カナダ・トロントで練習を公開し、平昌五輪シーズンのフリープログラムを発表した羽生結弦のニュース動画です。
フィギュアスケート14年ソチ五輪金メダリスト羽生結弦(22=ANA)の今季フリープログラムが、15-16年シーズン「SEIMEI」の再演となることが8日(日本時間9日)、カナダ・トロントで行われた公開練習で発表された。既にアイスショーで披露している新ショートプログラム(SP)も14-15、15-16年に使用した「バラード第1番」の再演。五輪でSP、フリーともに過去のプログラムを滑るのは極めて異例。世界最高得点を出した得意の曲で、66年ぶりとなる連覇に挑む。
平安時代の「陰陽師(おんみょうじ)」安倍晴明をテーマとした「SEIMEI」は、自ら選んだ思い入れのあるプログラムだ。狩衣(かりぎぬ)をイメージした衣装に加え、振り付けにも能や狂言を研究して日本の伝統を取り入れた。過去に日本人トップスケーターらも和風プログラムに挑んできたが、国際舞台ではなかなか評価されにくかった。だが、羽生は15年のNHK杯で当時の世界最高得点となる216・07点をマーク。続くグランプリ(GP)ファイナルではさらに219・48点と記録を塗り替え、世界に「和」を認めさせた。
2季前は4回転ジャンプが2種類3本だったが、昨季4回転ループという新たな武器を加え、フリーでは3種類4本が出来るようになった。「SEIMEI」で4回転ジャンプ4本を成功させれば、自ずと技術点は引き上がる。
見慣れたプログラムという懸念について、羽生を指導するブライアン・オーサーコーチ(55)は「それはない」と否定した。「誰が見ても、いいなぁと思うプログラムだし、振り付けも新しくなっている。ただ、レベルを引き上げる必要はある」。2度目の「SEIMEI」をいかに進化させるか。五輪に向けて、新たな挑戦が始まる。
(2017年8月9日掲載 日刊スポーツ「羽生結弦、今季フリーは「SEIMEI」再演に決定」より)
“羽生結弦 平昌五輪シーズンFSプログラム発表「陰陽師」 (2017/8/9-10)” への450件のコメント
2017年JGPリガ杯の紀平梨花選手のSPの演技を見て、ジャンプの失敗がありながらも、それ以外の要素の質の高さに惹きつけられましたし、ジャンプの能力も非常に高い選手ですが、ジャンプが無くても見ていたい選手だなと思います。
例えばの話ですが、2017年ワールドのジェイソン選手のように4回転1回、もしくは3回転のみのフリー演技をした場合、羽生選手はどのような評価をもらえると思われますか?
タラレバですみません。
4回転ジャンプという技術力(魔法?)を除いた場合の評価はどんな感じになるのかなと思いました。
フィギュアの事をよく知らないので、愚問だったらすみません。
ソルトさん、
>まぁ個人の方の感じ方には干渉はしません。
さんざん干渉しておきながら、このコメントぶりは、一体何なんでしょうねえ・・・。選手を思いやるふりをしながら、あなたのコメントには選手に対する愛情が、まったく感じられない。まるで商品を扱うような関係者のような口ぶり。もしそうなら、関係者がクライアント叩きしているようなもの。言語道断!
選手に罪はないけれど、せっかく「OPイヤー」だというのに、なんだかフィギアに入れ込んでた自分が、情けない思いでいっぱいです。一気に応援ムード(消費意欲含む)が萎えましたー。が、しかし、
あなたのおかげで、かなり節約できそうです。どうも、ありがとう!(笑)
ユヅ様、
「ファン(ジャッジ含む?)とアンチは紙一重」
世の中、「コアなファン」や「イエスマンの関係者」ばかりでは、ありません。多くは、「まっとうなライトファン」なのです。今季は「SEIMEI」で行くということですが、初期の段階で、もし、どうしても思うような結果がでなかったなら、素直に「オーサーコーチ」に、教えを乞うて下さい。
表現者でもある君が、「(事情はあるにせよ)テーマに手を抜けば、どんなしっぺ返しがくるか!」ということを、とても危惧しているファンのことも、少しは考慮して下さい。あの手この手で、どんなにそれらを正当化しようとしても、多くのファンやジャッジの目は、ごまかせません。
さもなくば、「人心は雲の子散らすように、離れて行ってしまうことでしょう。」(涙)
テーマに手を抜くってどういう意味でしょうか?
むしろ完成度を高めてプログラムも作品としてさらに磨きたいのが羽生選手だと思います
ハチドリさんは思い込みでネガティブになりすぎていませんか?
少しリラックスすると良いと思います
351.あめんぼうさん
評価がジャッジからの評価だとすれば、例えば先シーズンの世界選手権フリーのプロトコルを見た場合、TESの4回転以外の要素でもすべての要素にプラスのGOEがついているので、(TESが示すと一般的に考えられている)技術の質は全体的に高いと評価されると思います。PCSの要素が4回転ジャンプをなくした場合に、どう変化するかはわかりませんが、Skating Skillsなどはそんなに変わらないという前提で考えると、TESの要素以外の項目も評価が高いままなのではないか、と推測します。
羽生選手は4回転だけに特化した選手ではなく、すべての技術において質が高い、オールラウンダーの選手であることが特徴的だと思うので、魔法という言葉は私は4回転だけではなく、演技全体にかかる言葉なのではないかな、と解釈しています。
フリーの演技ではないですが、昨シーズンのエキシビションであるノッテ・ステラータではジャンプはディレイドジャンプと3A(or 他の3回転)だけでした。しかし確固たる技術の裏付けがあるおかげで、十分に魅せられたプログラムだったように思います。羽生選手は4回転がなくても、その演技内容は十分に高く評価される選手だと私は思っています。
高橋大輔さんと柔道の野村さんの出演したBS「アキレアの橋」で羽生選手のインタもチラッとでていたのをネットで見ました。
羽生選手は五輪を(4才からスケートを始めた)18年間の集大成というような主旨の話をしていたようです。
テーマに手を抜くどころか彼の2回目の五輪に賭ける思いはハンパじゃなく、まさに全身全霊を賭けて「バラ1」「SEIMEI」をさらに進化させ平昌に挑むのではないでしょうか。
それはもう凡人には計り知れない領域のものだと思います。因みに曲を変更することは絶対ないと私は予想してます。
五輪まで怪我のないように・・そしてできれば羽生選手なりに五輪を楽しんでほしいです。
高橋さんの曲選びと変更についての補足です。
あおらさんの346のコメントを読ませて頂いて書いています。
参考にするため、うちにある高橋さんの著書、2000daysをめくってみましたが、時間が余りないのでちゃんとは読み直せていません。というわけで忘れている記述もあると思いますが、該当箇所のみぱらぱらと見てみました。
2012年ニースワールドの時、高橋さんがFSで羽生選手の点を下回ったのは事実ですが、それはTESのせいです。PCSでは上でした。プロトコルを見ればわかる事ですが、羽生選手のジャンプはGOEが沢山付いているんです。対して高橋さんのジャンプは着氷が詰まりがちでGOEが付きにくい。その差がTESの差になっているわけです。
ジャンプをより跳び易いプログラムを考えた、という観点からは、ブルースのようなテンポを取りにくく(しかも高橋さんはブルースの本質を突いて、ちょっとズラした動きをしていた)ジャンプのリズムと合わせるのが難しい曲でなく、道化師にした、という考え方もできるかもしれません。(これはあくまでも私の推測です)
でも、この時の高橋さんが強く意識していたのは、羽生選手ではなくパトリックでした。2000daysでの発言等からも明らかです。
ブルースがジャッジから思ったほど高いPCS評価を得られなかったというのはあおらさんの仰る通りで(国別ではPCSも高かったけれど)、実際ニースでも1コケのパトリックの方がPCSは高かったです。(ちなみにTESでもパトリックのGOEはかなり高いですね。特にクワド2本を含むジャンプのGOEは目を見張るほど高い。たしかに大きくて美麗なジャンプで、入りも出もスピードありました。)
パトリックのアランフェスが感情表現の豊かなドラマチック路線のプロだったから?でしょうか?(あおらさんはそう思われますか?)
まあ、情感には溢れていたし、最後に向かって盛り上がりもありましたが、彼のアランフェスが羽生選手のロミオや高橋さんの「道化師」のような、元になるドラマチックなストーリーありきのプロでないことはたしかですよね。
それよりはスケーティングの見事さをこれでもか、と見せつけるようなプロだったと思います。
いずれにせよ、プロトコルからもご本人の発言からも、羽生選手のロミオの影響(が、あったと仮定して)よりもはるかにパトリックとの差の方が高橋くんにとって影響が大きかったと思いますよ。
ところでブルースについて2000daysでは「FSはまさかの『ブルース』で、どちらかと言えば好きではない曲をよくぞ滑りきったと思う(笑い)」と仰っています。
2013シーズンのプログラムについて2000daysでは「プログラムも計算しすぎ、賛否の意見を聞きすぎた。プログラム自体は否定しないけれど、どうせならやりたいものをガッツリやればよかった。次のオリンピックで好きな曲をやりたいから、前シーズンではピンと出会わない方がいいかも、とか変に引いて、計算できないくせに計算してあかんかった。計算してそれに気持ちがついていくタイプじゃないんだから、もっとフィーリングで動けばよかった」と。これはアーティスト気質といえる発言ですね。
また、「道化師」のようなプロにした理由としてモロゾフの存在は大きかったのではないかとも私は思っています。このプロが発表された時、当初の衣装も、プログラムの曲的にもかなりモロゾフ好みだと感じた人が多かったですよね。
SP変更で全く曲を新しくしたことにもおそらくモロゾフは大きく関わっていて(選曲は歌子先と3人でしたと書かれていますが、なにせ振り付けがモロゾフですから)単に過去プロに戻す、という案よりは「オレに任せろ」的にモロゾフが口出しした可能性が高そうだと私は想像していますよ。
それと
>>ステップのレベルが取れない位のことで
と書かれてますが、たしかにStSqのレベルは私が例として出しましたけど、スポルティバの記事を読めばそれだけが上手く行かなかった部分ではないことがわかると思うのですけど。。。スポルティバでも「世界一のステップが映えるように」とはありますけどね。。。
それとは別に、StSqは高橋さんにとってどれほど大切なエレメントだったことかと私などは思うのです。彼がどれだけのプライドと自信を持ってステップを踏んでいたことだろうと。
そしてプログラム変更の時期は、あの屈辱的な点差のついた全日本SPの後だということも考えてみて下さい。
蛇足ですが、あの時の羽生選手はGPF後の体調不良のためかとても痩せていて、大変心配したものですが、SPはあのシーズン一番の出来だったと思います。今見ても惚れ惚れするような演技です。
すみません、上のコメントで
>>2013シーズンのプログラムについて2000daysでは
のところは2012-2013シーズンと書くべきでした。つまり「道化師」のシーズンです。
ソルトさん、
337.341.補足します。「只のスポーツ」とは、「たかがスポーツ、されどスポーツ」の「たかがスポーツ」の意で使用しました。私自身、フィギアスケートは「されどスポーツ」であると、すでに認識しております。あなたのコメントを読ませて頂くと、もしや、あなたの方が今まで「たかがフィギア」などと、思っていらっしゃたのではないですか!?
アトムさん、
あなたのような「イエスマン」が、わざわざご丁寧にコメントなさるから、より不安が増すのです。
>むしろ完成度を高めてプログラムも作品としてさらに磨きたいのが羽生選
手だと思います。
確かに、そうでしょう。しかし、すでに、パーファクトを二度ほど見届けたプロを、いくら選手の意志を尊重したとは言え、「ストッパー役はいなかったのかなあ?」、と、それは普通に思うでしょう。(下手をすれば只の自己満足に終わる)師弟関係は本当に大丈夫!?アイデア豊富なクリケットなはずなのに、他にテーマ(案)はなかったの?「ユヅルの為に、OPにはとっておきの曲を用意しているんだ!」と言っていたオーサーコーチの、あれは一体何!?等々。(説明なーし!)
「SEIMEI再演!」に対する、ファンの「またかよー!」という心の叫びは、届いていないのでしょうか。それとも、届いているけど、「完全スルー!」ですか・・・。「フィギアの明るい未来」を願うなら、その「殿さま商売」のようなスタンスを、OPを前に、即、改めるべきかと・・・。
それから私自身、「SEIMEI」という作品自体は、ライトファンなりに高く評価しております。(すでに、336.で述べている)ここで、問題視しているのは、「B級映画音楽」と、コンクールで言えば「すでに金賞を受賞しているような作品の再演」。ファン(観客含む)のみならず、当然、ジャッジからも「(金賞二回も取ったのに)またかよー!」という厳しい視線。いくら構成を上げてノーミスしたところで、PCSを押さえらてしまうのではないかという懸念。僅差が勝敗を決めてしまう、フィギアスケートというスポーツ、等々。これらの不安材料を抱えながら、「イケイケ、ドンドン!」なんて、無神経なことは、とても無理です。
「構成をあげたノーミス!」という、魔法(呪術)を願うよりも、「このフレッシュなプロならユヅを応援したい!」と思えるものの方が、ライトファンとしては余ほどスッキリするし、士気も上がると思います。(例えば、昨季のマオちゃんの「リチュアルダンス」のような。ソチでこのプロで金メダルを取る、彼女の勇姿が観たかったあ。ああ、無念!)ゆえに、もし、ユヅが今季、思うような結果が得られないのであれば、初期の段階で「オーサーに・・・」と、コメントしたのです。
アトムさん、私が「ナーバス」になっているとおっしゃるなら、どうか私をあなた自身の言葉で、納得させて下さい。そしてスッキリとした気分で、(今季も)ユヅを応援させて欲しい・・・。
magrittemariさん
丁寧に回答、ありがとうございました。
ソルトさんの仰る
>西洋でとらえられて来たような芸術性みたいなのがほとんど無くしてスケートの技術力とスポーツ性で高得点を稼いで
とあったので、例えばH&Lのような外国の方には受け入れられにくいようなプロの場合、4回転の技術力を除いたらそれはジェイソン選手の様に拍手を貰えるのだろうか、どんなふうに観客やジャッジの目に映るのだろうかと思いました。
プロってあくまでもその選手が演じることで総体として一個の作品になるのだから、演じる選手の個性やそこにある技術をのぞいた無機的なものとして単純比較することにあまり意味はないように感じる。
羽生のプロをブラウンが演じたらどうなるか?と考えるのと同じように羽生のプロから高難度ジャンプをのぞいたらどうなるか?ブラウンなんかのプロとどう違うか?などもタラレバにしても何を目的としてそういう想定をしなければならないのかわかりません。
今の羽生のプロなどは単体でもスポーツ技術としてトンでもないエネルギーと技術が必要なクワドを盛り込んだ上に、揶揄されてきたようなジャンプ大会とは別次元のプロを作り上げてプロ総体で高評価を得るに至ったところに大きな意味があるのでは?
自分が言ってるのは羽生がジャンプだけで点を稼いでこれまでの西洋的芸術性とか美意識とは異なるものを作ったということではなくて、ジャンプ含む全てにクオリティが高いスケート技術で点数を稼いで…という意味。
同じようなところを目指していても宇野やチェンなどは西洋的芸術性を残しているように感じられ、そちらは西洋人に魔法とは感じさせそうもないようなところが面白い。
362で宇野とチェンのことだけ触れてクワドジャンパーとして大事な存在であるボーヤン・ジンのことを書き忘れた。ボーヤンのジャンプには胸が踊るけど、プロのあの表現は…よくわからんです。
あれこそ西洋的芸術性などとは言えそうもないし…まだ進化途中に違いないだろうけどあれを極めてったらどうなるんだろう?本物よりインパクトの強い偉大なるフェイクみたいになるのだろうか?ひそかに楽しみ。
ソルトさん、丁寧にお答えくださってありがとうございました。
ボーヤン選手の
>本物よりインパクトの強い偉大なるフェイクみたいになるのだろうか?ひそかに楽しみ。
に笑ってしまいました。
あめんぼうさん、勿論実際のプログラムでは勝つために4回転を入れるのが筋だと思いますし、H&Lの世界選手権の演技では4回転を含めたその高い技術のホールパッケージが高く評価されたものだと私は思っています。このことに関しては、ソルトさんの仰る
>プロってあくまでもその選手が演じることで総体として一個の作品になるのだから、演じる選手の個性やそこにある技術をのぞいた無機的なものとして単純比較することにあまり意味はないように感じる。
というのもごもっともかと思います。
ただ、個人的考えとしては、4回転ジャンプをなくしてみたら?というのは非常に意表を突いた面白い発想だと思いました。
実際、羽生選手自身がブラウン選手のSPに4回転ジャンプが入っていなくても90点を超す、ということをかなり評価されてらっしゃいましたし、4回転ジャンプがすべて、ではないということが実証されたのだと思います。
羽生選手はあくまで質を追求するアスリートです。完成された質のノーミスの演技がなされた時、そこからは人々の深い感動が得られます。
そんな羽生選手の演技の魅力(魔法?)がどこからくるものなのか、考えてみるのも面白いかもしれないと思った次第です。
〉ただ、個人的考えとしては、4回転ジャンプをなくしてみたら?というのは非常に意表を突いた面白い発想だと思いました。
たしかに目的はよくわからないけど発想としては面白いかも。あまり意味がないと言ったのは言い過ぎでした。
自分は例えばジャンプなど技術的な個人差はとりあえず考えず振り付け衣装含め、もしもそっくりそのまま他の選手がそのプロをやったら?と想像すると結構面白い。他の選手でもちょっと見てみたいと思えるようなのがある一方、ほとんど見たくないか、怖いもの見たさでしか興味がわかないのは記憶の新しいものだけでも
ボーヤン・ジンのバラ1(羽生版)
宇野のスパイダーマン(ボーヤン版)
羽生のマラゲーニャ(フェルナンデスの髭つき版)
ブラウンのSEIMEI
パトリック・チャンのノッテ・ステラータ(羽生のEX版)
とか。
……見たいですか?
ここが羽生スレなのでやや想像するプロに偏りがあるが。また振り付けや衣装を変えればこの限りでもないということも。
こんなこと考えるとやっぱり振り付けや衣装なども含めてその選手の良さが生かせるプロってのはあって、それを突きつめて行けば再演だの新曲だのというのは実はそれほど関係ないような。
あとはやっぱりどんな良プロだって競技では技術の高さが伴わなきゃ話にならないと思う。
349.観戦者さん、(今頃、あなたのコメントに気付きました)
簡潔に(芸術)に対する、あなたのご見解をお示し下さって、ありがとうございました。あなたの文章は、控え目で、他者への思いやりにあふれ、本当にすてきです。ちょっとした「鳥肌~」が立ちました♡(芸術とアートを区別する、理由がわかりませんが?、などとコメントしてしまい、お気を使わせてしまったようで、すいません)
「芸術」に対する認識は、(フィギアの話は脇に置いといて)歴史的背景による西洋と東洋の違いは確かにあると思いますが、グローバル社会の今、そんなには、違わないのではないでしょうか!?というのが、私の感想です。
先日、NHK「奇跡のレッスン!」という番組をみたのですが、ヨーロッパの指揮者が日本の中学性の合唱部を指導するんですけど、彼の好きな日本の歌は「赤とんぼ♪」。白髪の指揮者が美しいテノールで、情緒的に気持ちよさそうに歌うその姿は、西洋人も東洋人もないんだなあ。音楽ってすばらしいなあ、と改めて感じました。
「芸術」の捉え方は、おのおのが自由に感じとれば、いいのではないかなと思っておりますので、他人の感覚に「そうは思わない」などと、不遠慮に言う資格はないと思います。(これほど不快なことはありません!)
「芸術は論じるものではなく、感じるもの!」としたのは、そういう意味もありました。(あれれ、これは月見さばさんへのコメントだったかな?月見さばさんの、「SEIMEIを選らんだ時点で、芸術は捨てた。」というご意見に、「なるほど、間違いない!」と思ったものです。笑)
観戦者さんの「美しい文章」と、白髪の指揮者の「美しいテノール」が、なぜかリンクして、ちょっと脱線してしまいました。お許し下さい。
ソルトさん
めちゃめちゃ見たい!
ショーで一度やって欲しい!
パロディもいいけれど、ちょっと真剣にやると一体どれくらい違うのか興味があります。(笑)
振り付け、楽曲、本人の力量、本人にどれだけ合っているかが逆に分かったりして。
それとも以外にハマるのか。(笑)
>プロってあくまでもその選手が演じることで総体として一個の作品になるのだから、演じる選手の個性やそこにある技術をのぞいた無機的なものとして単純比較することにあまり意味はないように感じる。
ほんとにその通りですよね!
magrittemari さん、私の愚問をフォローして下さり、ありがとうございました。
ソルト様ご明察のお礼としてこちらも脱線。でもこれじゃお礼参りのほうが近いなあ(笑)。
●ボーヤン・ジンのバラ1(羽生版) >ほとんど京劇、どうみても京劇。オーダーキャンセル可? いえ見ます、見ます。
●宇野のスパイダーマン(ボーヤン版) >自慢の銀糸に粘着力不足の疑い。『イスメラルダーー!!』・ ・ ・貴方どなた?
●羽生のマラゲーニャ(フェルナンデスの髭つき版) >絶対に見てはいけません、機織り中です。見てはいけませんったら!
●ブラウンのSEIMEI >だれ、間違って巫女さん呼んだの。えええ踊り子さん? 待って、まだ舞台開けないでー!
●パトリック・チャンのノッテ・ステラータ(羽生のEX版) >機織り中恐縮ですが、羽毛のレンタルをお願いします。そこの掛布団もむしっていいから、でき早で!
夜分にお粗末様です。
dark eyesさん、いろいろ教えていただきありがとうございます。
その上で、思ったことは、、
2012年当時、高橋さんは技術の平均値においてはパトリックにかなわないけど、プログラムそのもの、表現面においては負けていないとの自負は当然持っていたのではないでしょうか?
ただ、PCSにはスケーティング技術も含まれるので、パトリックを超えるのは現実的に難しかった。
そこに、シニア2年目でまだまだだと思っていた羽生君が、いきなりオオバケして観客の心をつかみ、表彰台に乗って来た。そのインパクトの方が強かったのではないかと。
今と違ってPCSの比重も大きく、ジュニア世代の選手が台乗りなんてまだ考えられなかった時代です。
ところで、高橋さんで面白いと思ったのは、本人にとって苦手曲といえるブルースや道化師のプロが、作品性においてはすばらしいことです。
なにかで聞いたことがあるのですが、彼は自分で曲は選ばないとのこと。振り付け師やコーチが決めた方がよいものができるという趣旨の発言だったと思います。
ある程度実績があれば、選手として自己主張するのが普通なのかなと思うのですが、いい意味で無私なのですね。芸術に身を捧げているというか、よりよい作品を作るために自己主張せずに、自分自身を作品の1パーツとしか見ていない潔さといっていいのかもしれません。
JGPの演技がアップされて動画がどんどん後ろに行く中、密かに(?)スレが伸びててびっくりです^^
351. あめんぼうさん
クワドを抜いたら…という発想に近いと言えるかわかりませんけど、私は昔のコンパルソリのように「全員が全く同じプログラムを滑ったらどうなるか」というのを 想像したことがあります。
つまり「課題プロ」のような形で。
もっとも ある程度は難易度を上げないと差がつかないような気がするので、仮にクワド1本のプログラムにしたとしたら…個人的には、もしそれをやったら 今の羽生選手に勝てるのはおそらくパトリック選手だけだと思っています。
(もちろん全員クリーンに滑ったとして、という前提です)
昔は両者のスケーティングには差があったけれど、今は極めて近いレベルまで来ている(でも決して上回っているとまでは言えない)と思いますし。
もちろん、羽生選手のエアリーで軽やかなスケーティングは パトリック選手とはタイプは違いますけれども。
逆に言えば、クワド1本では勝てないし差がつかないから 皆が多種クワドや難しい繋ぎや工夫したスピンなどを入れているのであって、課題プロなんてルールはあり得ないし、こんな想像をしても 意味はないかな、ということも自覚してますが。
要するに言いたいことは、羽生選手のスケートは やはり世界最高峰だと 私は思っています、ということです(笑)
dark eyes様が2012年ニースワールドに言及されていましたので、参考までにその試合のFSの総基礎点 + 総GOE の表を示します。
03 79.91 + 08.25 D. Takahashi
02 79.25 + 12.74 Y. Hanyu
07 78.56 + -2.70 M. Breina
12 77.23 + 03.30 N. Song
10 76.28 + 03.58 K. V. D. Perren
15 74.77 + 02.32 S. Voronov
01 74.11 + 14.45 P. Chan
13 73.39 + 00.06 K. Reynolds
04 72.36 + 09.05 F. Amodio
06 72.18 + 06.60 D. Ten
11 72.06 + 01.49 T. Kozuka
先頭の数字は実際の FS の順位です。この表の成功した演技(総GOEが8.00 以上として)の上から3人が表彰台でしたね。
SEIMEIに戻ると、羽生選手と前の演技と今シーズンの演技の違いはこの2つの動画ぐらい違うのかもしれませんね。(どっちがどっちというわけではなく、あくまで違いの程度です。)
https://youtu.be/o0ERg64grnY
https://youtu.be/69bid4gUOHQ
こちらのコメント欄では、300番目以降の流れは「芸術」が中心になっているようですが、判定に芸術性を組み込むならジャッジ自身の審美眼のレベル認定が必須となり、現在その技量を公知する客観的情報が明らかにされていないので、今後も陽に組み込む事はないと思います。
フィギュアスケートについて芸術を語るには、例えば浅田さんが EX で演じてフィギュアスケートファンの間でより広く知られるようになった、バッハの無伴奏チェロ組曲3番のブーレを取り上げれば、
https://youtu.be/Meqljfc-bco
https://youtu.be/W_z8NRbVXTY
https://youtu.be/8mu7KvwMcjE
https://youtu.be/lW3VEi6tuiY
https://youtu.be/UBAWYalhH8o
と様々な演奏を聴きながらバッハに対して思い巡らすと共にその演技を鑑賞しようとする事なのかもしれませんね。
こちらの動画欄、フィギュアスケート談話室みたいに
発展していますね(^^)
えるさん、ニースワールドFSの総基礎点 + 総GOE の表の
ご紹介ありがとうございます。
パトリックのGOE高いですね。
そして、大輔さんの基礎点がトップだったんですね~!
これは初めて知りました。
羽生選手がシニア2年目で基礎点とGOEが2番目って凄いです。
この頃の基礎点は結構団子だったのね。
(今ではパトリック引き離されちゃっていますが(汗))
こうして表にして見ると色々気付く事がありますね。
懐かしいお名前もちらほら~(^^♪
344.dark eyesさん
>岡部さんがBS朝日のGPS特番(だったかな?)
「フィギュアスケートグランプリファイナル一週間前スペシャル」
の事ですね。思わずBD引っ張り出して久々に見ましたよ~。
dark eyesさんがおっしゃっている岡部さんによる大輔さんの
ステップへの指摘は当時見た時衝撃的でした。
「ステップ全体で上体の動きが3分の1
体幹バランスに影響を与えられていなくレベル3に」
との事でしたが、
上体をしっかり動かしているというアシュリーとの違いが
全く分かりませんでした(汗)
そして当時、振り付け師の奈々美先生や歌子コーチは
この件に関して気付かなかったの?!って疑問を抱いたのですが、
NHK杯ではレベル4とれていたのですね。(先程確認して気付いた。)
だから中国杯と全日本ではレベル3になったけど、
レベル4がとれないステップの振り付けではなかったのですね。
それと放送(編集)のされ方も公平ではないと疑問に感じました。
恐らく岡部さんは与えられた演技の解説を一通り
淡々とされたと思うのですが、
大輔さんだけ優れた点より改善点の放送が多かったので
どうなのかな~って思いました。
そう思ったのは私だけかな~?
dark eyesさんをはじめ、この番組をご覧になった方は
どう思われたか知りたいです。
連投失礼します。
>だから中国杯と全日本ではレベル3になったけど、
だから中国杯とGPFと全日本ではレベル3になったけど、
に訂正します。
ちなみに「月光」では四大陸、ワールド共に
ステップレベル4で高いGOEがついていました。
Moeri0807様、ニースワールド2012FS は、2017/08/31 のコメントで示した通りチャン選手がこのシーズン高い基礎点で好調な演技を続けていたのにワールドで演技の最後にミス(しかし GOE マイナスの要因としては比較的小さい要素に対して)が出て基礎点を落としたのに対して、羽生選手はシーズン最も成功した演技を行ったということだと思います。
今回の表からも、「FSに対して、基礎点5点差程度の差では、ベテランに対して若手が有意差を付けるのは難しい」といった仮説の有効性が少し上がったと思います。
今シーズンは、チェン選手が基礎点110点越え、羽生選手、宇野選手、金選手が基礎点105点越えを考えていそうなので、基礎点100点越えの成功確率が非常に小さい状況では、五輪でどうなるか全く分からないといえそうですね。SPのできばえにもよりますが、優勝はFS基礎点95点越えのだれかと予想しておきます。
Da Capoさん、私の愚問に反応して下さってありがとうございます。
「課題プロ」無理は承知ですが、見たいです。(笑)
えるさんがチェロスイートの演奏を5人紹介して下さいましたが、楽譜が同じでも演奏家が違うと全然違うので、フィギュアでもそれをやると選手の個性がハッキリして面白いと思います。(笑)
369傍観者さん、お礼を言いたいのは羽生の演技を考える上で「魔法」というヒントを与えて頂いたこちら。
真夜中のお礼参り?に爆笑。あめんぼうさんのコメも重なってもしかしたら意外とハマってしまうこともあるのかも?と。
ボーヤンには本人の自覚があるとも思えないが京劇はおろか中国四千年の歴史のDNAという空恐ろしいものがあり、宇野は銀糸に粘着力を倍増して大陸とは異なる高温多湿国特有新種のスパイダーマンに変身して敵を絡めとってしまうかもしれない。
羽生は身を削って機織りをする合間に髭をつけた己の姿を鏡で確認「自分あんがいイケてる」とその気になり理論的に肉体改造から始めないとも限らない。ブラウンはYou は何しにニッポンへ?でマモノ退治の必殺空中技伝授のオンミョージに出会うかもしれない。チャンの白鳥はけなげにも羽生から借りた羽毛でモンテカルロ男性バレエ団を越えてしまうかも。
1パーセントでも可能性というものは何にでもあるもので、そういった予想外のことが起きる魔法のようなサプライズもひょっとしたら芸術なるものと無関係でもないのか?などと考えてしまった。
しかし勝負のかかった試合でそこまでの冒険心と遊び心は狙っては出せないだろうし、自分は絵も音楽も大好きではあるがやっぱり競技のフィギュアは基本技術を点数で競うスポーツと思ってる。
ちなみに自分が上で例にあげたプロ、意外とどれをやっても違和感が感じられないようなのがネイサン・チェン。もしかしたら表現において一番器用でフレキシブルなのは彼なのだろうか?若くて技術的に固まりすぎてないからそう感じるのかな。
今季はマジでトップの予想が難しそう。個人的にはやはり羽生トップの確率は高いと見てる。始まってみないと分からないところもあるが。
モンテカルロにチャン差し出すって、ソルト様も相当なお方です。あそこのクルーはしぶとい、でもそれも彼は越えてっちゃうんですね、頑張るなあー。想像してめちゃ笑えました。
ネイサンに全部こなされちゃうと他のメンツが膨れますから、後日、何かイイモノ考えてあげてください(笑)。
349.は私の考えの一端を開いて書いたもので、全貌を示してはいません。でも、ソルト様がそこを踏み込んで考えてくださったので、伏せて書いた甲斐があったというものです。
<魔法>と<芸術>は、時間の流れ方の違いもありますね。すると、ある回答もでてくる。違うかなあ…という呟きの答えがそれになります。
えるさん、丁寧なお返事をありがとうございます。
えるさんの書かれた302.コメントの表も拝見しました。
基礎点とGOEを見てその時の試合内容を
思い出したりするのが、我ながらスケオタだと思いました(^^;)
それにしても羽生選手のGOE20点以上があるというのが凄いです。
歴代男子最高のGOE獲得者ですよね。
女子はメドべ選手かな。
今後、GOEの幅が大きくなるようですが私は賛成派です。
質が良いもの、優れたものはきちんと評価してほしいと思います。
おはようございます。
話の流れを断ち切るようで申し訳ないですが、やはりどうしても事実の勘違いは気になりますので失礼します。
あおらさん、ダメ出しばかりしてすみませんが、この認識はちょっと違うと思います↓
>>今と違ってPCSの比重も大きく、ジュニア世代の選手が台乗りなんてまだ考えられなかった時代です。
クワド1本か2本の時代ですから、PCSとTESのバランスが今と違うのはたしかですが、ジュニアあがりの満17歳でガチンスキーが前年2011ワールドで銅獲ってますよ。(ちなみに2009ワールドでは満18歳のパトリックも銀でした。まあ、バンク前なのだけど。)
(これを書いて投稿しようとして、下記にリンクを貼ったIcenetworkの記事に気付きましたので、FSの総得点に対するPCSの割合を計算してみました。2011ワールドのガチンスキーくんのPCSは47.61%で2012ワールドの羽生君のPCSは47.70%です。これで有意な差と言えるでしょうか?)
それからニースワールドFSで羽生選手のPCSはGPFに比べて大幅に上がったし、観客の心を摑んだのも本当だと思いますけど、「オオバケ」とまでは言えないとも思います。
同じシーズンのGPFでは既に4位でしたから。ロステレでも薄氷の勝利とはいえGPS初優勝してますし、4位に終わったCOCでも存在感はたっぷりありましたよ。
まあ、ニースで羽生選手のファンになったという方は大変多くて第一次羽生ブームとも言える人気ぶりではありました。
仰りたいのはそういうファンにとって「オオバケ」だったということでしょうか?
でも高橋さんにとってそれが「オオバケ」だったかどうかはわかりませんよね。羽生選手シニアデビューからだけ考えても、NHK杯、全日本、4CC、GPFなどなど、それまでにも何度も同じ試合で闘っていますから。
彼の持っている人を惹き付ける力に気付いてなかったとは思えないです。
それとも、演技に於いても大切な「人を惹き付ける力」は結局は「人気」にも繋がるので、ニースで羽生選手の「人気」が出たことが「オオバケ」だったと仰りたいのでしょうか。
高橋さんはたしかに「人気」には拘ってらっしゃる発言が多いです。選手にとって「人気」は自信に繋がるのでしょうしね。
後に高橋さんは羽生選手の人を惹き付ける力の凄さについて何度も言及なさってますから、当時も全く意識してなかったとまでは思いませんが、当時はパトリックの方をより強く意識していたのは間違いないと私は思います。
とにかく私としては高橋さんが羽生選手の人気、というか人を惹き付ける力をこのニース時にそこまで強く意識して、パトリックとの差よりもプログラム選びに影響したと仰るあおらさんの主張の根拠が知りたいです。
実際、高橋さんのニース時の発言からはパトリックを意識した言葉しか私は見てないのですよ。でも私も全部カバーできているわけではないですし、忘れている事もあるかもしれません。私の知らないなにかがあるのだとしたら教えて下さい。あおらさん以外の方でも、もしご存知ならぜひ教えていただきたいです。
Moeriさん、はい、その番組ですね。
今は見返す時間がありませんが、たしかに当時、私も衝撃を受けました。他の選手についてどんなことが放送されていたのかは覚えてないくらいの衝撃でしたわ。
でも今になって考えてみると、ジャッジからのフィードバックを公開でしただけだったのかも、とも思います。
選手サイドにも当然同じ内容のフィードバックは行っていて、たまたま機会があったのでそれをテレ朝の番組内でもしたのかな?と。
仰る通りレベル4を取れないStSqではなかったけれど、ステップ巧者の高橋さんをしても、大変レベルの取りにくいStSqではあったのでしょうね。
ニースワールド時のえるさんの表は本当にわかりやすいですね。ありがとうございます。
高橋さんはジャンプ5本後半、コンボも3つとも後半で、クワドは1本だけど3A2本(一本は後半)入れてしっかり基礎点を取っているのですよね。(URのジャンプも1本ありましたが。)
羽生選手は当時はジャンプ4本後半でコンボは2つだけ後半でした。(スタミナ〜って言われてましたものね(汗)今の状況を考えると感無量ですわ)
クワド1本で3A2本、うち後半1本は高橋さんと同じでした。URは無しです。
パトリックの基礎点が低い理由は1A<<で転倒で基礎点0になったことと、コンボ3つのうち2つしか入らなかったことですよね。パトリックもジャンプ後半5本は入れてましたね。
ここまで書いて気づきましたが、IceNetworkがISUのルール改正案についての記事を出していて、コリさんやオーサーさん(プログラム短縮と表現の問題についてはなるほどです)、ネイサンのコメント(ネイサンって本当に賢いなあと思いました)も載っており、一通りざっと読んだのですが、これまでの話に関連するのでリンクを貼っておきます。
クワドだけでなく3Aも基礎点下がるようですね。
しかし4Fは10.5%,4Lzは15.4%も下がるかも、なのですね。
GOEの段階も増やすだけではなく、各GOEの間隔は基礎点の10%に設定される(基礎点に連動する)ようですね。
http://www.icenetwork.com/news/2017/09/11/253667206
何度もすみません。上のコメントに追記です。
ニース当時の高橋さんの心境や「道化師」を選んだ経緯についてはご本人が仰っていること以外は何を書いても推察になってしまうわけで、私のコメントも推察の域を出ません。
ただ、あまりにも事実と違った認識に基づいた推察というのは如何なものかと思いましたので、しつこく書かせて頂きました。
話を長引かせて失礼しました。
しかし、羽生選手のプログラム選びを考える上で私にとっては、高橋さんの例は特にトップ選手がプログラムを選ぶ時というのはチームでどれほど考察を重ねて慎重に行っているか、ということを改めて思い出す機会になりました。また、フィギュアスケートと芸術性を「表現に対する心の在りよう」から考える上でも、実際の選手の胸の内というのは外からはなかなか想像できないものなのだ、としみじみ思いました。
あおらさんが仰るように、ご本人が苦手とか好きじゃないとか仰っているプロの芸術性が素晴らしいのは興味深いですね。
どんな考察ができるでしょうか。
まあ、それも年齢と経験を重ねた結果、様々な点での成熟がもたらしたとも思えなくもないですが。
ところで私、magrittemariさんの仰ることもわかるんですよ。
たしかに羽生選手のジャンプは芸術だと言えるくらい見事ですよね。ただ、それ以外の部分(特にエレメンツ以外)でmagrittemariさんと私では感じ方が違うということでしょう。もちろん、羽生選手がジャンプ以外の部分(エレメンツだけじゃないですよ)も意識して気を配っていらっしゃるのは理解しているつもりです。
TESのルールにも芸術的要素を内包している、という説については私は桔梗さんのご意見にほぼ同意です。
ところでジャンプのGOEについて、あくまでも私の感覚からだけの印象ですけど、今のジャッジングの傾向としては、入りや出の難しさよりもジャンプそのものの出来がかなり大きくカウントされているように思います。特にクワドについて。
(と思っていたらIcenetworkの記事でコリさんが似たようなことを仰っていましたね。羽生選手や宇野選手の入りや出を考えると全面同意はできないけれど。)
出についてはいかに流れるか、が重要視されているように思います。
あと、上のIcenetworkの採点案によれば3回転までジャンプ基礎点が下がるものが多いのですね。
ジャンプが一本減りますし、GOE段階と係数も変わるし、ここまで変更が加わると、最高得点の記録は一旦今シーズンで完全リセットでしょうね。(もはや比較もできない)
羽生選手が今季、最高得点を再度更新することを祈っています。
本当に何度もすみません。
380追記というか訂正です。
パトリックのニースワールドFSの基礎点には三連の3S予定が2Sになってしまったことも影響が大きいですね。書くの忘れてました。
magrittemariさん、あなたの主張にある「芸術性を兼ね備えたスポーツ」「芸術性を兼ね備えた判断」「芸術的な要素」「芸術的な視点」の「芸術」とは何ですか?それは主張の根幹をなすのでそれがあやふやだと一体何を主張したいのかよくわかりません。
以前お話しされてた「技術の機能美の究極」ですか?ならばGOEやPCSは拡大解釈して無理に「芸術の評価」としなくても素直に「技術の評価」のままで良いと思います。GOEやPCSの項目に「芸術」はおろか「美」すら明文化されていません。極論ですが競技フィギュアにおいて選手が目指すべきもの(ジャッジが求めているもの)はあくまでも高度な表現技術であって「美」とかは副産物としてたまに観られるものに過ぎないのかもしれません。仮にISUが本気で競技フィギュアに「美」を求めるのであればそれ相応のルール(採点方法)にして公開するのが自然だと思います。
*****
競技スポーツのフィギュアスケートを「芸術」と言う人の一体どれだけが普段から積極的に本物の舞踏芸術(と言われているもの、バレエとか)を鑑賞しているのか知りませんけど、私はフィギュアファンにおいて「芸術」はあまりにも安易に使われ過ぎているタームのように感じています。「感動」を超える「超感動」を「芸術」と評しているのかな?って感じ。速攻否定する人もいましたけど(のくせ芸術の定義は示さない)。
もちろん個人の感想コメントなら「芸術は人それぞれ」でもあまり気になりませんが、全員に向けての主張となればその主張の中に出てくる「芸術」というタームが一体何を指すのか(現時点で発言者がどういう意味で使っているのか)がわからないと何を主張したいのかわからなくてものすごくモヤモヤします。「答える必要なし」という意見が多かったですが皆さんはモヤモヤしないんでしょうか?主張を理解しようとしていた私が間違っていたのでしょうか?説明を拒む主張には一体何の意味があるんでしょうか?
381.dark eyesさん
私のコメントを引用して下さり、ありがとうございます。一点だけ質問なのですが、
>ただ、それ以外の部分(特にエレメンツ以外)でmagrittemariさんと私では感じ方が違うということでしょう。
という点に関して、具体的にどのようなことなのでしょうか?もしよろしければご教授頂けますと幸いです。
ちなみに
>TESのルールにも芸術的要素を内包している、という説については私は桔梗さんのご意見にほぼ同意です。
に関しては、大変納得致しました。桔梗さんも丁寧なご意見を下さり、ありがとうございました。
dark eyesさん、競技フィギュアで類稀なる技術をまるで魔法のように自由自在に使役する表現の技巧の極致を目の当たりにして芸術を感じるということは実際にある、というのはわかります。動機はどうあれ「表現する」は「伝える」ことだから何だか凄い究極の表現を観て心が激しく揺さぶられる(心に何かが伝わって励起される)と自身の過去の経験と照らし合わせてもう「芸術」としか言いようがないこともあるかもしれません(真に芸術かもしれないし厳密には比喩や誤用に過ぎないのかもしれないけど)。ところで本当に技術のみに芸術を感じたのですか?というのも最高の技術であるならばGOEやPCSや総合得点が高得点のはずですが、私は高得点プログラムだからといっても必ずしも芸術を感じるというわけではないからです。町田選手のスケアメの「第九」は独創性が技術不足を凌駕していました(もちろん完全版を是非観たかった)。高橋選手の「道化師」は技術のみに感動したのでしょうか?
ちなみにパトリックで感動したのは4CCのショパンです。それまでの彼の演技は確かにスケーティング技術は凄いけど(PCSもトップクラス)何を観てもなんか全部同じに感じてましたが、コーチを変えてまで今まで受けていた恩恵を失ってまで彼が得たかったものはこれだったのかと思いました。ところで彼のスケーティングについて「最小限の力で」とか技術のみ注目されるのにはちょっと違和感がありまして彼の脚って筋肉でパンパンですよね。私は「技術と筋力」が正しいと思っています。それからたぶん美しいスケーティングには背骨・首・腰・肩の固定が必須なんだと思っています。彼の強固なそれは並々ならぬ努力の成果。あれを「案山子」とか言われたら流石に彼が可哀想だと常々思っていました。
383.月見そばさん
コメントを頂き、ありがとうございます。
実はまさにコメント頂いた通りで、私自身「芸術とは何か?」をいろいろと考えたのですが、それを明確化するのが非常に困難であった、という経緯があります。「感覚的にこれは芸術」だと思っても、それを言葉で表現することが非常に難しかったのです。実際に私が「芸術性を兼ね備えたスポーツ」「芸術性を兼ね備えた判断」「芸術的な要素」「芸術的な視点」と「芸術」を多用していた時には、自分の中で確固たる「芸術とは何か?」というものがはっきりしていなかったです。曖昧なまま、「芸術」という言葉を多用してしまったことにはお詫び申し上げます。
いろいろと芸術の定義に関して考えた末、私の考えではなく、大変恐縮なのですが、個人的に今は、wikipediaの、芸術とは、「表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。」という内容に賛同しております。
「技術の機能美の究極」に関して言えば、「技術の機能美の究極」はやはり「芸術」だと私は思っています。「技術の機能美の究極」を例えば羽生選手のジャンプに例えるなら、そのクオリティの高さから心が動かされ、何度でも観たいと思うのです。
ただ、桔梗さん、dark eyesさんにもご指摘いただきました通り、TESのルールにも芸術的要素を内包しているのではないか、といった私の主張は、そうではない可能性が高い、ということで納得しております。ですので、月見そばさんの仰る
>GOEやPCSは拡大解釈して無理に「芸術の評価」としなくても素直に「技術の評価」のままで良いと思います。
に賛同しております。
ここから先はあやふやな記憶に基づく感想なので事実誤認があればバシバシ訂正をください。
ニースのシーズンの高橋選手が意識してたのは絶対王者のパトリックで間違いないと思います。高橋選手だけでなく誰もが倒したくて倒せなかった。ニースのシーズンの羽生君はまだまだスポ根漫画状態。羽生君が大化けしたと言えるのはオーサーに師事してパリ散で世界最高得点を叩き出した次シーズンのスケアメが妥当ではないでしょうか。ただしあの時の全日本においては高橋選手は初めて若手の脅威を意識したかもしれません(確かに高確率で美しい4Tと3Aを持っているけど総合力で自分が負けるわけがない→負けるかも、もうパトリックを倒すどころでないかも)。
思えばソチ前の絶対王者パトリックは高確率高GOE(当時比で)4回転と文句ない高PCSを兼ね備える今でいうトータルパッケージのオールラウンダー。それをかろうじて打ち破ったのは4回転で勝る若手の羽生君。歴史は繰り返すというけれど今の羽生vsボーヤン・ネイサン・宇野の構図に似ていて感慨深いです。
高橋選手が「ロックンロールメドレー」を「月光」に変更したのは想定より点が出なくてモロゾフはそれをジャッジに対してせっかくのエッジワークがアピールできていないからと分析して修正した(具体的にはジャッジ席前にステップを多くもってきて見せつけるようにした)とテレビの特集でみたことがあります。当時はつまんなくなって不満でしたが今観ると「月光」ってなかなか良い。奈々美さんやミヤケンさんの振付って若手選手にはいいけどベテランには合わないのかなと今は思っています。振付の格なんでしょうか。
magrittemariさん、早速のお返事ありがとうございました。色々と納得できました。
決して反論ではなく意見交換として話すことによって「フィギュアと芸術」について探り高めていきたいためにお伺いしたかっただけなのです。謝らないでください。
私自身は技術に「美」を感じますし「感動」することもあります。羽生君のジャンプに美を感じ感動します。でもその「美」と「感動」を「芸術」と呼んでいいのかは悩み中でまとまっていません。工業製品と芸術作品、競技者(技術者・職人)と芸術家の違いを考えるとどうもしっくりこなくて悩み中です。芸術全体を考えたり逆に個々の1つ1つの事例に捕らわれたりするよりも、舞踏芸術とされているバレエとの比較検討に徹した方が良いような気もしています。
自分でもよくわかっていないのに「芸術」というタームを使うからいけないのであって「感動」「超感動」でいいじゃん、と思うこともあります。
たしかにこういう場所のいろんなコメントなどを読むと自分が超感動したものに芸術的とか芸術性があるとか安易にただ自分の感覚と結び付けて語る例は多いと感じる。よくわかんねーなぁと思うこともあるし感覚として同意のこともあるが、その人にとって「芸術的」と感じるものを他人がどうこういうのもまた差し出がましい。
芸術という言葉自体に西洋社会の伝統が関係してるらしいが、日本にその言葉が定着して久しいからそんなことまで考えないで使ってる例は多そうだ。
芸術という言葉には本来個人感覚ではなく社会的意味が存在するのにそんなことどーでもよくつい使っちゃう人が多いのでは?
その人がどういう基準でその言葉を使ってるかは言ってること全体から聞いた人がそれぞれ判断するしかないと思う。
そもそもOP の一種目であり社会的にスポーツとして成り立ってる競技のフィギュアで大元も芸術という言葉を一切使ってないなら、その演技に対して芸術という言葉を使ってる場合はその定義は個人感覚に基づいているものに過ぎないと自分は単純明快に考える。
ほとんどの場合、競技の点数自体に大きく反映されてるとは思えない、そうであってもそれはごく微量ではないか?と考えられる次元の話。
人によりフィギュアの見方や楽しみ方など自由でいいと思うが、自分などは羽生の演技など実に技術追求の大変クールなものに映っててそこが面白い。
現在のところその点では他選手は甘さがあり、だからこそ羽生が今トップなんじゃないの?
個人的に感じる芸術性は個人の感覚や考えに基づくものであり、羽生の演技に芸術性を感じるとは言えても、それが芸術だとか芸術性があるなどと一般的に決めることは誰にもできないはず。同様にないと言い切るのも他人の感覚を否定することだと思う。
月見そばさんは確か前の方で羽生のSEIMEI は心の在りようから芸術ではないと言い切っていたと記憶してるんだけど388では羽生の技術に美を感じそれが芸術と言えるか悩み中と言うことで、考え方を変えたということですか?それとも羽生のプロのなかでもSEIMEI に限っては技術の美しさはないという意味なんだろうか?
dark eyesさん、再三失礼します。
まず、揺るぎない事実があって、それに対する見方はいろいろあるのではないでしょうか?
(事実誤認があれば、詳しい方々がデータを記して指摘してくれますし)
現在は10代の選手、ネイサン、ポーヤン、宇野君たちが台乗りするのが当たり前、当時は、ガチンスキーや羽生君が台乗りするのが珍しいことだった。
高橋さんがトップにいるパトリックとそのスケーティング技術に注目していたのもごく当たり前のことですが、技術的なことと表現面で分けた場合、彼が表現面においてパトリック陣営から得るものはあったのかな?と思うのです。
むしろ、当時ジャンプやスピン以外のスケーティングにおいてはまだまだの羽生君が、11年〜12年シーズンを通して、表現面においては大化けしたことが高橋陣営に影響を与えたのかなと。
もちろん、同じ日本人として意識はしても当時は声に出しにくい面はあったかと思います。(あくまでも推測です)
もちろん、dark eyesさんのおっしゃるとおり、モロゾフコーチの影響が大きいですね。道化師はモロゾフ好みのプロなのだと思います。高橋さん自身というより、コーチ含めた高橋陣営が、ドラマチック路線が審査員受けする&ジャンプのタイミングもとりやすいと判断したのかもしれません。
SP変更の件は、そもそも、どうしてモロゾフは最初から振り付けしなかったのでしょうか?「月光」めっちゃいいプロじゃないですか!ローリーに断られた時点で、そのタイミングはあったはずで、最初からこれで行ってたらと思わずにいられないのです。
いろいろ意見はあるかと思うのですが、オリンピックシーズンはなぜかローリーは引き受けたんですね。でも、ビートルズメドレーってどう見ても勝ちプロに見えなかったです。
380. dark eyes さんが紹介して下さっている、Icenetwork の記事を読んでみました。
平昌後のルール改正については、すでに決まっているようですが、春頃に時事通信で流れた北京後の大幅ルール改正(arhletic program と artistic program に分けるような)については本当なのか?と疑心暗鬼でありましたが、やはり実際にISU内でそういう案が検討される、ということなのでしょう。
記事を読んでみると、まず提唱者または推進派の、ISUの Single & Pair Skating Committee の議長( the chair ) である Bianchetti 氏によれば、「フィギュアが以前に持っていたようなスポーツと芸術面のバランスを取り戻し、人気を復活させたい意図があって」ということのように文面からは受け取れました。
現在のPCSの規定とは違って、はっきりと artistic ということばが当然のようにこの記事では(PCSに対しても)使われていますね。
現況では、TESとPCSのバランスが崩れてきていて、芸術よりスポーツに偏って来ているのが問題、と見ているらしいですね。(あげられている数字だけを見る限りそんなに極端な偏りとも個人的には感じられませんし、現在多種多数クワドを跳ぶ男子シングルのトップ選手のプロが芸術面で過去に比べ極端に劣っている、とか見栄えがせずにつまらない、などという感じを私自身は受けてはいないのですが・・むしろ正直なところ、限界挑戦のクワドが入った分、ノーミスできた時などは、プロが作品として、エキサイティングでクールに引き締まって見えたりしています。)
ISUのトップの方にいるだろう人がこういう発言をする、ということはやはり、明文化されていなくても要するにPCSは単にプログラムの(表現の)評価、ということではなくて、芸術面を評価しているのだ、と言っているようなものとも受け取れます。
その「芸術」とはなんでしょう?やはりそれは「西洋の」伝統に大きく関わる(支配される)ものなのか?
しかしまた、これがISUの「総意」かどうか、はこれだけではわかりません。あくまでもこれから検討、ということで、はっきりしたことを言うのは時期尚早、ということも、Bianchetti 氏ご本人が言っていますし。
人気を復活させたい、ということは、以前より人気がなくなったと言っているのでしょうが、それはいったいどこを中心に、何をしてそう言っているのか、また提案のようなことを実現することで本当に人気が復活できるのか?はどうなのでしょう。今後、いろいろな意見も出され、試行をした上で最終的には決まっていくのでしょうが、フィギュアスケートの未来はどうなっていくのでしょう?
組織にはいろいろな力関係もあるのでしょうが、やはり選手やコーチ、一般の人なども含むなるべく多くの人の意見を取り上げてできうる限り公正に、慎重な判断をして行っていただきたいものです。
目の前に迫る平昌後の改正についても、やはりフィギュア関係者が必ずしも全面的に賛成というわけでもなさそうで、dark eyes さんも書かれているように、ジェイソン選手のコーチのコリさんもオーサーコーチもFSの演技時間短縮が、プログラム重視やトータルパッケージという観点から見て、良い方向かは疑問、というようなことを仰っていますね。つまり芸術性にしてもトータルな技量としても短い時間では出し切れない、ということなのだろうと受け取りました。
ネイサンは確かに聡明な答え方をしていますね。
結局は今の状況を、誰が見てどう捉えるかは主観的なもの、というように言ってると思います。
でも、その中で今の状況(よりスポーツ色が強くなっているような状況)を pretty cool と言ってくれていることは私自身はとても嬉しいです。その中で羽生選手も活躍しているのであり。
こちらのスレは、羽生選手の五輪シーズンのFSプロの発表、という記事ですが、そのコメント欄で私自身も含め、芸術やフィギュア、羽生選手のプロの芸術性などについて様々な意見や考え方、思いなど活発なやり取りが続き「これが答」「正解」というものが簡単には出てこなくても、刺激的で、お互い何かの実りあるものとなっているように感じます。
「芸術」と一口に言っても個人個人、また社会的な捉え方というのも一様でなく、伝統や権威とも無関係ではない側面もあり、いろいろ考えてしまいます。
別冊 KISS & CRY の町田さんの連載第一回も読んでみました。
過去の優れたプログラムを「競技とは異なる視点から批評という形で再評価を試みる」ということで、第一回はジョン・カリーのドン・キホーテを取り上げ、とても興味深い考察がなされていますね。
今後、どんなプログラムが取り上げられるのか楽しみです。
現役時代、町田選手は羽生選手とともに戦った選手ですが、それぞれのプログラムから受けるもの、また発言から受けるものはそれぞれの個性が出て、かなり違うなあ、と感じたものです。似たところもひょっとしたらあるのかもしれませんが、やはり違いますね。高橋さんもまた二人とは違うと感じます。
引退後、アイスショーで拝見する高橋さんや町田さんの演技は、現役の時と目指す方向が全く変わった、とは思えませんが、何か非常に自由にそれぞれの極める方向に向かっているように感じています。
392. スペルミスの訂正です。
>大幅ルール改正(arhletic program と artistic program に分けるような)について
arthletic → athletic です。
すみません。(スペルチェッカーが効かないと、普段頼り切っているだけによく間違えてしまい後で気づくことが多く・・汗)
こんにちは。
magirittemariさん、
ご質問の件、答えになるかどうかわかりませんが。
羽生選手のエレメンツ以外の部分の身体表現に於いて、私はもっと洗練の余地があると感じるのです。(以前にも書きました)
でも私が気になる部分を全く気にならないという方も沢山いらっしゃるでしょうし、私と同じように気になる、と仰る方もいらっしゃるでしょう。それは個々人の感覚や好みの問題ですよね。だから感じ方が違うということでしょう、と書きました。
「芸術」という言葉の定義についてですが、これまでの議論からもmagrittemariさんご紹介のウィキの定義などからも、「表現者(物)と鑑賞者の相互作用により鑑賞者が感じる何か」であるとは言えるようですね。そして鑑賞者というのが個人個人であることを考えると、何を芸術と思うかは個人的な感覚によるのは当然といえます。
社会的に認知される「芸術」についても様々なお話があって興味深かったですが、こちらのコメ欄でも皆さん仰っていたように、現在、競技フィギュアスケートが広く社会的に「芸術」と認められている訳ではないでしょう(し、認められる事がスポーツの側面からいいのかどうかよくわからない)ので私は今は書きません。
まあ、それとは別に一般的に「フィギュアスケートは技術と芸術を追求するスポーツである」なんてよく言われたりしますよね。
実際マスコミ、またISUやスケート関係者もそういう言い方をしています。
ここで言われる「芸術」とは何なのか?とか、ISUやスケートの関係者だって「芸術」と言っているじゃないかと思われるかもしれませんが、「競技フィギュアにおいて、スケート技術(という極めて特殊な技術)を用いて表現される何か」を簡単でごく一般的な表現で言うと「芸術」というしかないのかなと私は思っています。
昔はそのものずばりArtistic Impressionなんて評価基準だったわけですし。
現在は「技術と表現を追求するスポーツ」といえばいいのでしょうか?
さて月見そばさん、私が技術の極致に芸術を感じた演技として上げた例はまだ旧採点時代のものでTecnical Merit とPresentationのスコアと順位点で争う時代でした。
長野五輪の彼らの演技を貼っておきますね。
https://youtu.be/g5otjxFTETY
まあ、技術点では6.0は出てないですけど非常に高い得点です。
もう一つ例に出した演技も同じ長野のODでしたが、こちらはその時にも書きましたが、技術面では解説にも少しダメ出しされていたと思います。
しかし、当時まだ若かった私の思い込み、ロックなどというジャンルの曲を使った表現に芸術性を見いだしにくい、というバイアスのかかった思い込みを完全に打ち砕かれた演技でした。
で、どこに芸術性を感じたのだろうと自問してみると、その圧倒的な技術力としか思えなかったというわけです。
ちなみに彼らは同様のロックジャンルの曲でリレハンメルで金を獲っているのですが、その時にも技術力は凄いと思ったものですが、果たして芸術的かと言われると個人的には?だったのです。
(Artistic Impressionは6.0出てましたけど。)
月見そばさんの
>>私は高得点プログラムだからといっても必ずしも芸術を感じるというわけではないからです。町田選手のスケアメの「第九」は独創性が技術不足を凌駕していました(もちろん完全版を是非観たかった)。高橋選手の「道化師」は技術のみに感動したのでしょうか?
の部分、高得点プログラムだからといって必ずしも芸術(性)を感じないというのは私も同感で、以前にも書いてます。
スケアメの町田くんの演技に芸術性を感じるかどうか、については技術不足をどこまで容認できるか(つまり気になるか気にならないか)というやはり個人の感覚の違いでしょう。
で、高橋さんの「道化師」については技術のみに感動した演技とは私は一言もいってません。例に出した二つの演技はどちらもグリシュク・プラトフのものです。
むしろ全日本の「道化師」については当時から、曲とのズレがかなり気になってしまって、たしかに感動はしたのですが、「芸術性」を感じるとまで言えるかどうかは自問中です。(というわけで381のコメントで「芸術性がすばらしい」と書いたのは正確ではありませんでした。)
あおらさん、
>>まず、揺るぎない事実があって、それに対する見方はいろいろあるのではないでしょうか?
たしかにそうですが、その「色々な見方」も事実との整合性がないと説得性は持ちません。事実との整合性のない「色々な見方」というのはもはや「推論」ですらなく、一般的に「妄想」と称されるものになると私は思います。
ここまでのお話から、あおらさんははじめにご自分の推察、推論ありき、私は事実の積み上げから、と推察の仕方が正反対なのだとわかりました。
事実についてご存じないこと、忘れている事があるのは仕方ないです(私も実際よく忘れていますし)が、簡単に調べられる事でもなぜ調べてからお書きにならないのか非常に不思議に思っていました。
私の考え方では、推論の根拠となる事実が違っていたら、その推論自体が崩れてしまう、あるいは再考を要するのですが、あおらさんの場合は「事実に対する色々な見方」で片付いてしまうので、「事実」がどうであれ、あまり関係がないということなのかなと思っています。
桔梗さんのコメントで別冊KISS&CRYを入手し忘れていたことを思い出しました。読み応えありそうですね。
dark eyesさん
うーん、私、事実は一番大切にしていますし、言葉の使い方のニュアンスが誤解されるようなところはあったかと思いますが、391のコメントで、推測や感想文以外のところで事実誤認はありましたでしょうか?
ライトファンなものですから、事実といっても、このブログで手に入る演技動画やプログラム情報、プロトコル、耳にするインタビュー程度で、関係者とコンタクトがあるわけでもなく、うわさ話のネットワークにいるわけでもなく、アイスネットワークの記事や雑誌、選手本人の書籍までちゃんと追えていないので、勉強不足と言われれば、その通りなのかもしれません。
(このコメント欄では、勉強させてもらっています)
もともと、プログラムについての強い印象から、ロミオと道化師に個人的に共通項を感じ、あくまであの状況からの推測、妄想でしかなく、聞くに値しない意見と見なされればスルーで当然です。
反対に私の妄想をあざやかに壊してくれるような説得力のある意見があれば、むしろ聞きたい方なのです。
高橋の道化師と羽生のロミジュリには感情移入がしやすいプロ、くらいしか共通項は自分はあまり感じないのだけど、普通に考えて表現へのこだわり云々よりは単純に勝負の世界のこととして、チャンには勝ちたい、羽生には負けたくない…当時の高橋としてはそういうことだったんじゃないのかなぁ?
高橋は確かに表現にこだわりの強い選手だと思うけど現役中はやはり一番になりたいという気持ちは強かったのでは?羽生みたいにそれをあからさまに言う性格、美意識ではないというだけで。言わないからそう思ってないということでなくてアスリートにはその気持ちはつきものでは?トップクラスになればなるほど強くなるものだろうし。それが失せた時に引退とかなる訳で。
高橋の心の中までは読めないからその辺はどの推測が正しいかはわかんないし誰かの妄想(?)をあざやかに壊すためには本人に聞くか、自分自身が参考になる情報や意見を吟味して考えを修正してくとかしかないような…
納得行かないなら変えなくてもいいとも思うけど。
なんかちょっと横から失礼でした。
あおらさん、
391のコメントでは
>>現在は10代の選手、ネイサン、ポーヤン、宇野君たちが台乗りするのが当たり前、当時は、ガチンスキーや羽生君が台乗りするのが珍しいことだった。
の部分が違うと思います。
あおらさんの仰る「当時」とは2011年と2012年のことでしょうが、以前にも書きましたが、バンクーバー五輪前の2009年に19歳でパトリックが銀を獲っていますよね。
それもあって、地元バンクーバー五輪でのメダルの期待が非常に高かったのですよね。
また、ワールドだけでなく、GPFのメダリストで考えると、「当時」ではありませんが、高橋くん本人も2005年に、織田くんが2006年にそれぞれ10代で台乗りを経験しています。
自分達だって10代で台乗りは経験しているわけですよ。そんなに羽生選手の台乗りが衝撃的だったとは思えないです。
そして羽生選手のコメント欄なのでちょっと気になりますけど、もしよろしければ高橋くんの心境については2000daysから該当部分を書き出してご紹介しましょう。でもいずれにせよ、今時間がないのでまた後ほど。
それによると、11-12シーズン、ワールドの後では「何で負けたんだろう(文脈からパトリックにってことですよ)」と思ったということ。
また12-13シーズンからは成績だけでなく、観客の目を惹く羽生選手の魅力には負けても仕方ない、自分は求められていない、と思うようになったとのことです。
月見そばさんやソルトさんの推察は大体合っているのではないかと私は思います。ニースの時に既に高橋さんが羽生選手に負けるかも、と思ったかどうかはわかりませんが。
すみません。
上のコメント、2009年3月のワールド時12月生まれのパトリックは18歳ですね。パトリックはバンクーバーはメダルが獲るれませんでしたが、トリノワールドでも銀でしたね。
394.dark eyesさん
私の質問に答えて下さり、ありがとうございました。
羽生選手のエレメンツ以外の部分の身体表現に於いて、dark eyesさんはもっと洗練の余地があると感じてらっしゃり、その感じ方が個人によって異なるのだろう、という点、了承致しました。私自身は、羽生選手の身体表現に関してはかなりアップしてきたと思いますが、確かにまだ十分ではない、と感じております。dark eyesさんと感じ方が違う、というわけではなかったのです。
あと、芸術の定義、フィギュアスケートと芸術性に関してもdark eyesさんのお考えをお聞きすることができてよかったです。ありがとうございました。
dark eyes さんがおっしゃるとおり、当時まだ10代(だったのですね!)のパトリックがいました。リアルに追ってなかったので、バンクーバー前のカナダの期待感など参考になりました。ありがとうございます。
バンクーバー以降、高橋さんにとってのライバル(という言い方はしっくりこないですが)は常にパトリックであったのは事実で、ニースワールドで「何で負けたんだろう」とは、私自身もつぶやきたくなるほどでしたが、書かれているような12−13シーズンの高橋さんの自信喪失ぶりはちょっと信じられませんし、SPの変更もその辺りがあるのかなと思いました。
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