」においても優れている、と受け入れるしかないようにも思います。
うーーん、どう考えればよいのでしょうか?
しかしそれ以前に、ルール上、明確に「芸術性」ということを言っているわけではないのですし。(もし何かのISUの資料でそれを述べているものをお持ちの人がいらしたら、ご紹介お願いします。)
とりあえず、訂正が第一目的で今回は書かせていただきました・・。
299.
>それであれば、ISUが定めているルールで高得点を取った選手のプロが、(フィギュアスケートで考えられる)「芸術性」においても優れている、と受け入れるしかないようにも思います。
>それであれば、ISUが定めている「PCSの評価部分において」高得点を取った選手のプロが・・・・・
でした。すみません。
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